NMB48 山本彩 評価

NMB48

山本彩 (C) Metrock 2018 Photo by 本田裕二 /日吉”JP”純平

「唄うことは 難しいことじゃない」

正真正銘のトップアイドルである。山本彩は、グループアイドルの第一期生に備わるイデオロギーやファンとの共闘性、共鳴性といった存在理由のすべてを充たす王道のアイドルである。現代アイドルシーンにおけるオーヴァーグラウンドで闘う彼女の英姿を主人公と称える声に異議を唱えることはむずかしい。紅白歌合戦選挙で第1位を獲得した要因には、やはり、山本彩の兼ね備える、大衆を虜にするエンターテイメント性の高さとアイドルとしての潔癖さ(正統さ=主人公感)があるのだろう。山本彩は瑕疵の発見が困難な人物である。彼女の潔癖さとは、純文学タイプのアイドルではなく、エンターテイメント系に組みするアイドルの証になるはずだ。批評家・福田和也の言を引くならば、エンターテイメント系のアイドルは、対象に、「快適な刺激を与え、気持ちよくさせ、スリルを与え、感動して涙を与える」存在である。純文学タイプであるアイドルは「本質的に不愉快なものであり」対象を、「いい気持ちにさせるのではなく、自己否定、自己超克をうながすような力をもっている」。(*1)純文学タイプのアイドルの象徴が前田敦子、生駒里奈であり、エンターテイメント系の代表格が大島優子、山本彩になるだろう。

山本彩のアイドルとしての物語は、昨今の人気エンターテイメント長編小説のように量と質、ともに申し分がなく、読者(ファン)は主人公の一挙手一投足に感情移入をして、笑い、試練を乗り越える瞬間(成長)を共有し、涙を流すことができる。主人公は絶対にファンの期待を、心を裏切らない。物語は必ずファンの欲望を充たす顛末を迎える。箱庭の世界は、スーパーヒーローによって秩序が保たれ、とても居心地が良い。彼女は、ファンの心を握り潰すような、不安をあたえるような真似は決してしない。だから、被写界深度がない。山本彩というアイドルは前後左右、常にクリアでハッキリと我々の前に映し出されているから、立ち居振る舞いや仕草に「脆さ」「儚さ」を覗かせることはない。「アイドル」として明快な笑い顔を作る山本彩を観ていて、その歌声を聴いて不快になることはないし、悲観におそわれることもない。”それが、彼女の、アイドルとしての明暗を分けた理由でもある。” 人は、アイドルは、真実を伝えるために嘘をつくものだが、山本彩からそのような嘘を投げつけられたことは一度も無い。その清潔さが彼女を「王道のアイドル」として屹立させた要因であると同時に、「山本彩」からストーリー性(ヴァルネラビリティ)が欠如している理由である。もちろん、得意の歌であれば、ステージ上で”そのような弱さ”を表現してしまうことは容易だろう。しかし、ヴァルネラブルとは自らすすんで表現をする類のものではなく、日常のなかで他者に発見させ、切り取らせるものである。山本彩は能動的な弱さ、という矛盾を孕んだアイドルと云えるかもしれない。言いかえれば、エンターテイメントタイプのアイドルという宿命を背負いながらも、皮膜を破り、純文学とエンターテイメントを行き交いしようと試み、その狭間で”はじめて”苦闘したアイドルと云える。

「シンガーソングライターとしての評価」

山本彩の歌唱力、歌手としてのソロ活動に対する評価だが、敢えてアイドルとシンガーソングライターの二つの立場に隔たりを設け評価をする、という必要はない、と私はおもう。そもそも、どちらかを独立したものとして扱って評価をする、これは不可能である。シンガーソングライターとして評価をするのは、山本彩がアイドルを卒業したあとになるだろう。アイドル活動のなかで、シンガーソングライターとしての活動もしている、そんなアイドル。その姿を批評することになる。歌唱力や技術云々については、シンガーソングライターを名乗った時点で、作詞など創造行為をした段階で、評価項目から外れる。問われるのはスタイルやイデオロギー、フィロソフィーが反映される表現力。

『歌うたいのバラッド』
この楽曲をカバーし、その生演奏中に「躓く」というのはある意味で「出来すぎ」と云える。だが、偶然を奇跡として引き寄せる力、才能を、彼女は持つのだろう。この斉藤和義の歌は数々のアーティストにカバーされているが、わたしが聴いた中では、山本彩のカバーが一番良い、と感じた。”あの”未成熟でふるえるようなヴォイスは、山本彩自身、再現することは不可能だろう、とおもう。一回性という類のモノに我々はつよく惹かれてしまうのである。

『365日の紙飛行機』
少しずつ息切れしていく、奥の方から掠れていく。その山本彩の声は、日本人が音楽と生活を共存させる決心をした時代の日本人の声、歌い方である。今の日本人は過去の時代に憧れないし、今の、この国を、時代を嘆いてさえいる。どの時代にも生きたくはない。そんな人間たちを共感させ、季節の記憶とするような歌を、声をおくりとどけようと、渇望しているように聴こえる。

「飛んで行け 飛んでみよう」

アイドルとして一般人が経験しないような特別な時間をながく過ごしている、というのは作詞の面で大きなアドバンテージになるだろう。アイドル時代に直視した景色を丁寧に、想像力に頼らずに描写することができれば、それはエンターテイメントとしてではなく、ひとつの文学として、オーディエンスを魅了するのではないか。宇多田ヒカルは歌詞を書くために生きる世界、目線を能動的に変えた。一度だけ、一般人の日常に戻ろうとした。オーヴァーグラウンドに生きるアーティストにしては称賛に値する行動力と発想である。おそらく、山本も卒業後にこれと同様の行為が必要になるのではないか、と想う。音楽という創作行為、創造の原型を収斂と洗練させる道具と知恵を求めて彷徨い歩く先にあるのは、やはり、アンダーグラウンドと呼ばれる場所だろう。

この世の誰からも頼まれていないのに演ることを使命としている者たちの作品、創造行為、そのすべてがアンダーグラウンドというわけではない。誰のものでもないけれど誰かのものである。のではなく、やっている自分のものでしかないけれど宇宙やあの世の誰かがすでに所有しているもの、あるいはこの世もあの世も相手にしえないもの、そうしたものを所有しようとすることこそアングラ人の基準であると思う。あるいは闇雲に大した欲望や妄想に押しつぶされる寸前の創造力の、なんらかの証し、かすかな気配と木霊のような歌、ほんのわずかの人々の心にだけ刺さったまま致命傷となるような音楽。

湯浅学「STUDIO VOICE vol.360」

 

総合評価 75点

アイドルとして豊穣な物語を提供できる人物

(評価内訳)

ビジュアル 13点 ライブ表現 18点

演劇表現 13点 バラエティ 15点

情動感染 16点

NMB48 活動期間 2010年~2018年

引用:(*1)福田和也「作家の値打ち」

評価点数の見方