AKB48 武藤十夢 評判記

「ダークナイト」
武藤十夢、平成6年生、AKB48の第十二期生。
深窓の令嬢的な佇まいをもったアイドル。同時に、同性が恋に胸を焦がすような騎士の風貌も具える。
乃木坂46の象徴に「リセエンヌ」を描いたと語る秋元康のインタビュー記事を読んだとき、その言葉の持つイメージが駆けめぐり、導き、たどり着いたさきには、武藤十夢の後姿があった。乃木坂46が誕生した2011年に、武藤十夢はAKB48の第12期生としてデビューしている。デビュー当時の武藤十夢がみせる、アイドルの距離感のつくり方は、AKB48においては異端に映った。それは乃木坂46がスケッチする立ち居振る舞いに近かったようにおもう。修道院で暮らす修道女のように、清楚に見えるが実は豪快に笑う、そんなタイプの少女。武藤十夢は、乃木坂46に所属するアイドルたちとほとんど同じスタート地点に立っていた、とつよく感じる。
この、乃木坂46のアイドルたちと同じようにリセエンヌであった少女が、乃木坂46とは異なる道を歩み、AKB48のなかにあって異質な存在感を放つフランスの女学生的なイメージをダークナイトへと塗り替えていく光景は、アイドルシーンのメーンストリートがAKB48から乃木坂46へと移行する瞬間とかさなるのではないか。
境遇とは人を変える。性格とは、生活で変わるものだ。武藤十夢というアイドルにとって、彼女の性格をもっとも決定づけた”境遇”とは、「田野優花」に外ならないだろう。
武藤のまわりを縦横無尽に躍動する田野優花。彼女の圧倒的な存在感を前に、少女であった武藤が作り上げる虚構の底に、沈鬱で、大きくて歪んだ影がさしたのは容易に想像できる。天真爛漫な主人公とお嬢様感のある親友、ライバル、良き理解者、という構図は、少女漫画的には文句なしに満点だ。しかし、この完璧な”人物設定”も武藤十夢本人にしてみれば、とても演りきれない、屈辱だろう。だが皮肉にも、この武藤の抱え込んだ屈託、田野に向けるフレネミーは、武藤十夢と田野優花が”つがい”であることの証明にもなっている。
グループアイドルにとって、自身の物語の中に”つがい”となるべき人物が登場する、これはアイドルとしての成功を約束するものであり、豊穣な物語への兆しである。”つがい”とは、常に順位闘争のもっとも激しい場所で戦うライバルを意味するが、けして敵ではない。心を許し合う友人でもない。あらゆる場面で共存を強いられる関係だが、もし、片方が戦場で倒れたのなら、そのまま見捨て、自分だけ光りのある方へ向き直らなければならない。”つがい”こそ言葉の真の意味で「稚気」を作る原動力であり、前田敦子と大島優子以降、宿命的に、選ばれた一握りの少女たちの物語に降る、人間喜劇の核である。
たとえば、武藤と田野の稚気とは、東野圭吾の『白夜行』的なイロをしている。田野を眺めることで武藤の良さがわかるし、武藤を眺めることで田野を理解できる。互いの行動によって、不鮮明な少女の輪郭が読者の前に描かれて行く、といった構図をみせている。ただ、こうした視点はあまりにもご都合的で、実際には、田野優花の圧倒的な主役感がもたらす未知の可能性、不気味さに対し、武藤は拒絶を示す場面も多かったようだ。武藤からすれば”つがい”が田野である必要はどこにもないのに、田野からすれば武藤こそ”つがい”であるべきだ、という確信が、武藤にフレネミーを宿らせたのかもしれない。この、一方の少女による約束されない献身によって、もうひとりの少女が支えられるといった稚気はグループの数ある物語のなかでも独特な魅力をもっている。
武藤十夢が誰かと並ぶと、それを眺める人間は、武藤の隣りに座った人間の魅力を拾い上げ、目がはなせなくなってしまう。武藤は、他者の潜在能力を引き出す資質を有している、と云ったらこれは漫画的にすぎるが。田野優花という暴れ馬が彼女に懐き、武藤もまたその存在に身を委ねることを可能にした背景には、とびきりに稀有な資質の発揮があったのは間違いないだろう。なによりも、武藤の存在によってAKB48のあたらしい主人公としての強い個性を引き出された田野が、その武藤に抱きつくことによって、アイドル・武藤十夢のリセエンヌ=異質さという意味における乃木坂感が強調されアイデンティティが確立されて行くのだから、おもしろい。
とすれば、武藤十夢にとって、田野を欠落することはリセエンヌの欠落でもあったのだ。つまり、彼女がリセエンヌからダークナイト然としたアイドルへと変貌を遂げた瞬間とは、田野に対する屈辱を掲げた瞬間ではなく、逸材であった田野優花がアイドルとしての可能性のすべてを喪失し、グループそのものが隘路に踏み込んだ瞬間と云えるだろう。
田野優花卒業後、武藤が描く表情はとてもやわらかい。軸のしっかりとした、安定したダンスも魅力的で、新米アイドルたちと一線を画している。それはアイドル・武藤十夢そのものに抜群の安定感をもたらしている。妹の武藤小麟との掛け合いの際に見せる気恥ずかしさや、豪快に笑う姿にはたしかに希求されるものがある。憑き物が落ちたように、彼女は、清々しい表情をしている。ただ、それをアイドルの素顔と扱うことはむずかしいようにも思う。自然体と素顔、これはまた別の話題、異なる魅力なのだ。
田野卒業以降の武藤は、田野の前で描いた自己否定の表情、これは絶対に認めたくない、という心の醜い部分を抑えきれず表に出してしまうといった場面を一度も作らない。どこか、常に流れに身をまかせてシーンを漂っているように見える。アイドルを演じることへの決定的な諦念があるわけでもなく、葛藤や苦悩を内在した表情や言葉をみせるが、それに反抗しないまま、膝に手をあて、屈んだまま流されているように見える。
総合評価 63点
アイドルとして活力を与える人物
(評価内訳)
ビジュアル 14点 ライブ表現 15点
演劇表現 8点 バラエティ 13点
情動感染 13点
AKB48 活動期間 2011年~
2021/07/25 再評価、加筆しました