AKB48 村山彩希 評価

AKB48

村山彩希 (C) UTBアップトゥボーイ265号

「ロード・オブ・ザ・アンダーグラウンド」


キュートでドラスティックなアイドルである。悲しみよりも、怒りを先に抱いてしまう仕草
をみせる。「アイドル」の内部で起 こるであろう変化を決して安易には汲み取らせまいとする隔たりのある笑い顔を、みせる。その笑顔は、アイドルが死屍累々と転がっている、常闇のようなグループのなかに渦巻く、衰退と崩壊への前兆を払拭する英雄として、現代アイドルに対する固定概念を覆す革命児として、きわめてたかい可能性を感じさせる。アイドルの”演技”において、もっとも重要な資質とは「日常の提出」である。日常を演じるというのは、虚実を超越した独特のリアリティーを表現する、ということである。彼女の作り上げる虚構(もう一つの別の世界)の中には、現実世界の風景(村山彩希の日常)がちりばめられ、現実との境界線が意図的に消されている。陳腐な”アイドルらしさ”と乖離した立ち居振る舞いをみせる村山彩希こそ、グループにおいてもっとも高い次元でアイドルを演りきっているのである。村山のアウトロー的な立ち居振る舞いが王道へとすり替えられていく光景への胎動は、部活動感覚でアイドルを演じているアマチュアアイドルの夢を、希望を毀損するだろう。

拾ってもらう事を願うのとは違う 誰も出来ないと言う道を敢えてやっていきたいんだ この世界でやっていこうと思っているんだったら 一度ペンを持ったんだったら 痛い、痛いって泣き言云うな シーンはどんどん小さくなればいい またそこからはじめればいいだろう

THA BLUE HERB「アンダーグラウンドVSアマチュア」

村山彩希のファンとの物語の作り方というのは、古くもあたらしくもない。ただ、異端と、臆病者と嘲笑される物語。「笑いたい奴らには笑わせておけばいいさ」(*2)と云う物語。だから、彼女に向けるクリティークは彼女のことを”知っている”人間にだけ届けば良い、と黄昏れさせる。そのようなストーリー性の保持は村山彩希を「オーヴァーグラウンド」ではなく「アンダーグラウンド」として屹立させる。もちろん、アンダーグラウンドとアマチュアを混同してはいけない。アンダーグラウンドとはアマチュアに絶望感を与える存在である。文芸という分野での実力者とは、いつの時代でもアンダーグラウンドに生息する。そこでホンモノを見抜く資質をもつ同業者と観客から高い評価を受け、支持をされてきた。村山も青に染まった舞台の上から彼らだけに対し、内に秘めた科白を吐露する。「楽に刀抜かず同じ言葉で笑」い、「ぬくもりに溶けず、寄りかかりもせず、青白く燃える」。(*1)その炎は観客の心の底に転がって放置されたままの、冷たくて丸い塊を溶かしていく。それは、アイデンティティの喪失かもしれない。”誰も出来ないと言う道”を成し遂げようと抗うのはアイデンティティの獲得ではなく、アイデンティティの喪失なのかもしれない。闘争ではなく逃走と揶揄される光景かもしれない。しかし、アイドルも観客も、その炎によって自我が燃え落ちるのを自覚している。少しずつ溶けてなくなって行く氷の彫刻を、白い息を吐きながら観賞するときのように。「輝く季節の中で夢は藍く染まるだろう」(*3)。”あお”が爻わる。ファンがアイドルに求める”儚さ”とは喪失でしかないと思い知らされる。坂井泉水の儚さとは、喪失の体験が成熟に塗り替えられた出来事の徴。明澄なステージの上で、静かに、拒みえない鮮烈さを魅せる「村山彩希」の舞姿は、アイドルの内奥で引き起こされた喪失を共有させる。その空間に漂う、行くあてもない感情への救済、圧倒的な浸透力は稀有のものであり、”伝えたい心には必ず伝わる力”を有している。村山彩希はAKB48グループが作り上げてきたステージ=群像劇、「この世界に踊り続けるしかない」(*4)アイドルのなかで、最高到達点と云える。

善也は黙って田端さんの手をとり、長いあいだ握っていた。胸の中にある想いを相手の手に伝えようとした。僕らの心は石ではないのです。石はいつか崩れ落ちるかもしれない。姿かたちを失うかもしれない。でも心は崩れません。僕らはそのかたちなきものを、善きものであれ、悪しきものであれ、どこまでも伝えあうことができるのです。神の子どもたちはみな踊るのです。

村上春樹「神の子どもたちはみな踊る」


総合評価 91点

アイドル史に銘記されるべき人物

(評価内訳)

ビジュアル 18点 ライブ表現 20点

演劇表現 18点 バラエティ 17点

情動感染 18点

AKB48 活動期間 2011年~

引用:(*1)THA BLUE HERB  The Way Hope Goes
(*2)(*3)(*4)坂井泉水 君がいたから

評価点数の見方