乃木坂46 ジコチューで行こう! 評価

乃木坂46, 楽曲

ジコチューで行こう!ジャケット写真 (C) 乃木坂46

「この瞬間を無駄にはしない」

歌詞、楽曲について、

良い。能動的に、今いる場所から動き出そうとする人間の傍を、林道の横を流れる川のように「音」が追随している。季節の記憶とまではいかないが、それに近い、転換点を作ろうと決意した人間の活力になり得る楽曲である。
歌詞については、作詞家の特徴、スタイルと云ってしまえばそれまでなのだが、表題曲に用意される歌詞のテーマが普遍的と表現するよりもひどく漠然とした詩的世界を作る傾向が強い、『ジコチューで行こう!』も例に漏れず、とてもフワフワとしている。メタファーとして機能すれば文句なしだが、今作も倦みを抱かせるような”安っぽさ”を提供している。
後世、ある特定の時代を振り返る際には、その時代の社会を象徴するようなワードの発見、あるいは遭遇が必然となる。文芸の分野では、それに該当すると予測したワードの使用に対し、ある種の才覚が求められる。トレンドを意識するアイドルのプロデューサーならば、求められるのは”嗅覚”と云えるかもしれない。例えば、ポケベル、フロッピーディスク、この二つが流行った当時、夥しい数の楽曲の中にキーワードとして置かれたはずだが、そこにはある種のリスクが伴っていたはずだ。楽曲が成功さえすれば、その時代の文芸を研究するうえで格好の材料となり長い時間を生き抜くだろう。しかし、ほとんどの場合、一つの時代が、季節が通り過ぎた後にそれらのキーワードを含んだ楽曲に触れると古臭さではなく、違和感を抱くことになる。平成の終わり、現在、携帯電話をスマートフォンに、SNSをツイッターと表現できる、そして、”自己チュー”や”エゴサ”、このような近距離ワードを詩的世界に取り入れるリスクを現役の作詞家たちはどれだけ意識しているのだろうか。必然性の有無にかかわらず、若さという感性を見失わないために、誇示するために強引に流行を意識した、誤解した言葉を挿入することの無邪気さをどれだけ客観視できているのだろうか。おなじ文芸の世界に生きる「村上春樹」が「1Q84」の時代設定をなぜ現代としなかったのか、そこに思いを馳せれば、作家の描写に対する強烈な美意識を感じられるのではないか、とおもう。

ミュージックビデオについて、

虚構の中に仮構を置く危険性への理解が不足している。作品から嘘を作る行為に対する矜持が感じられないのは、そこに閃きやアイデンティティが伏在しないからだろう。グループアイドルを、乃木坂46をひとつの生命体と捉え、その通史を長編小説として読む時、この映像作品は安易な自己模倣と呼べるだろう。この映像がグラビア撮影と音楽番組の収録の延長線上に感じてしまうのは、アイドルが今まで歩んできた道のどこかでみせた表情を、引き出しの中から選び出して着せ替えただけのシーンが連続して流れているだけだからである。演者に対し、「演じる」という行為を強く要求していない。つくり手の想像力や技術力だけで現実的な問題を解決しようという狙いが透けて見え、妥協策に感じてしまう。それは裏を返せば、アイドル個々の資質に頼り切っているということである。要は、アイドルの成長共有というコンテンツを意識した際に裏切りに映ってしまう。

 

総合評価 56点

聴く価値のある作品

(評価内訳)

楽曲 13点 歌詞 9点

ボーカル 12点 ライブ・映像 12点

情動感染 10点

歌唱メンバー:齋藤飛鳥、秋元真夏、生田絵梨花、井上小百合、岩本蓮加、梅澤美波、衛藤美彩、大園桃子、齋藤飛鳥、斉藤優里、桜井玲香、白石麻衣、新内眞衣、鈴木絢音、高山一実、西野七瀬、星野みなみ、堀未央奈、松村沙友理、山下美月、与田祐希、若月佑美

作詞:秋元康 作曲:ナスカ 編曲:野中”まさ”雄一

評価点数の見方