海外ドラマとグループアイドル

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(C)ウェントワース女子刑務所 シーズン4 第一話

「ウェントワース女子刑務所が面白い」

懇意にしているある劇団の、ある舞台女優から、最近は時間を持て余しているので海外ドラマをよく観ている、なによりも「ウェントワース女子刑務所」が素晴らしい、まだ観ていないなら是非観てほしい、と勧められた。
海外ドラマといえば、私自身、過去に鑑賞した作品のなかで面白いと感じたのは、「ROME[ローマ]」「ウォーキング・デッド」「ブレイキング・バッド」の3作品だろうか。とくにROME[ローマ]は塩野七生の「ローマ人の物語」の影響を強く受けている、と感じる場面が多く、なかなかに愉しめた。「ウェントワース女子刑務所」はオーストラリアで放送されている人気ドラマとのことらしいが、恥ずかしながらこれまでに一度も触れたことがなかった。さっそく、シーズン1からシーズン7まで鑑賞した。
まず、もっとも評価すべきは、シーズン1からシーズン7まで、一度も飽きることなく鑑賞を終えられた、という点だろう。小説家とおなじように、ドラマの作り手にとっても、この点が一番の難題になるのではないか。たとえば、「ホームランド」や「ゲーム・オブ・スローンズ」は上記で挙げた3作品とならび傑作だが、はじめから終わりまで、通しで鑑賞するとなると、これはちょっと大変だな、と感じた。しかし「ウェントワース女子刑務所」にはそのような障壁はなかった。様々な登場人物が、刑務所という、”人となり”が変わってしまう場所、安易に”成長した”などとは云えない場所で、しかしそれでも、叶わない夢と献身に支えられた絆によって困難を乗りこえようとする、アイデンティティの模索劇=群像劇をきわめてスリリングに描いており、息を抜く暇もない緊張とカタルシスを味わえる。
このドラマの魅力を支えるもっとも明確なしるし、それは役者の演技力だろう。ROME[ローマ]に出演した役者たちもたかい演技力(おそらく現代のドラマシーンでもっとも質のたかい演技力)をそなえていたが、「ウェントワース女子刑務所」もそれに引けを取らない。とくに、”リズ”役を演じたセリア・アイルランドの演技はすさまじく、繊細で、慟哭がある。

また、非日常のなかで描かれる日常風景という点では、「ウォーキング・デッド」と通いあう、と感じた。
もうひとつ、「ウォーキング・デッド」との類似点に、登場人物の入れ替えによる群像劇の完成が挙げられる。
つまり、このドラマをあえてグループアイドルへと引用するならば、それはやはり登場人物の入れ替えにある、と云えるだろう。「ウェントワース女子刑務所」という”箱”の中にシーズン1から登場するメインキャラクターたちを、グループアイドルの1期生と捉えることが可能であり、様々な出来事によって刑務所の中から姿を消す服役囚の後姿を、様々な理由によってグループから去っていくアイドルの横顔に重ねることができる。おもしろいのは、シーズン1に登場するメインキャラクターたちはシーズンを増せば増すほど視聴者にとって特別な存在、物語を追いかけるうえで心の寄す処となり、”彼女たち”がひとり、またひとりと刑務所を去るたびに惜しみないなごりを投げつける点である。説明するまでもなく、このような現象はグループアイドルにも起きる。グループとそのファンにとって”第一期生”とはかけがえのない存在であり、彼らは1期生をグループのアイデンティティそのものと扱う。1期生の欠落、つまり卒業はグループの死そのものであり、物語のカタストロフィである。もちろん、彼らの感情を一刀両断するつもりなどない。だが不利を承知で云うならば、グループアイドルの魅力のひとつには、やはり様々な登場人物たちが、様々な交流を描き、先人の血を受け継ぐ、あるいは、血を入れ替えることによってのみ達成される、過去の登場人物との思い出の品を握りしめたあたらしい登場人物による、まったくあたらしい物語の誕生があるのではないだろうか。「ウェントワース女子刑務所」のなかには、この、大切ななにかが受け継がれていくことへの感動を擬似体験できる人間喜劇が描かれている。