NGT48 後悔ばっかり 評価

「後悔ばっかり」
だって明日はまた来るし
当たり前って思ってた
君がずっと隣にいること
僕がそっぽ向いてても
他の誰かと話してても
絶対待っててくれるなんて
甘えてたんだ
後悔ばっかり/秋元康
歌詞について、
自分が誰かに愛されている、自分以外の誰かが自分のことを本気で考えている、という状況がどれほどの奇跡に包まれていたのか、往々にして、人はそれを失ったあとに気づく。しかもそれは失わないと気づけないものだし、失ったあとに気づいても、すでに取り返しがつかない。そのような感傷を歌っている。
ひな鳥のように後ろを付いてくる彼女。なにを言っても受け入れてくれる。このズルい写実的描写から逃れられる人間は、はたしてどれだけいるのだろうか。この歌詞には、個人的体験に照らし合わせ思考させる希求力がたしかにある。
個人的体験を通して反抗するならば、この「僕」は、「君」のことを本当に愛してはいなかったのだと思う。「僕」の感傷とは自己愛に過ぎない。なぜなら、自分の行動次第で未来は変わったはずだ、と「僕」は確信しているのだから。だから人は、「僕」は「後悔」する。
無償の愛やプラトニックラブを現実感覚から離れたものだと記す文学作品は多い。相手から反論されないプラトニックラブも、いざ恋愛がはじまってしまえば、誰もが恋人に感情をぶつけ、怒り、果ては嫉妬といった醜い、自分の本性だとは到底みとめられない姿を目の当たりにすることになる、と。たしかに、それが世間に通底した解釈なのかもしれない。しかし、私の個人的体験を通して云わせてもらえば、心の底から恋い焦がれ、欲し、愛した女性と、幸運にも結ばれたとき、そのような衝突は不思議と生まれないものだ。無償の愛と表現してしまうとぼうっとした幼稚なものに映るかもしれない。しかしそれは実際に、現実に起こりえる。そして、この幼稚とされてしまうもの、無垢なものの疑似体験こそ、今日の(しかし徐々に薄れつつもある)グループアイドルが把持するもっともつよい存在理由なのだろう。
差し出された詩情のすべてを、アイドルを演じる少女へと結びつけるのは避けるべきかもしれない。だが恋に対する後悔を、研究生に歌わせたことから、このアイドルとの出会いを無駄にするな、アイドルはいつ幻想の世界から旅立つかわからないぞ、というメッセージが作詞家から発せられているようにみえる。
また、加藤美南の「後悔」を前にして、なおかつ、歌うのは研究生という点を踏まえ、このような歌詞を書き上げてくる、というところに作詞家・秋元康のアイドルとのかかわり方、接し方が見えるのではないか。
作詞家の生来のイノセンスとアイドルを通じて自身の過去の物語を大胆にも記そうとする情動の合致が、うまく壺にはまっている。素晴らしいの一言。
総合評価 67点
再聴に値する作品
(評価内訳)
楽曲 14点 歌詞 17点
ボーカル 10点 ライブ・映像 10点
情動感染 16点
歌唱メンバー:安藤千伽奈、大塚七海、小越春花、加藤美南、川越紗彩、小見山沙空、佐藤海里、曽我部優芽、對馬優菜子、寺田陽菜、富永夢有、藤崎未夢、古澤愛、古舘葵、真下華穂、三村妃乃、諸橋姫向
作詞:秋元康 作曲:Itohkun. 編曲:APAZZI