乃木坂46の『人は夢を二度見る』を聴いた感想

乃木坂46, 座談会

「アイドルの可能性を考える 第二十一回 人は夢を二度見る 編」

メンバー
楠木:批評家。趣味で「アイドルの値打ち」を執筆中。
OLE:フリーライター。自他ともに認めるアイドル通。
島:音楽雑誌の編集者。
横森:カメラマン。早川聖来推し。

今回は、雑談と言えば雑談。わかる人にだけ、わかればいい、雑談。

「夢をもう一度見ないか」

楠木:柄谷行人が哲学者として大きな賞(バーグルエン哲学・文化賞)を獲りましたよね。個人的には強い刺激を受けていて、柄谷行人は僕らよりかなり上の世代になりますが、それでも憧れよりも刺激のほうが僕は強い。ちなみに、柄谷行人が批評=日本を去る際に、あとは頼んだよ、と批評の未来を託した相手が他でもない福田和也。現状を見るにその期待は空振りしていて、でも福田和也も刺激を受けたんじゃないか。まあ福田和也にしても僕よりかなり上の世代の作家なので、刺激を受けた、なんて偉そうなことは言えないけど(笑)。
OLE:福田和也って江藤淳だけじゃなく、柄谷行人からも未来を託されているんだね。  
横森:文壇最後の大物でしょ。文壇にピリオドを打った、とも云えるけど。
楠木:僕は学生のときに辞書を片手にゴビノーを読んで理解したつもりになっていたんだけど、そのゴビノーを自分の言葉で批評できる作家が日本にいたのか……、という驚きから始まって、膨大な引用によって自分の身体を作っていくゴビノーの特性を批評家として活かしているところはものすごく共感しましたけどね。江藤淳に見出されなくても結局は同じように活躍したんじゃないのかな。
横森:俺はゴビノーの著作そのものは翻訳されてる数編しか読んだことなくて、ほとんど福田和也のゴビノー評でしかゴビノーを知らないんだけど、それでも楠木君がゴビノーと合致しているのはよくわかる(笑)。『アイドルの値打ち』にしても同じで、これを読んで「福田和也」を元にあれこれ論じるのは教養がない、ゴビノーを知らないだけでさ、ゴビノーを知っていたら真っ先に「これゴビノーじゃん」ってなるんだよね。それくらいゴビノーに憑かれてる。引用で「もうひとりの自分」ってやつを作っていくところなんかとくにね。
OLE:それに関しては俺も物書きとして忸怩たる思いがあるというか、ゴビノーの原著なんてとてもじゃないけど手が出ないから迂闊なことは言えないけど、無知な読者に誤解された作家だよねゴビノーって。そういうところが批評家を引きつけるし、大衆とは無縁のところでやってる人間を虜にするんじゃないのかな。
楠木:大衆と無縁と言っても、大衆を見つめる必要はありますよ。大衆にアクションを起こさせるのが批評の役目ですから。批評を前にして看過できずに言動を起こしてしまう大衆を生んだのなら、もうそこでほとんど役目は終わっているんです。

