AKB48 西野未姫 評判記

「第2の”まゆゆ”」
西野未姫、平成11年生、AKB48の第十四期生であり、「三銃士」の一人。
第2の渡辺麻友という処女性の高いアイドルから出発し、その清楚や純潔のイメージからもっとも遠ざかった不純な登場人物として、ファンを致命的に裏切る結末をもってアイドルの幕を閉じている。
13歳でAKB48の門をくぐり、17歳で卒業する。同期には小嶋真子、岡田奈々がいる。西野を合わせこの3人はファンから”三銃士”と呼ばれ「次世代」の筆頭となる。だが小嶋真子、岡田奈々の物語に対し西野の物語はきわめて貧弱である。たとえばそれは「数字」によくあらわれている。AKB48の次世代を担う寵児として同じ場所からスタートした3人だが、表題曲の歌唱メンバーに12回選抜された小嶋真子、17回選抜され現在もなお豪華なキャリアを積み続ける岡田奈々に比して、西野未姫の選抜回数はたったの1回のみ。当然、西野は3人のなかでもっともはやくアイドルを卒業している。職業アイドルの威光がいや増した今日のシーンにおいては、20歳を前にして卒業する、これは要するにアイドルとして成功しなかった、なんらかの失敗があった、またはうだつが上がらなかった、と見るのが大筋である。
現役時代の、アイドルの物語の中盤から終盤までの立ち居振る舞い、また卒業後の振る舞いから、転向アイドルの代表格と見なすべき人物だが、アイドルの値打ちそのものを問うならば、文句なしの一級品、逸材と呼ぶべきだろうか。渡辺麻友の後継者、つまり強い意志のもとに「渡辺麻友」を受け継ごうと決意する者、ではなく、渡辺麻友の系譜に連なるのが西野未姫であり、本人の意志にかかわらずアイドルのイメージが作られてしまう、運命につかまり強い憧憬を抱かれてしまう、という点から、西野は小嶋真子に比肩する逸材である。
このアイドルはとにかく品が悪い。ただその下品さは、処女性の高さつまり王道さをそなえるアイドルとしての「渡辺麻友」の枠組みから脱しようとする際のあがき、アンガージュマンとしての行動に見えなくもない。この少女なら第2の渡辺麻友に成れるはずだ、という身勝手な期待感を前にして、それは本当の自分ではない、と反抗する際に姿かたちを現したのが彼女の下品さ、つまり渡辺麻友のイメージを致命的に損なう醜態であり、作り物のイメージから辱知をもって脱しようとするもだえなのだ。
西野未姫にとって不幸だったのは、その憤怒をせきとめ七転八倒するアイドルの姿がファンにウケてしまった点である。”第2のまゆゆ”への反動を、西野未姫がファンの前ではじめて描きその枠組から脱却を試みたのは、『会いたかった』の振り付けを毀しステージの上で小躍りしてみせ、観客を沸かせたとき、あるいはバラエティショーのなかで年端も行かぬ子供のような無邪気な立ち居振る舞いを作ったときなのだが、演じることの一切を放棄したかのようにみえるその奔放で品のないアイドルを前にしたファン、そして同業者は、あろうことかアイドルを褒めてしまったのである。ほんとうの自分はどこにあるのか、と欲しのたうち回った結果、それが褒められた、という経験は、少女のなかでアイデンティティを育む契機となったのではないか。
以降、西野未姫はファンの前で常に無邪気で品のないアイドル=ピエロを演じ続けることになる。性格がその人の生活を作るならば、当然、生活がその人の性格を作ることもある。西野未姫の性格・キャラクターが渡辺麻友と対極にあるのは、なによりも、だれよりも渡辺麻友を過剰に意識した結果なのだ。
渡辺麻友に憧れ、渡辺麻友みたいなアイドルになりたい、と夢を語りアイドルの扉をひらいた少女たちにしてみれば、渡辺麻友の直系がよりにもよってこの西野未姫であることはなんとも皮肉的としか云いようがないのだが、そのビジュアルから受ける共時性はもちろん、本当の自分はどこにあるのか、止むことのない問いかけを抱き、他者を喜ばせるために、あるいは他者から褒めてもらうために日常を徹底的に演じきる、という点において西野は渡辺麻友の横顔にもっとも肉薄した存在であり、「渡辺麻友」の枠組みから逃れることができない登場人物であることは間違いない。
要するに、渡辺麻友が王道アイドルを演じたのに対し、西野はバラエティアイドルなるものを演じているにすぎないわけである。「渡辺麻友」からとにかく遠ざかる一方の西野未姫だが、日常を演じることでファンの輿望を担おうと健気にふるまってしまうという一点において、西野はやはり渡辺麻友の系譜に立つのである。
総合評価 55点
問題なくアイドルと呼べる人物
(評価内訳)
ビジュアル 13点 ライブ表現 6点
演劇表現 11点 バラエティ 13点
情動感染 12点
AKB48 活動期間 2012年~2017年