STU48 張織慧 評判記
「生まれ育った地は」
張織慧、平成13年生、STU48の第一期生。
なかなか理性的な少女であり、また生まれながらにそなえもったそのビジュアルの高貴さも相まって、デビュー直後、15歳という年齢に反し、一部のファンを嫉妬に駆り立てるような、もだえある仮想恋愛の空間を作った点に鑑みれば、将来性豊かな、可能性に満ちたアイドルだったのかもしれない。
彼女のそうした特性、他者を衝き動かす性(さが)とも言うべき力がもっとも簡明にあらわれたのが、中国人の両親をもつが生まれも育ちも日本という、いわゆる「二世問題」に際して、であり、日常生活におけるある種の同調に対する葛藤を提示したことで、「アイドル」の問題を自分の問題にすり替え語るファンを多く生み出した。
ゆえに張織慧というアイドルは、アイドルを演じる多くの少女がその命題をアイデンティティの追求とするなかで、追求、ではなく、自我の追究を強いられた境遇にあって、その少女が「アイドル」と名付けられた偶像、つまり自分とは別の、もうひとりの自分を作り上げるとき、そこにどのような物語が書かれるのか、少女がどのような答えを手繰り寄せ、どのような成長を描くのか、といったアプローチの組み立てを可能とする、アイドルに対してファンが真剣にならざるを得ないという、今日の幼稚なアイドルシーンにあっては希有な登場人物に数えられ、なかなかに深刻で、またきわめて身近な、普遍的な話題に立っている。
「いや、俺はイェンタウン*1じゃねえよ。たしかに両方の親はアメリカ人だけども、生まれたのも育ったのもここ日本よ。おまけに日本の酷い英語教育のおかげで俺は英語がまったくアイキャントスピーク状態なんだよ」
「英語喋れないんだって」
「なにオカシイかい。まあオカシイだろうな。こんな俺って日本人?アメリカ人?俺たしかにこのルックスのおかげでどこへ行っても外人扱いだよ。でも、まちがいなくこの国で生まれて、この国で育っちまったんだよ。この国しか祖国はないだろ?要は産声あげるときも死ぬときも畳の上ってことよ。あんたたちは良いよ、まだ還れる祖国があるから。いわゆるイェンタウンには故郷があるんだよ。ちなみにそこのお嬢ちゃん、生まれはどこ?中国?」
「日本」
「じゃあ君はイェンタウンか?」
「うん」
「いー、違うんだな。ディファレント、ディファレント。あんた別に日本に円を求めてやってきたわけじゃないだろ。でもあんたみたいな二世も日本人は区別してはくれないんだよ。要は彼らにしてみたらあんたもおなじイェンタウンなんだよ。でもおかしいだろ、それは」
*1イェンタウンとは、円を求めて日本に移住してきた外国人の総称/引用者による注釈
スワロウテイル/岩井俊二
これを言ったら元も子もないのだが、二世問題、しかしこれはデビューしたばかりの、アイドルをけなげに演じる、夢と希望に満ち溢れた少女に向ける”眼”としては、場をわきまえない話題であると思う。
踏み込むのに躊躇する問題だ、と表現することすら安易・無知であり許されない、どれだけ言葉を尽くしてもわずかな心にしか伝わらない”ルーツ”に関する話題を、「アイドル」にじかに持ち込むことに、果たしてどれだけの希望があるのだろうか。どうやって活力を得るべきだろうか。
たとえば音楽を通じてアイドルに触れるとき、『瀬戸内の声』を歌い躍る張織慧を眺める際に、その「歌詞」を「二世問題」に照らすことはアイドルの魅力をいちじるしく損なうし、そうした音楽への接触方法は、どこか生真面目さを自覚し、やがてバカバカしくさえ思ってしまう。
事実、平成が終わり、令和がはじまった現在、張織慧が残したそのわずかな物語を再読した際にまず気づくのは、アイドルに関する話題の大部分が、思想純度を高めたルーツの話題に占められており、もはや素直に「アイドル」をたのしむことがむずかしくなってしまったアイドルとそのファンの後姿を目撃する。
あるバラエティ番組のひとこまで、果樹園を営む老夫婦との交流を通し、アイドルの順位闘争に対する傷みを乗り越えようとする活力をカメラの前で大胆に提示するなど、白々しさを払拭する頼もしさを彼女は描いているが、そうしたエピソードが「張織慧」というアイドルを語る際の情報の支えになるとはとても思えない。それはやはり、彼女のアイドルとしてのアイデンティティが、かけ出しの段階で「二世問題」という、なにを語っても結局はそこに行き着いてしまう話題、断然他を圧する性質に定められてしまったからだろう。
こうした、アイドルとは直接関係のない部分、しかしアイドルを演じる少女にとっては切っても切り離せない話題に「アイドル」が侵されてしまった弊害なのか、わからないが、結局、彼女はアイドルを演じる過程で、自分の知らないなにか、を手にする前に、卒業を選択してしまった。果たして彼女は、日本人なのか、中国人なのか、といった問いかけを前に、やがてファンは国籍といったシステムの枠組みの外に置かれた、アイドルの、少女の本質的な部分を見極めようと動き出し、少女の素顔へ想到したはずだが、そのようなフェーズがおとずれる前に、張織慧は現実の世界への扉をひらき、アイドルを卒業してしまった。
卒業理由に”学業への道”を語ったものの、時を置かず、再びファンの眼前に姿を現し、交流を描いている。その点は微笑ましい。やはり、無謀な夢は覚めることがない、ということなのだろうか。
総合評価 46点
辛うじてアイドルになっている人物
(評価内訳)
ビジュアル 12点 ライブ表現 6点
演劇表現 6点 バラエティ 9点
情動感染 13点
STU48 活動期間 2017年~2018年
引用:見出し 瀬戸内の声/秋元康
2023/04/13 編集しました(初出 2020/08/03)