乃木坂46 若月佑美 評価

若月佑美 (C) B.L.T. / 東京ニュース通信社

「無垢なエレンディラ」

目には見えない”揺き”を表現すること、形作ること、「アブストラクト」に意識的なアイドルである。
グループアイドルに与えられる境遇の一つに、自身の人生において決して交錯するはずがなかった人物との交わり、闘争(椅子の奪い合い)がある。「”あの頃”の暮らしには絶対に戻りたくない」と決意を抱いてドアを開く者。両親の愛、教育に満たされた人生を送り、自信に満ちた表情で自己紹介をはじめる者など、前日譚は様々であり、それが成長共有の成立に一役買うのだが、若月佑美の場合、”過去との決別”を抱え込んだ「少女」であった、と想う。デビュー当時にみせた我武者羅、猪突猛進は「洗濯機」と明喩され、アイドルとして古典と王道を具えた主人公を描いたが、むしろ、それは過去を振り払うための「疾走」であった。50メートル走のゴールラインを踏む寸前に転倒する彼女の姿が、過去の自分に足を掴まれることへの不吉な暗示として機能したことは、ガルシア・マルケスの短編小説『無垢なエレンディラと無情な祖母の信じがたい悲惨の物語』の主人公「エレンディラ」と「若月佑美」を重ねてゆく。

祖母と二人きりで暮らす邸宅を失火とはいえ自身の「油断」で失ってしまった無垢なエレンディラは、祖母の言い付け通りに日々身体を売って賠償する。朝のひかりが一本の糸となって薄暗闇のなかに落ちる、それを掴もうとする無垢なエレンディラ。彼女のような境遇に置かれた少女が泥沼の辺境から脱出する為に、トラックの荷台に乗り込もうとした瞬間、過去の自分に足を引っ張られ、井戸の底のような暗闇に再び引き落とされたときに、果たして「少女」は立ち直れるだろうか。オブセッションの獲得は避けられないのではないか。
若月佑美が「真面目」というキャラクターを確立した要因に、過去の振り払いに対するオブセッションがあるのはまず間違いない。過去の自分に足を掴まれ泥沼に引きずり込まれた個人的な経験は、彼女の内奥から「潔さ」に対する決心を呼び覚ましたはずだ。フーっと大きく息を吐き出した後にするような決心。たった現在(いま)、ここから、自分は今までの自分ではない、というような隔たりを設ける決心。それが、彼女がアイドルという虚構(もうひとりの自分、もうひとつの世界)を作り上げる”きっかけ”となる。だから、彼女の作る架空の世界に登場する「若月佑美」には”本来の日常”が著しく欠落している。彼女は素顔の隠蔽ではなく、素顔との決別を選択した。アイドルの隠された「素顔」を発見することでファンは対象の真実に到達したと妄執、錯覚できる。つまり、だから、「素顔」と決別した「若月佑美」の立ち居振る舞いや仕草には、観者の共感を得るちから=仕掛けが致命的に不足している。アイドル・若月佑美は自身の情動を他者に感染させる資質を具えていない、と言い切れる。
彼女が詩を書くという無垢な行為を繰り返すのは、そこにアイドルとして語ることを断念した”本来の日常”の「欠片」をちりばめているからだろう。

だが、このオブセッション=物語は卒業発表をした「若月佑美」の内からは喪失していた。アイデンティティの放棄にも映ったが、理由は、やはり「過去」よりもアイドルとして過ごした時間が、走り抜けた時間が言葉では云い表せないほど濃密で深くながい「記憶」となったからだろう。人は「過去」ではなく「記憶」を、「温もりを抱いて生きていくこと」ができる。彼女は、デビュー当時に魅せた疾走感=本来の自分を取り戻しつつあるようだ。乃木坂46の主人公として書かれていた”かもしれなかった”物語。アナザーストーリー。逆襲や反動、転向すら感じる「疾走」。おそらく、次に、若月佑美が全力疾走をするとき、我々が呼び止めても、こちらを振り向くことはないだろう。

大きな声で彼女を呼んだが、返事はなかった。
テントの入口まで這っていくと、海岸沿いに市とは反対の方向に走っていくエレンディラの姿が目に映った。… 彼女は風に逆らいながら、鹿よりも速く駆けていた。この世の者のいかなる声にも彼女を引き止める力はなかった。彼女は後ろを振り向かずに、熱気の立ちのぼる塩湖や滑石の火口、眠っているような水上の集落などを駆け抜けていった。

ガルシア・マルケス「無垢なエレンディラと無情な祖母の信じがたい悲惨の物語」

 

総合評価 67点

アイドルとして活力を与える人物

(評価内訳)

ビジュアル 16点 ライブ表現 15点

演劇表現 15点 バラエティ 14点

情動感染 7点

乃木坂46 活動期間 2011年~2018年

2019/04/16 再評価、加筆しました

評価点数の見方

乃木坂46