乃木坂46 桜井玲香 評価

乃木坂46

桜井玲香 (C) クランクイン!

 「不毛の覚醒」

「そうだ。不眠は眠れないという意識からもたらされる、なんの目的もない目覚めの状態だ。不毛の覚醒。それから脱却したいと心から願いつつも、どうしても逃れることのできない闇のなかの目覚め。地獄のような覚醒。そうした不眠地獄から脱出できる出口は、眠りという扉しかありえない。それなのに、その扉が奪われているのだ。眠れぬ夜、われわれは覚醒を強いられておる。眠りがない以上、その目覚めには果てがないし、もはや、はじまりも終わりもない…」

笠井潔「哲学者の密室」

桜井玲香、平成6年生、乃木坂46の第一期生であり、初代キャプテン。
きわめて飄々としたアイドルを作る人物だが、偏執や固執の裏返しに発露される、石を浮かべて木を沈ますユニークさと枯淡、これはキャプテンという役割を意識的に看過したとしても、乃木坂46の描く人間群像を成立させるための重要なピースになった、と云えるのではないか。とくに、常に機嫌の良さを見失わない彼女の性格は、菖蒲色の原料にもなっている。
桜井玲香は繊細なモノローグを露出する機会が受動的にしろ、能動的にしろ、極端に少ないアイドルである。とくに、偶像の曖昧さは堀未央奈の「恬然」を凌ぎ、シニカルでさえある。彼女を眺めていると、ミストに覆われた町の中で、あらゆる行動選択を宿命的にあやまる登場人物を描くSF映画を観ているような気分に陥る。真っ白な霧の向こう側に潜む、他の星から来た得体の知れない”なにか”の一部分を目撃したときの不気味さと唐突に描出される浮遊や奔放は、観者を途方に暮れさせる。彼女は、日常を演じる行為、青春犠牲を通過する際に否応なく遭遇する喪失、つまり成熟に至る過程で、不眠状態に苦渋するアイドル特有の無感動や無関心を獲得したようだ。ファンの眼前にハッキリと映し出される、”なんの目的もない目覚めの状態”、しかしアイドル本人は、あくまでも飄々としている、だからシニカルに映ってしまう。この桜井玲香の横顔が、乃木坂46の物語、ともすれば、平成の暮れに書かれたアイドルシーンの苦悩の象徴になったことは、シーンのもっとも眩しい場所に登りつめたグループのキャプテンとして、その役割を果たした、という評価を浴びると同時に、皮肉の結実を描いた、とも云える。なぜなら、それはグループの最初の主人公=生駒里奈の指し示した希望の在り処、それを曇らせる展開への予兆と機能したのだから。

