乃木坂46の「君に叱られた」を聴いた感想

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賀喜遥香(C)オリコンニュース

「『I see…』の掌編化」

乃木坂46の28枚目シングル『君に叱られた』(9月22日発売)がラジオ番組『SCHOOL OF LOCK!(乃木坂LOCKS!)』にて初オンエアされた。さっそく聴いてみた。
鑑賞後、これはなかなか高級なことをやっているな、と思った。これを聴いたファンが、贔屓の引き倒しではなく、もし素直に、この楽曲は素晴らしい、と呼号するなら、きっとそのファンはアイドルファンとして成熟しているのだろう。アイドルのことを真剣に眺め、アイドルの性格を、とくに今回センターを務める賀喜遥香の横顔を自己の内でスケッチできているのだろう。
新作『君に叱られた』は、センターで踊るアイドルの、言うならば楽曲世界の主人公を演じる少女のアピアランスがしっかりと打ち出されているように感じる。一見すると、川端康成の『雪国』を模倣したと思しき描写には安易なところがあるし、この歌詞ならば主人公が「僕」であることに問題はないが詞のなかで「僕」を用いるのは避けたほうが良かっただろう、といった不満は多少数えられるものの、そうした分析的な評価の一切を霧散させてしまう魅力が今作品にはある。
たとえば、イントロが流れた瞬間、多くのファンが、どうか素晴らしい曲であってくれ、と願ったのではないか。楽曲を聴き終えたあと、ファンは楽曲がそなえているであろう魅力を積極的に探求したのではないか。もしほんとうに、実際にそのような行動をとったファンがいるのだとすれば、なぜそのような幸福な光景がうまれるのだろうか(この点が今作品を語る際にもっとも重要な部分になるのだろう)。おそらく、その光景を作り出す原動力として回転するのが今回センターに立った賀喜遥香の魅力・才能、その片鱗であり、彼女の魅力がそのまま作品の魅力へと押し上げられている、とそう感じる。なんとかして彼女のちからになってやろう、とファンに誓わせる、不思議ななにかが、希求力が賀喜遥香というアイドルにはあるのだ。もちろんこうした感慨は本来楽曲に向ける思惟とは切り離すべきだが、今作に限って云えば楽曲の魅力の核心と捉えるべきだろう。『君に叱られた』に直に触れておもうのは、あまりにも強い平凡さ、オーソドックスなアイドルポップスと表現するには躊躇する凡庸さへの倦怠感だが、むしろ今作においてはそういったイメージを投げることに意味があるのだ。賀喜遥香のバナールな部分と楽曲が響きあい、アイドルの横顔にぐんぐんと生彩が出てくるのだから。ただこの高級さにアイドルの一切が加担していないという点をどうみるか、今後、課題になるかもしれない。
タイトルもなかなか良いとおもった。素直になる、というテーマは賀喜遥香のアイドルとしての出世作となった『I see…』のアイデンティティでもあるから、命題をしっかりと引き継ぎつつ異なる視点をもって歌をうたっているわけだ。きわめて好印象。『I see…』をひとつの物語・エピソードとして語った、という読み方をするのもおもしろいのではないか。なによりも、楽曲に触れた際にセンターの横顔が想起される、という感慨を抱けたのは生駒里奈、西野七瀬、白石麻衣、つまり第一期生以降では賀喜遥香がはじめてではないか、という発見に興奮がある。センターに対する当為(ゾルレン)があり、頼もしく感じる。

また、良くも悪くもボーカルの印象がガラッと変わった点もファンに新鮮な空気を吸わせるのではないか。個人的には秋元真夏の歌声が一番強く印象に残っている。あるいは楽曲制作にあたり、作り手の意識に『大嫌いなはずだった』がイメージとしてあったのではないか、と想像を膨らませた。

2021/08/27  楠木

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