AKB48 佐藤妃星 評判記

AKB48

佐藤妃星 (C)ザ・テレビジョン

「レット・イット・ビー」

佐藤妃星、平成12年生、AKB48の第十五期生。
正統派アイドルと呼ぶべき数少ない存在。近年は、やや耽美への傾倒を見せており、成長と引き換えにして生来の純粋無垢な輝きを忘失するのではないか、という気配を窺うものの、現代的な距離感ではなく、近代的な視点において、アイドルの”ジャンルらしさ”と合致した、稀有な存在である。
それはたとえば、古典的な相貌と佇まい=王道感という意味において渡辺麻友の系譜を想わせる。ビジュアル一点において渡辺麻友とのシンクロニシティを描くのは西野未姫なのだが、佐藤の場合、アイドルの有様そのものが渡辺と共時している。アイドルとしての存在感、日常の佇まいそのものにおいて孤独を投げつける渡辺に対し、佐藤はその渡辺の孤独感をバラエティショーのなかで描出する。
彼女が喜劇の内で流す涙とは、アイドルを演じる少女がその場にいる誰からも理解されていないという事態を暴き出すような、無関心をあぶり出す涙、であるようだ。
アイドルが涙を流す、これは特別な出来事ではないし、まったく珍しい場面ではない。嬉しかったり悲しかったり、カメラの前で緊張してしまったり、とアイドルの描く喜怒哀楽にファンは良くも悪くも馴れてしまった。だが佐藤妃星が泣くとき、そのたしかな理由を発見できる者は一人もいない。彼女の周りに立つ、お笑いタレントも、カメラマンも、仲間のアイドルも、作り手のすべてが彼女の涙の理由を誤解している。彼女の涙の理由は我々の想像の範疇外にあるのではないか、という疑問を抱けるのが、ほかでもない彼女のファンであり、そうした探究心をファンに与えることができる、希求力をもつ、という点こそ「佐藤妃星」の魅力なのだろう。
この、無関心・無理解に囲まれたとアイドルが自覚する際の孤立感が渡辺麻友の横顔と響き合っているのだが、おそらく、渡辺麻友を鏡にして映し出されるものを涙の理由に探るのならば、それは自分ではないなにものかを演じることへの強い葛藤、またその見知らぬ存在がほんとうの「自分」だと誤解されてしまうことへの反動なのだろう。ただ、そうした不安や戸惑いを仕舞い込むには、佐藤妃星の身体はあまりにも頼りなく、小さく見える。だが、その可憐さの発光こそ、渡辺麻友的であり、古典と有機的に結びつく儚さと云えるのではないか。
アイドルとして有する実力も文句なしで、とくに踊りに関しては間違いなくトップレベルの表現力をもっている。彼女の踊りは、”前回”のステージから、今回、どのような表情の変化を見せるのか、というフェーズに立つ。「アイドル」に生命力が宿っており、アイドルを演じることができない、と嘆く日常の葛藤を蹴り上げるような躍動感がある。「アイドル」を演じることに対するアプローチがやはり古典的であり、ステージの上でこそアイドルを演じるべきだ、物語るべきだ、という姿勢の強さには目をみはるものがある。ビジュアル、多様性、ライブ表現力、自身の情動をファンに感染させてしまう立ち居振る舞い…、まさしく、グループアイドルを組み立てる多くの要素に対しトップレベルの実力を備えた稀有な登場人物と呼べるだろう。
ただ、その資質の高さ=膨大な可能性の余白に対し、デビューからこれまで、ほとんど注目されていない。話題性に乏しい。渡辺麻友を下敷きにしつつ、自分ではない何者かを演じろと迫るシーンに向ける悪逆さ=レット・イット・ビーという意味では星野みなみ、大園桃子のハイブリッドといった感のあるアイドルだが、こうした才能が朝露のように消えてしまうであろう予感、常に「卒業」の二文字への胎動を伝える点からも、谷口めぐとならび、シーンの消長を問う存在と云えるかもしれない。

 

総合評価 70点

アイドルとして豊穣な物語を提供できる人物

(評価内訳)

ビジュアル 13点 ライブ表現 15点

演劇表現 11点 バラエティ 16点

情動感染 15点

AKB48 活動期間 2013年~

2021/08/02  大幅に加筆・修正しました

 

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