アイドルとして、彼女の「名」は完璧と云えるだろう。名は体を現す。乃木坂46のつくるイメージにこれほどまでに合致し、象徴となる存在は他にいないのではないか、とすらおもえるほど、文句なしの名前である。キャプテン就任へのひとつの要因に「名」があったことは容易に想像できる。その「桜井玲香」のアイデンティティに、演技やライブパフォーマンスを挙げる声が多いようだ。たしかに、演劇舞台の上では、日常を演じる際に抑え込んだ欲と衝動をしみ出した切迫感ある表情を作り、ライブステージ上では、検証や批評といった空間を提供する踊りを披露している。しかし、如何せん表情が硬い。とにかく引きつって見える。この拙さは減点対象になる。彼女の作る強張った表情を「鋭利」と表現し、無償の賛辞を贈るのは容易いかもしれないが…。桜井玲香の演劇にはフィクティブな批評を生む求心力が致命的に欠如しており、彼女は自身を主人公に置く物語を舞台装置の上で書こうとする意欲をまったく投げ付けない。乱暴に云ってしまえば「桜井玲香」という舞台女優には、アイドルには、ストーリー性を感じないのだ。引きつって硬直した姿形は、どの演劇舞台でもまったく同じ”顔”を持った登場人物を映し出す。良くも悪くも、デビューから7年以上経過してもビジュアルに対する批評空間に白石麻衣や与田祐希のような物語の場面転換を報せる歪みが生じないのは、この”役者”に成り切れない硬直さをみるからだろう。
桜井玲香の表情が引きつって見えるのは、そこに影のように付いてはなれない苦渋=不眠、哲学者の密室的な”不毛の覚醒”の濃さがあるからではないか、とおもう。アイドルを演じながら、「アイドル」としてのみならず、「人」としての成熟を迎えることが常となった筐体の渦において、アイドルを演じる少女たちが眠りという扉、つまり別の世界へ移動するための空扉を奪われた状態に苦しむのは当然の成り行きと云えるだろう。そして桜井玲香の苦渋には、アイドルを演じる毎日だけでなく、その上に重なったキャプテンという悲喜劇的なキャラクターへの演じ分け、大仰に云えば政治的役割がある。
桜井玲香のキャプテンとしての資質を問うのならば、それは幸運の一言に尽きる。放任主義という意味におけるリベラルを貫いた彼女が、それでも一定の称賛を受け、理想のキャプテンとまで呼ばれる理由は、単に彼女がラッキーであった、とするほかない。要は、乃木坂46とは、並みなみならぬ個性を抱えた少女たちの集合であるから、放任し、各人の才能に任せていれば、それなりの戦果を持ち帰ってきてくれるわけである。キャプテンが少女たちの物語に介入せずとも、才能豊かな彼女たちはたくましく成長する。それが桜井玲香の手柄にも映るのだから、やはり、幸運、と表現するほかあるまい。
つまり、桜井玲香がキャプテンを務めることでアイドルの物語になにがしかの強い影響が及んだのは、彼女を囲む仲間たちではなく、桜井玲香本人と云えるわけである。彼女は、アイドルグループの「キャプテン」、つまりエンターテイメントを描く過程で、与えられた役割を真剣に担い、必然にすり替える試みを通過することでポリティクスに対する強烈な自覚を開花させたようだ。イニシアティブこそ貧弱なものの、女学生固有の天真爛漫さとお嬢様感を抱えて虚構の扉を開いた少女は、周囲に警戒や迫力を投げつける「洞察」を可能とする「剣呑」を懐に忍ばせた人物へと成長した。獲物の心臓を槍で突き刺すような桜井の洞察力とは、純粋無垢な期待感と批判に満ちた環境(境遇)のなかで、自我を獲得する過程にある少女が、出口が入り口につながっている暗いトンネルをくぐり抜けるために、ではなく、生き抜くために、前も後ろも見えない砂嵐の中で拾い上げた武器なのだ。しかし、この頼もしい「得物」はアイドルの立ち居振る舞いを倒錯に導く。桜井玲香の”機嫌の良さ”を見失わない日常は「指導者」にとって必要不可欠な資質の徴と呼べるが、彼女の組み立てる鷹揚とは、アイドルとしては逸脱した”業界ノリ”を観者に投げつける科白の逆転でもある。アイドルは、言葉の選択をひとつ間違えるだけで、そのたったひとつの科白が、ファンの空想の翼をもぎとり、心から幻想を追い払ってしまう。成熟と喪失を通過して”大人”になってしまった彼女の「得物」による一突きは、架空の世界に容易くヒビを入れる。「桜井玲香」のアクチュアルな横顔を”アイドルの破綻”と描写してしまったらやはり大仰に映るかもしれないが…、この破綻を「乃木坂らしさ」と表現して言い逃れる癖は、自己超克を阻む要因になった、と云えるだろう。

バルザックの十三人組「人間喜劇」において人物再登場の手法は、一人の登場人物が近代社会の様々な局面において、一つ一つの作品でまったく違った相貌をみせるために用いられている。

福田和也「現代文学」

キャプテン・桜井玲香は乃木坂46(第一期生)=群像劇の主要登場人物であり目撃者でもある。乃木坂46に所属するアイドルたちの書き連ねる、それぞれの物語のなかに再登場する桜井玲香は、自身を主人公とした本篇では書く必要を自覚できなかった「相貌」をみせているはずだ。ある物語では、自我の檻に閉じ込められ絶望と孤独を抱えた少女として登場し、ある物語では、旺盛な人間への興味と、性や恋愛を超えた絆や触れ合いに憑かれた女性として再登場する。桜井玲香本人の物語だけではなく、彼女の同士たちの書く物語を根気よく読み解く行為により、はじめて、霧に包まれた「桜井玲香」の全体像が浮かびあがり、その輪郭をなぞる行為が許可されるのかもしれない。もちろん、このような過程を経なくてはアイデンティティが絡む物語を提示できない、というのは、グループアイドルとしては正しくとも、キャプテンとしては”頼りのない甘え”に映るだろう。誰であろうと、何時だろうと、皆、朝は眠い。現代でトップアイドルを演じることになった少女を襲う、この当たり前の道理と境遇を彼女は他の誰よりも先に理解しなくてはならなかったはずだ。なによりも、不毛の覚醒から脱却しようとする際の足掻きを、心の闇をさらけ出す醜態を作らなくては”ならなかった”はずだ。

 

総合評価 66点

アイドルとして活力を与える人物

(評価内訳)

ビジュアル 14点 ライブ表現 14点

演劇表現 14点 バラエティ 11点

情動感染 13点

乃木坂46 活動期間 2011年~2019年

 

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