AKB48 岡部麟 評判記

AKB48

岡部麟 (C) B.L.T.7月号/東京ニュース通信社刊/AKS

「アンガージュマン」

自分の限界が どこまでかを 知るために
僕は生きてる訳じゃない
だけど 新しい扉を開け 海に出れば
波の彼方に ちゃんと”果て”を感じられる

My Little Lover / Hello, Again 〜昔からある場所〜

岡部麟、平成8年生、AKB48のTeam8のメンバー。
凛として瑞々しい、情感に溢れるカウンタックな美貌の持ち主。対象との距離を一瞬で手繰り寄せ、深く片想いさせるその美は、百花繚乱を描くTeam8のなかでも、きわめて力強い生彩を放っている。夢見る少女を一箇所に集めたAKB48ひいてはTeam8にあって、岡部の存在感は突出しており、ともすれば、それはグループアイドルのメーンストリートの発想をくつがえす重要な伏在=新たな脅威としての存在感を示しているかに見える。
このひとは、ファンの前では、取り乱さずに、噛みしめるように丁寧に言葉を編み上げる。予め用意していた台詞を読んでいるだけにしか見えない凡百のアイドルを置き去りにするように、生き生きとした科白を作り、静かに、しかし強く吐き出す。言葉の数々が、アイドルを演じる少女のモノローグに見え、少女の素顔に触った、と錯覚してしまう、そんな言葉を編む。日常の仕草、そのひとつひとつが妙に色っぽく、華やかで、愛くるしいアイドルへと成長した、とつよく感じる。長時間眺めていても、まったく飽きさせない。
もちろん、岡部麟の魅力はビジュアル=外見にだけあるのではない。たとえば彼女は、グループアイドルにとって避けて通ることができない順位闘争に対するタフさ、頼もしさも誇示している。劇場では、ライブステージの上では、常に、あたらしい出来事をファンに体験させようと精力的に動き、アイドルというコンテンツにどこまで真剣になれるのか、なるべきか、といった陳腐な問いかけとは無縁をつらぬく、それがどれだけ小さな世界で、どれだけ粗雑な見世物小屋だとしても、演者が真剣に舞台に臨む限りは観客も同様の緊張、真剣さを求められるのだ、という、当たり前の事実を岡部麟は突きつける。
この岡部が群を抜いて華やかに見えるのは、やはりアイドルとしての成功を強く自負している点、ある物語において、自分はかならず重要な登場人物、キーキャラクターとして描かれるだろう、という確信、つまりある種の蓋然性に裏打ちされた矜持を投げつけ、しかもそれがそのとおりに結実し、日々成功を持ち帰るからである。自信に満ち溢れたアイドルの、色彩豊かな横顔を眺め、ファンはアイドルの内に芽生えた万能感を認め、このアイドルと共に闘おう、彼女の夢に乗ろう、と決意することになる。順位闘争の場において岡部が並々ならぬ存在感を発揮し、アイドルとして豪華なキャリアを積みつづけるのもこれは当然の結実とするほかない。
万能感とは、一般論、一般社会においてはネガティブなイメージを与えるが、文芸の世界においては「独往」へたどり着くための欠くことの許されない資質になる。”何でもできる、何処へだって往ける”、なにを始めるにしても、まず、この「勘違い」を抱かなくてはならない。
岡部麟がおもしろいのは、そうした万能感、なんとかなる、とにかくやってみよう、という前だけを向いた姿勢の原動力として、未完成・不完全であることを少女に過剰に期待し、かつそこから自分の限界を超えろ、成長しろ、と身勝手に要求する今日のアイドルシーンの理不尽さに直面した際の反動、しかし同時にそれが受け入れるべき幻想であると覚悟した末に導き出した、強い現実感覚における反応を支えにしている点である。こうした岡部麟の姿勢、言動、行動力とは、まさしくアンガージュマンと呼ぶべきものであり、乃木坂46生田絵梨花とならび、アイドルの才気に溢れたひと、と表現するほかない。彼女は、今日のアイドルシーンを生き抜くためにもっとも必要なものを、明快な回答を、すでに手にしているのだ。
渡辺麻友のラストシングル『11月のアンクレット』において初めて表題作の歌唱メンバーに選抜されてからは、『センチメンタルトレイン』を除いたすべての表題作の歌唱メンバーに選ばれており、並ではないもの、を感受するが、その「並ではないもの」こそ、このひとの場合、万能感にほかならない。
あるいは、彼女の万能感とは、デビューしたばかりの頃、ステージの上で指原莉乃に「あっちゃんに声そっくりじゃん」と言われた際に、宿ったものなのかもしれない。自分の内にAKB48における、いや、アイドルシーンにおける圧倒的な主人公と共時する資質がある、他人の空似がある、と知らされてしまったら、興奮を抑えられる少女など、きっとどこにも居ないだろう。とはいえ、岡部麟と前田敦子のあいだには、容易に飛び越えることができない「壁」が立ちはだかっているのだが。

