STU48 中廣弥生 評判記

STU48

中廣弥生(C)週間プレイボーイ

「思い出せる恋をしよう」

中廣弥生、平成14年生、STU48の第二期生。
17歳でアイドルの扉をひらく。中学生時代に「アイドル」を好きになり、実際にアイドルの世界に踏み込んだ友人の横顔を眺め、自身も職業としてのアイドルに意識的になったという。だれかに活力をあたえたい、と決意した少女は、そのとおりに、他者の興味をひく話題を途切れずに披露し、少女特有の豪宕さ、とでも云うべきか、独特なリズムとテンションによって公開オーディション当時から、自身に興味を向けるアイドルファンを片端から笑顔にしており、すでに「凡庸」では説明できない資質を投げつけていた。
嫌いな自分を変えたい、あたらしい「自分」を発見したい、ということに全力で、常にごまかしなくファンの前で笑顔を描くアイドルであり、そういった、アイドルを演じる行為に向ける憧憬と、職業としてのアイドル、という手強い現実を前にした葛藤のようなものが混淆して見える点は、ある種のパラノイアを想起させ、中廣弥生自身を個性豊かなキャラクターへと昇華させている。
彼女の会話のリズムとテンションの独特さは、踊りにもよくあらわれている。身振り手振りに大仰なところがあって、奇妙な余韻がある。オーヴァーグラウンドのアイドルで例えるならば、乃木坂46の山崎怜奈の作る踊りと似ている。クセが強い。アイドルの踊りとは、その身体の動き、揺れからどれだけアイドル自身の物語を辿れるのか、という評価・話題に帰結するのだろうから、その意味では山崎怜奈と同じく中廣の奇妙な動作にも、このさき最低限の技術を身に着けたのならば、価値・魅力を見出だせるかもしれない。

だが、問題はもっと別の場所にあるようだ。
デビューからすでに2年経とうとしている。オーディション時の話題を除けば、アイドルとして記録されるべき物語、特筆に値するストーリーを中廣弥生は現在のところひとつも把持しない。やはり、と云うべきか、若手アイドルの可能性を読む際にもっとも憂慮すべき点に中廣弥生も囚われている。5枚目シングル『思い出せる恋をしよう』において表題曲の歌唱メンバーに選抜されはしたが、同作は在籍するメンバーを一箇所にまとめた、俗に云う”全員選抜”を採用した楽曲であるため、正直、快挙とは呼べないし、当然、達成感に乏しい。

現在の彼女を眺めてみると、ファンに向ける顔はデビュー時と変わらず頼もしいものがある。けれどそれは裏を返せば、何も変わっていないように見える、ということでもある。「アイドル」とは成長の物語だとする今日のアイドル観に従うならば、いつまで経っても成長しない、変化がみとめられない、というのはアイドルの才能の有無を暴き出してしまうから、深刻に思える。たしかに、話はおもしろい。けれど、それだけのように感じる。たとえば、トゥルーマン・ショーの観客のように、画面からアイドルが消えてしまえば、その瞬間に主人公への関心があっさりと消えてしまうような、そんな虚しさが中廣弥生にはある。

現在のAKBグループに所属するアイドルの多くを眺めていて痛感するのは、工夫を凝らした作品としてのアイドルつまりフィクションをファンに差し出すのではなく、ただただファンの前で日常を垂れ流し続けるという緊張感のなさによってアイドルが幻想ではなくなってしまっている点である。日々スマートフォンカメラの前に座り、心にわき出た感情をそのまま口に出し、とにかく「時間」を稼がなくてはならない境遇に置かれたこの少女たちは、アートつまり芸術性から最も遠ざかった存在に映る。
フィクションとはウソの世界を作ること、つまり絶対的な創作行為である。説明するまでもなく、毎日、スマートフォンカメラの前に座ってファンに語りかけなければならない境遇に置かれた少女に、その都度違うアイデアをもってファンの前でフィクションを作れ、おもしろい企画を用意して来い、などと求めるのはあまりにも非現実的であり、つまり前提からしてすでに破綻しているように見える。
中廣弥生にしてもおなじことであり、デビュー以来、彼女は常に心の内にわき出た言葉を垂れ流してきた。であればそれはフィクションとは到底呼ぶことのできないコンテンツであり、眼前に提示されるものがフィクションになりきらないのであれば、当然、それはアイドルに「物語」を付さない。
たとえば、垂れ流しの「言葉」によって組み立てられたコンテンツとは、一度消化されたらそれが最後、二度と触れられることはない。低俗な週刊誌、ワイドショーなどその最たるものだろう。
一方で、情報を集め資料を漁りアイデアを練り、古いアイデアを削ぎ落としあたらしいアイデアを迎えるといった気の遠くなるような作業、つまり「編集」を通して出来上がった作品、文章の世界に例えれば、「完全な他者」と「自己の内で絶対に譲れないもの」とのあいだで揺れる、鋭い意識のもとに編まれるフィクションとは、一つ作ってしまえば、それは繰り返し読まれる可能性を秘める。それは「アイドル」も変わらないのではないか。

二度と読まれることのないものを毎日垂れ流しつづけるのか、ファンが自分の元から離れてしまうのではないか、という不安や焦燥のもと、繰り返し読まれるような物語=フィクションをじっくりと時間をかけて作るのか、置かれた境遇のなかでどう行動するのか、いずれ彼女たちは岐路に立つのではないか。

 

総合評価 45点

辛うじてアイドルになっている人物

(評価内訳)

ビジュアル 8点 ライブ表現 8点

演劇表現 7点 バラエティ 12点

情動感染 10点

STU48 活動期間 2019年~