SKE48 高田志織 評判記

「誰かのせいにはしない」
高田志織、平成2年生、SKE48の第一期生。
AKB48・第二期生としてデビューした高田彩奈の実妹。
現在の、令和のアイドルシーンの主流を歩むトップアイドル連中と並べ比較しても、その美しさはまったく損なわれることなく、変わらず、群を抜く。剛直であり可憐でもあるという、ファンの平静を奪うエロチシズムに溢れたアイドルで、カウンタックな美の持ち主、と云える。後日の話をすれば、SKE48の3代目センターとなる北川綾巴は、この高田志織の系譜に連なる登場人物と呼べるだろう。
このひとは、一見、穏やかな佇まいをしているが、荒野の戦士のような雄々しさ、威圧感を具えている。美人だけれど、生きることの妥協点を作ることに抵抗感を示すような、強さをもっている。会話の際、相手の眼をじっと覗き込む大胆さがあり、その容貌も相まって、ファンを動揺させつつ、虜にした。美人なのに、そこに自意識が向かわずに、明け透けに、放胆に振る舞うアイドルで、好感を誘った。
そうしたギャップを披露するからだろうか、一部のファンからは、反抗的なアイドルだ、と誤解され、批難される場面も少なくなく、なかなか葛藤したようである。素直に、思いついたままに行動することができない、という屈託を意識的にしろ、無意識にしろ抱いてしまったのか、シーンにおいてトップクラスのビジュアルの持ち主であるのにもかかわらず、高田志織のアイドルとしてのキャリアは芳しくない。約5年間、グループアイドルを演じたが、表題作の歌唱メンバーに選抜されたのは、わずか2回、と順位闘争を前に苦戦を強いられている。
このひとには揺らぐことのない魅力がある。しかし、それがシーンのトレンドとうまく合致しなかった。
高田志織の魅力とは、日常生活においてけして手の届かない存在に、会える、触れられる、という奇跡・感動の体験にある。会えるアイドル、といえば、AKB48を代表とする、今日のグループアイドル全般を指し、特別めずらしい話ではないが、肝要なのは、手の届かない存在、この点にある。
AKB48のアイドルの印象、またその魅力を問われた際にまず思い浮かぶのが、身近さ、になるのではないか。自分と似た、自分とおなじ日常の香気をそなえた、身近な存在が芸能界に羽ばたいていく、夢を叶える、というサクセスストーリーにファンは一喜一憂することになった。つまり気軽に「会える」から「アイドル」が身近な存在になった、と唱えるアイドル観、ファンチャントは、あるいはおおきな勘違いかもしれない。AKB48ひいてはSKE48に所属するアイドルの多くが、それぞれ生まれながらにして「身近な存在」だったはずなのだ。ゆえに、彼女たちの手に触れることは神秘的体験にはなり得ない。自分とどこか似た存在に触れることは、再会の喜び、のようなもので、そこに、日常とは別の場所に見出す「奇跡」は、きっと、感じ取ることができない。
高田志織とは、こうした身近な存在としてのアイドルたちと一線を画した、ファンの日常生活から遠く離れた、日常において手の届かない憧れの存在、陳腐な表現を用いれば、マドンナ、であり、つまり彼女に触れることは、非日常の体験=奇跡・感動にほかならなかった。
説明するまでもなく、こうしたアイドルの有り様をグループの戦略として打ち出したのが『太陽ノック』以降の乃木坂46なのだが、乃木坂46の成功とは裏腹に、ファンに身近さを伝える同期の少女たちが、ファンに支えられ、アイドルの飛翔を描くなか、高田はその境遇に敗北し、シーンの暗がりを歩むことになった。
総合評価 63点
アイドルとして活力を与える人物
(評価内訳)
ビジュアル 14点 ライブ表現 12点
演劇表現 11点 バラエティ 13点
情動感染 13点
SKE48 活動期間 2008年~2013年
2022/05/12 本文を一新しました