欅坂46 長濱ねる 評価

欅坂46

長濱ねる1st写真集 ここから (C) 細居 幸次郎 /講談社

「トンネルの彼方へ」


現代アイドルとして、すべての分野においてトップクラスの実力を兼ね備えた人物である。まず、地頭が良い。バラエティでの一挙手一投足にも不快感はなく、涼やかな雰囲気を放ち、
まるで洗練された都会の街路樹を見上げながら散歩しているような心地に浸らせる、なんともエリート感の漂うアベニューなアイドルである。語彙力が豊富であり、文章が巧い。彼女の描写は、自身のアイドル像の映し鏡であるかのように、スマートで障害物がない。眠れる美女として保存しておくことすら許されない長濱ねるの抱える”全能感”は、高井つき奈のように周囲の人間を情動によって正しい決断を下せない状況に追い込んだ。その結果、自身も趨勢や運命に翻弄されるが、”ひらがなけやき”から”漢字欅”への移動、1.5期的な役割での立ち回りをみてわかる通り、彼女は、どのグループでも、どのポジションに置いても、どんな境遇においても、一定の、期待通りの成果を挙げる稀有な資質の持主と云える。
ファンに対しても活力や心強い励ましをしっかりと発揮している。デビューから一貫して、アイドルとしての魅力が色褪せないというのは称賛に値する。

青木は勉強のよくできる男でした。大抵は一番の成績を取っていました。僕の通っていたのは男子ばかりの私立校だったんですが、彼はなかなか人気のある生徒でした。クラスでも一目置かれていたし、教師にも可愛がられていました。成績は良いけど決して偉ぶらず、さばけていて、気楽に冗談なんかも言うって感じです。それでちょっと正義漢みたいなところもあって…。でも僕はその背後にほの見える要領の良さと、本能的な計算高さのようなものが鼻について、最初から我慢できなかったんです。具体的にどういうことかと言われても困ります。具体的な例のあげようがないわけですから。ただ僕にはそれがわかったんだとしか、言いようがありません。僕はその男が体から発散するエゴとプライドの匂いが、もう本能的に我慢できませんでした。誰かの体臭が生理的に我慢出来ないのと同じことです。青木は頭のいい男でしたから、そういう匂いをたくみに消し去っていました。だから多くの級友は彼のことをなかなか良いやつじゃないかという風に考えていました。僕はそういう意見を耳にするたびに(もちろん余計なことは何も言いませんでしたが)なんだかすごく不快な気分になったものでした。

(村上春樹「沈黙」)

アイドルを演じるという行為は、虚構を作り上げる作業である。虚構とは嘘をつく行為であるが、「事実をねじ曲げるようなウソ」という意味ではない。しかし、長濱ねるが作り上げるそれは虚構ではなく「事実をねじ曲げるウソ」ではないか、と思う。この疑問や不信感を抱いてしまう筆者の心理とは、長濱ねるの躍進やエリート感に対する大衆心理から生まれる通俗的な嫉妬なのかもしれない。それだけ長濱ねるの立ち居振る舞いとは要領が良く、巧妙なのだ。だから、こういう人間を批判すると、大衆に袋叩きにあうリスクがある。しかし、やはり、長濱ねるというアイドルがみせる笑顔の裏にはどうしても隠しとおせない「体臭」があると、私は確信してしまうのだ。

田舎での未来を窮屈に感じ、親の反対に逆らい上京、そしてスターになる。
こういった経緯、物語は陳腐ではあるが、実存するエピソードでもある。例えばレイモンド・カーヴァーや、ブルース・スプリングスティーンが代表する「アメリカの小さな町」からの脱出。「こんなことをして人生を終えたくない」というイデオロギー。
長濱ねるが設定した物語、メッセージも彼らと似ている。決定的に違うのは、その成し遂げたことへの、達成感への捉え方だろう。レイモンド・カーヴァーはこれを純粋な奇跡として捉え、謙虚さを失わずに、実直な生活感覚を失わない資質があった。
長濱ねるは、自身のこれまでのストーリーにどれだけ「奇跡」を感じているのだろうか?私には、現在の彼女の姿は、”当然の成り行き”に映る。彼女は風に吹かれて飛びまわるシャボン玉を奇跡の遭遇と捉え、それを真実の魔法として描写することができるだろうか?

現状の長濱ねるを採点すると、アイドル史に名前を残すアイドルまであと一歩といったところか。しかし、あと一歩というのは実は一番遠い距離でもある。出口の光に向かって真っ暗闇のトンネルのなかを走り抜けようとするときみたいに、ながく遠い。

 

総合評価 78点

アイドルとして豊穣な物語を提供できる人物

(評価内訳)

ビジュアル 17点 ライブ表現 14点

演劇表現 15点 バラエティ 17点

情動感染 15点

 

けやき坂46、欅坂46 活動期間 2015年~

評価点数の見方