AKB48 岡部麟 評価

岡部麟 (C) B.L.T.7月号/東京ニュース通信社刊/AKS

「アンガージュマン」

自分の限界が どこまでかを 知るために
僕は生きてる訳じゃない
だけど 新しい扉を開け 海に出れば
波の彼方に ちゃんと”果て”を感じられる

My Little Lover / Hello, Again 〜昔からある場所〜

凛として瑞々しい。情感に溢れるカウンタックな美。対象との距離を一瞬で縮め、片想いさせる。彼女のビジュアルは、アイドルとしての物語の豊穣さを説得させるのに文句なしの深さがあり、百花繚乱を描くTeam 8の中でもきわめて力強い生彩を放っている。『岡部麟』は、主流の発想をくつがえす重要な伏在=新たな脅威と云えるだろう。
岡部麟の華やかさとは、”成功”への蓋然性に裏打ちされた自信のすり替わりであり、観者は独特な万能感を投げつけられる。万能感とは、一般論的にネガティブなイメージを作るが、文芸の世界においては、独往へたどり着く為に必要な資質の一つと呼べるだろう。”何でもできる、何処へだって往ける”、なにを創めるにしても、まず、この勘違いをしなくてはいけない。彼女の『なんとかなる、やってみよう』という姿勢はシーンの不完全さや「自分の限界」を超えろと身勝手に求められる理不尽さに直面し、しかしそれが受け入れるべき幻想であると覚悟した末に導き出した答えでもある。そのような活力に対する思弁の露出がそのまま観者へ活力を与える結果を呼ぶのは、アイドルとしての才気に溢れているとしか表現のしようがなく、独白をスマートに素顔の提供として成立せているのだから、なおのこと驚かされる。彼女は、取り乱さずに噛みしめるように丁寧に言葉を作り出す。予め用意していた台詞だけで喋るアイドルを置き去りにするように縦横に科白を吐き出す。だから眺めていて飽きない。ビジュアルだけでなく、闘争と対峙するタフさ、つまり信頼感を作る仕草のひとつひとつが妙に色っぽく愛くるしいアイドルへと成長した、と感じる。舞台の上では”あたらしい”物語を描くことに意識的であり、アイドルというコンテンツにどこまで真剣になれるのか、なるべきか、などの陳腐な問いは内在せず、それがどれだけ小さな世界で、どれだけ滑稽な見世物小屋だとしても作り手が真剣に臨む限りは観者も同様の緊張と切迫を求められる、この当たり前の事実を岡部麟は突きつける。その立ち居振る舞いはまさしくアンガージュマンと云えるだろう。

令和が始まり、現在のAKBグループの掲げる命題に原点回帰があるようだ。しかし、アイドルのジャンルらしさ、AKBらしさを獲得するために企てられた行動では、「遠い昔からある場所」にたどり着くことは叶わないだろう。浮遊する個々のアイドルが、自分らしさ、日常の写実を実現することが、結果的にAKBらしさ=原点回帰への期待に応え、「雨はやがてあがっていた」という描写にめぐりあえる。
岡部麟は生まれ故郷の”大使”として活動するが、自身が演じるアイドルの家郷=「遠い昔からある場所」とは何処を指すのだろうか。それはやはりAKB48になるのだろうか。しかし、そこには決定的な隔たりがあるように強く感じる。もちろん、彼女にとってAKB48という筐体はこころの支えとして寄す処になるはずだ、だが、郷愁の対象にはならないのではないか、とおもう。Team 8とは、現在のアイドルシーンのなかにあって、とても奇妙な場所に映る。AKB48とも、乃木坂46とも異なる地平に立っている、だが確かに連なっている。彼女たちはグループアイドルの第一期生に備わる独特な群像を作らない。その代償として、ある種の束縛を持たない。この奇妙な奔放を、岡部麟がアンガージュマンを振る舞える理由にあてることができるかもしれない。Team 8という外伝的な境遇で育ったアイドルの書く物語はどのような希望を描き、奇跡との遭遇を、季節の記憶を生むのか。家郷と隔たりがあるからこそ、前田敦子とのシンクロニシティが看過できない宿命として扱われる日も近いのではないか。岡部麟はAKB48の通史ではなく、モノグラフに大書されるアイドルとして憧憬を描かせる人物である。

 

総合評価 71点

アイドルとして豊穣な物語を提供できる人物

(評価内訳)

ビジュアル 16点 ライブ表現 13点

演劇表現 12点 バラエティ 16点

情動感染 14点

AKB48(Team 8) 活動期間 2014年~

引用:「」My Little Lover / Hello, Again 〜昔からある場所〜

2019/08/26 本文、評価を一新しました

評価点数の見方