AKB48 元カレです 評判記

AKB48, 楽曲

(C)元カレです ジャケット写真

「元カレです」

ミュージックビデオについて、

AKB48の59枚目シングル。センターで踊るのは本田仁美。
楽曲に付されたタイトル・詩情の一つの解釈として、かっこ悪い、を表現したのだろうか。楽曲が備える世界観の一切を無視した舞台装置の上で、見栄えの悪い衣装を身に着け、見栄えの悪い振り付けを踊る、滑稽なアイドル、というのを表現したのだろうか。とにかくアイドルが倦怠して見える。鑑賞者をして、どうしてAKB48はここまで退屈になってしまったのだろう、と一考させる「表現」がなされている。私に言わせれば、どうすればここまでダメになることができるのだろう、だが。
現在のAKB48を眺めていると、たとえば投機の世界、サイコロを振り、偶数が出たら買い、奇数ならば売り、と取引すれば二分の一の確率で勝てるトレードの世界において、自ら宿命的に「負け」を選び続ける大衆トレーダーを見ている気分になる。次こそ勝ってやる、と鼻息を荒くすればするほど、こうすれば勝てるはずだ、と知恵を絞れば絞るほど負けるという、永遠に抜け出ることができない循環に陥っているように見える。

これを眺めることで、ほんとうに心を揺さぶられるファンがいるのか、アイドルを眺めることで生きる活力を得るという自分の無垢さに遭遇するファンがいるのか、疑問。舞台演出のここが素晴らしい、とか、このダンスシーンにはこれこれこういう意味があるんだ、とか、言葉を駆使すればその魅力を他者に教えることがあるいはできるのかもしれない。けれど、ほんとうにこの作品に魅力があると感じているのか、自分を騙すことは誰にもできない。自己を偽る言葉とは、説得力を持たない。言葉のもっとも強い武器とは、往々にして、真実=本音である。ファン、作り手、アイドルのそれぞれが、ほんとうにこの幼稚な作品に魅力を感じているのか、魅力を感じる人間がいるとおもうのか、甚だ疑問が残る。これを褒めろ、ではなく、称賛しろ、でもなく、この歌の魅力を個々の感慨をもって打ち出せ、と問われたら、一様にして口ごもるのではないだろうか。
とはいえ、スピーカーから流れ出る音楽にはそれなりの魅力があるようにもおもう。作詞家、振付師、映像作家、またそれを演じるアイドルの才能の発揮があれば、良作になったのではないか。

歌詞について、

自分の見知った、他人なのに他人ではないという、その魅力を縦横に語れる存在が、ある日を堺に、まったく関与できないところで、知らない場所で、いつのまにか他人になって行く、自分ではない他の誰かのイロに染められていくという、失恋におけるひとつの日常の機微を、作風の転向を余儀なくされた現在のAKB48のストーリー展開に重ね合わせるように、うたっている。うたっているが、それ以上の感慨は出てこないし、こうした感想を持つこと自体がきわめて安易に感じられるのはなぜだろう。


歌唱メンバー:浅井七海、大西桃香、大盛真歩、岡田奈々、岡部麟、小栗有以、小田えりな、柏木由紀、倉野尾成美、坂口渚沙、下尾みう、田口愛佳、谷口めぐ、千葉恵里、福岡聖菜、本田仁美、向井地美音、武藤十夢、村山彩希、山内瑞葵

作詞:秋元康 作曲:シライシ紗トリ 編曲:シライシ紗トリ