AKB48 高橋朱里 評価

「なぜAKBはかくも幼稚になったのか」
アイドル・高橋朱里は現在では稀有となった、矜持を含んだグループ愛、という精神の持ち主である。パトリオティズムと呼んでもいいだろう。これはグループの立ち上げ時などの黎明期を体験したアイドルに備わる精神でもある。しかし、高橋朱里は第12期生である。アイドル史に銘記されるようなトップアイドルから、朝露のように儚く消え去ったアイドルまで、彼女たちの歴史の上に自身が立っている自覚を、確かなイデオロギーを、高橋朱里からは未熟ながらも感じ取ることが出来る。
現在のAKBグループを見渡すと、冗談話にすらならないほど、アイドルが幼稚化(コンテンツとしての質の低下)している。清楚さや儚さなど露程もみせないし、ファンと成長の共有を喜ぶという姿勢すら皆無である。自ら進んで量産型フィギュアという型に収まり、商品棚にキレイに配置されていく。それが没個性ではなく個性的だと確信している。グループアイドルとして、グループの”血”を継承しようという試み、闘争が不在している。切った張ったの縄張り争いが存在しない。
「本来の個性というのは「縦」の個性でなければならない。自分より、強いもの、大きいものとぶつかり、圧倒され、抗い、コテンパンに叩きのめされながら育まれていくものこそが、本当の個性の名前に値するのだ。より高く、より強く、より洗練されたものへと向かっていこうとする意志だけが、人に独自なものを与えるのである」
(福田和也「「なぜ日本人はかくも幼稚になったのか」」)
高橋朱里はこの「縦の個性」をもっている数少ないアイドルである。ただし、現状はコテンパンに叩きのめされて、そのままそこで終わってしまっているのだが…。パトリオティズムというものをアイドルのキャラクターにしてしまうことはクライシスの訪問になるかもしれない。より高く、より強く、より洗練されたものへと向かっていこうとする意志の結果として、”グループ愛”=”個性”がファンの目の前に立ち現れるのだから。誇りと責任こそがアイドルに豊穣な物語を書かせる原動力となる。
総合評価 64点
アイドルとして活力を与える人物
(評価内訳)
ビジュアル 12点 ライブ表現 12点
演劇表現 15点 バラエティ 13点
情動感染 12点
AKB48 活動期間 2011年~