「AKB48とTeam8、前田敦子と岡部麟」

多くのファンに救世主と呼号される矢作萌夏を主役に配した『サステナブル』を見てわかるとおり、平成が終わり、令和が始まった現在、AKB48グループの掲げる命題の一つに「原点回帰」があるようだ。ただ、そうした目標を掲げ行動する作り手、またそれを演じるアイドルを眺めていても、隘路に陥るばかりに感じる。
過去への想いが強すぎるのか、過去の栄光が忘れられないのか、わからないが、やはりアイドルのジャンルらしさ=AKB48らしさを取り戻そうと鼻息を荒くする情況にあっては、前田敦子大島優子のような笑顔、物語にはけして届かないだろう。なにをしても、どうやっても、
グループに愛着が持てない、過去のアイドルの面影と密着することができない、という浮遊感を抱える次世代アイドルが、ほんとうの自分らしさを探そうもだえる様子には興趣をかきたてられるものがあるにはあるが。
だが、そもそも岡部麟の演じるアイドルの家郷とは、何処を指すのだろうか。それはやはりAKB48になるのだろうか。しかしそこには決定的な隔たりがあるようにおもう。もちろん彼女にとってAKB48という筐体はこころの支え、寄す処になるはずだ。けれど郷愁の対象にはならないのではないか。「会いに行くアイドル」をコンセプトに、全国47都道府県から選抜された少女たちは、デビュー以来、AKB48とは隔絶した場所でアイドルをスケッチし育んで来たし、当然、乃木坂46ひいては坂道シリーズとも異なる地平に立っている。だが、確かに、彼女たちは「AKB48」を名乗りアイドルを演じている。つまり、Team8とは、現在のアイドルシーンのなかにあって、とても奇妙なアイドルの集団に映るわけである。
ある意味では新グループの立ち上げだったにもかかわらず、彼女たちは、グループアイドルの第一期生に備わる独特な群像を作らない。この点にTeam8の本領がある、と云えるかもしれない。この集団は、AKB48の正統的存在とも云うべき1期から16期生までの少女がそなえ持つ、AKB48という存在に対するある種の束縛、過去と否応なく連なってしまうことで過剰に意識する、歴史に対するこだわりを持たない。あるいは、この奇妙な奔放を、岡部麟がアンガージュマンをふるまうことへの理由・動機にあてることができるかもしれない。
Team8というきわめて外伝的な境遇で育ったアイドルの書く物語はどのような推進力を持ち、奇跡との遭遇を、季節の記憶を生むのか、という希望。それが外伝であるがゆえに、なにものにも縛られない、しかし換言すれば、AKB48に縛られないことでAKB48と乃木坂46の両方に挟み撃ちにされてしまうような境遇にあって、どのような可能性が広がるのか、という期待。たとえばそれは、アイドルの王道(清楚)を鷲づかみにし、表通りを練り歩くアイドルたちの新たな脅威となり得るのではないか、という憧憬を作り出す。本家との懸隔を持つからこそ、前田敦子とのシンクロニシティが看過できない宿命と扱われる日も近いのではないか、と。

 

総合評価 72点

アイドルとして豊穣な物語を提供できる人物

(評価内訳)

ビジュアル 15点 ライブ表現 14点

演劇表現 12点 バラエティ 16点

情動感染 15点

AKB48 活動期間 2014年~

 

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