乃木坂46 心にもないこと 評判記

のぎざか, 楽曲

(C)心にもないこと ミュージックビデオ

「心にもないことを」

ミュージックビデオについて、

『人は夢を二度見る』のカップリング曲。センターは池田瑛紗。
アイドルの眼にはたしかに映り触れられるのに、そのアイドルを眺めるファンには見えないものとは一体どのようなものになるのか。それはおそらく「夢」ではないだろうか。
大人になってしまった人間が、いつのまにか夢を見られなくなってしまった人間が「アイドル」を通してもう一度夢を見る、花瓶に挿された花が見えるようになる、という今映像作品のストーリー展開は表題作『人は夢を二度見る』のテーマと有機的な結びつきを描き出しているようにおもう。
MVが楽曲の価値を押し上げたり、アイドルの魅力を教えたりする、という尺度ではなく、MVが映像の向こう側で日常を演じる少女と、それを眺める人間=現実の世界との接点として役立てられる点もおもしろい。
アイドルも魅力的に撮されている。井上和、中西アルノの存在感はやはり段違いにみえるし、岡本姫奈の笑顔・仕草にも素晴らしい個性がある。どのような表情を刻んでも、彼女のそれは笑顔と地続きにされたものであり、笑顔の一つとして無邪気があったり、弱々しさがあったり、孤独感があったり、色っぽさがあったり、儚さがある、という卓抜さはあたらしい乃木坂らしさを想わせる。
たとえばそうした笑顔の多様性は、きっと、アイドルにほとんど関心を示さない人間をも「アイドル」の世界に引き込み、やがて虜にしてしまう希求力を発揮するのではないか。

歌詞について、

今作品もまた青春の反復によって過去の青春の日常の機微を拾い上げ、ノートに記している。過去の日常の些細な分岐点に立ち返り、失われた未来を想い、悔悟するような、青春の甘さと苦さを噛み締めている。
青春を書く、ということは、だれもが逃れられない記憶を書く、ということなのだとおもう。大人になってしまった人間が忘れたもの、封印したもの、思い出になってしまったもの、思い出にならなかったものを描き出す、ということなのだとおもう。もちろんその普遍性は作詞家・秋元康個人の記憶だけでは、入手できない。
秋元康が音楽の内に印す「青春」に普遍性をもたらす存在を探るとすればそれはまず間違いなく「アイドル」であり、秋元康の個人的体験=過去の青春の日々のなかに現在を生きるアイドルが姿を現すことでその青春の物語がだれにでも起こりえる日常として完成されるという、今日のアイドルの成り立ち、有り様を今作品はその詩情のなかに音楽の魅力を削ぐことなく見事に刻印している。


歌唱メンバー:池田瑛紗、川﨑桜、井上和、一ノ瀬美空、菅原咲月、小川彩、冨里奈央、奥田いろは、中西アルノ、五百城茉央、岡本姫奈

作詞:秋元康 作曲:杉山勝彦 編曲: 杉山勝彦、石原剛志