乃木坂46 4期生ライブ2020 を観た感想

ブログ, 乃木坂46

(C)オリコンニュース

「再会」

先日、ある劇団の、ある舞台のオーディションに審査員という立場で参加した。友人でもある劇団主宰者から、今回のオーディション応募者は10代の女性がメインだと告げられ、なるほど、とおもったが。しかし私は、過去に、小説の下読みの経験こそあれど、オーディションなるものを経験したことは一度もない。(もちろん、メジャーアイドルのオーデションと比較すれば、きわめて小規模なものなのだろうけれど)当日を迎えるまで、期待よりも緊張のほうがおおきかった。
細かい過程は省く。当日。会場には私を含め審査員が5名おり、それぞれが、審査を通し、”これは”とおもった応募者を1名選び、その5名の少女をさらに2人までに絞る、とのことだ。審査員が挙げた候補者に重複があり、結果的に4名の少女が眼の前に並べられ、最終審査が行われた。残念ながら私が選んだ少女は合格しなかった。そこで私が自覚した感情とは、自分が選んだ応募者に対する「執着」である。なにがなんでも押し通したい、この少女を合格させるべきだ、という執着心である。この感情は、オーディションというものに、「可能性」を選ぶという行為に馴らされていない人間特有の稚気なのだろうか。いや、おそらく違う。きっとこのようなこだわりは、ありとあらゆるオーディションの審査員に常に付きまとう、情動を揺さぶる厄介な火種なのではないか。自分が選んだ少女がその後この世界で活躍したら、大成したら、と一度でも想像してしまったら、この卑小な欲から逃れることなど誰にもできないだろう。いやしかし、”彼女”とまたどこかで再会できる日がたのしみだ。

さて、前置きが長くなってしまったが、再会といえば、昨日、画面越しではあるものの、久しぶりに乃木坂46の第4期生と再会した。私は最近、アイドルとは”再会”すべき存在だと考えるようになった。一度徹底的に眺めてみたら、しばらくのあいだ距離を置くのだ。そうすれば、その後再会が果たされたとき、以前発見することができなかったひかりを見出だせる。毎日のように”彼女”を眺めていたら、”彼女”の成長に気づく、これはなかなかむずかしい。だから、再会の日をたのしみに、距離を置く。しかし、当然と云えば当然だが、そのような「期待」がかならずしも叶えられるわけではない。
『4期生ライブ2020』を観た感想を正直に述べれば、期待した成長はほとんど見られなかった。想像を裏切る出来事もなかった。むしろ、アイドルの踊りが”いつも以上”に拙く感じた。理由は明白で、近い過去に観賞した配信ライブに『欅坂46 THE LAST LIVE』や『HINATAZAKA46 Live Online,YES!with YOU!〜“22⼈”の⾳楽隊と⾵変わりな仲間たち〜』があり、おなじテーブルの上に並べるべきではない作品と無意識に比較してしまっているからだろう。さらに砕いて云えば、アイドルの踊りの拙さが気になって楽しめない、これは、要は構成に足を引っ張られているからである。今回のライブは、舞台装置からなにからなにまで、とにかく構成が安っぽくアイデアがない。場面展開に乏しい。もし作り手のすべてがこの出来栄えに満足しているのだとしたら…。まともに見れたのは、筒井あやめを「センター」に配置して披露した『僕の衝動』くらいのもので、急ごしらえの舞台装置に頼るのではなく、踊りや表情で楽曲を表現しているように感じた。狭い空間での作品づくりを強いられたのならば、アイドルの踊りを軸に、誤魔化しなく、小細工などせずに構成を組み、さらけ出すべきなのだ。
アイドル個々の評価に話題を移せば、しっかりと踊りを作れていたのは、『僕の衝動』における筒井あやめ、楽曲全般を通して田村真佑、この2名くらいだろうか。また、4期生楽曲『Out of the blue』は、おそらく、他の楽曲以上にレッスンを重ねたのだろう。それぞれのアイドルがそれなりに踊れているように感じられた。
しかし一方で、このような拙さのなかにグループアイドルの第1期生特有の群像を、成長への膨大な余白を目撃してしまうのも、やはり事実なのだ。なにかあたらしいものを一から作り上げる際の一体感、高揚感ならば、画面越しに眺めているだけの人間にもたしかに伝わってきた。

2020/12/07  楠木

 

NGT48 對馬優菜子 評価

「思いの強さが通じる」 對馬優菜子、平成13年生、NGT48のドラフト3期生。 ...

乃木坂らしさ とは

「乃木坂らしさ」 美しい「花」がある、「花」の美しさといふ様なものはない。 小林 ...

乃木坂46 掛橋沙耶香 評価

「ピカレスク・ロマン」 掛橋沙耶香、平成14年生、乃木坂46の第四期生。 『図書 ...