島:福田和也は系譜としては小林秀雄ですよね。
横森:それが福田和也がだめになった原因とも言われてる。
OLE:小林秀雄と言えば、奥田いろはの記事、かなり力を入れて書いてるよね。
横森:閉鎖的な文章だよね、随分と。
楠木:はあ。
OLE:自己否定というか、総決算というか、リスタートというか。本音がよく出ている。
横森:すごく教科書的だよね。
OLE:たしかに。こうあるべきだ、というものを、すでにそうあるものとして書くってのは批評の王道だよね。まあこんなことを楠木君の前で言ったら釈迦に説法だけど(笑)。やっぱり教養って基本を作るためにも大切なんだな。
島:これは「決別」じゃないですか。自分への興味だけで他人には興味ないんですよ。そこが楠木さんの文章の強みだと思うので。僕はもうこれ繰り返し言っていますけど、NGT48の新曲のレビューを読んでから楠木さんはスタイルに変化が起きているように思えて仕方ない。
OLE:ああ、だから『アイドルの値打ち』はアイドル批評ではない、と。
楠木:僕がアイドルについて起こす文章が僕の定義する「批評」に届きえないのは、アイドルを考えることであたらしく発想するということが僕のなかではあり得ないからです。僕がアイドルについて書く文章のすべては小説や演劇の批評を仕事として書いてきたその経験の流用にすぎませんから、あたらしい発想なんてないんですね。とくに『アイドルの値打ち』は福田和也という枠を作っていますから、語彙つまり思惟の制限がある。語彙を制限してやりくりするというのはこれもまた純文学然としていますから、結局、小説の枠から抜け出ないんですね。アイドルとは遠いところでやっているとしか言えない。裏を返せば、もし「アイドル批評」を名乗りたいならアイドルを考えることで文章におけるあたらしい発想を得たり、つまり自分の人生をゆたかにするということにつながらなければだめだ、ということでしょうね。僕にとってアイドルはそこまでの存在ではないので。「生活」にはならないですから。プロの作家というのは24時間、仕事のことを考えていなければだめで、僕が常に考えているのは小説と演劇であって、アイドルではない。アイドルはあくまでも息抜きにすぎないんですね。趣味、ですね。もちろん、好事家、にはなりたいんだけど。
島:楠木さんはこれまでにアイドルとは比較にならない数の舞台俳優と接してきましたよね。そういう現実的な側面も大きいんじゃないかな。アイドルを眺めたあとに舞台俳優と接することでギャップが出てくると思うんです、絶対に。実はこれ僕の経験談、自己投影でもあるんですけど(笑)。アイドルについて語ったあとに自分の仕事に戻ると、ホッとするんです。
楠木:アイドルを真面目に語る、けれどどこかバカバカしい、という経験を持つ人は、きっと、アイドルを演じる少女の懐に最も接近した人、と呼べる。アイドルを演じる少女もまた「アイドル」に対し同じような感慨を抱いているだろうから。「媚び」というのが一番わかりやすい。他者に媚びへつらうというのは、嘘でしかないわけですから。人気を獲得するため、つまり売れるため、お金を稼ぐために自分を偽り捻じ曲げている、ということですね。要するにある目的のための行動・手段でしかなくて、行動そのものに価値はない。好き好んで媚びへつらう人間なんていないでしょう、きっと。たとえば、家族や友人に対してもそういった性格でありえるのか、と言えば絶対にそれはありえないわけです。そんな「アイドル」のことをその人は真面目に語れるのか、語れるわけがないですね。もちろんそうしたアイドルに溢れかえるシーンにあっても嘘をつかずにアイドルを演じるプライドの高い少女もいる。そうした少女はアイドルというものに純粋であるというか、アイドルである瞬間も家族や友人、恋人といる時間とほとんど変わらないはずで、僕はそうしたアイドルのほうが好きだし、そこに値打ちがあると思う。媚びる、つまり嘘の笑顔を作ることの自己犠牲に価値があるとかないとか、そういう狭い話題ではなくて、ただ単純に素顔への想到が叶うかどうか、ですね。
OLE:『アイドルの値打ち』で俺が一番昂奮したのはやっぱりアンファン・テリブルかな(笑)。でも秋元康と奥田いろはの記事でアイドルを「死神」にたとえたところも同じくらい昂奮したね。しかし考えてみれば4年も前に楠木君はもう大園桃子に対して「架空の魔物」という非現実性を見出しているんだよね。
島:大園桃子の批評が書かれたあたりから僕たち4人のあいだで文学とアイドルを結びつけて語るようになりましたよね。アイドルという真面目に語れないコンテンツに文学という成熟しきったものを持ち込んで語れるようにする……、これはアイドルファンからしたら不謹慎極まりないのかもしれませんが(笑)。
楠木:大園桃子の「架空の魔物」というタイトルは読者にもハマったみたいで、中国人の大園桃子ファンから感想を頂戴したり、反響が大きかったんですよ。
横森:あの記事が一番読まれているんだっけ。
楠木:うん。とはいえ、アクセス数はそこまで気にしていないというか、狙っていないというか。そもそも批評というジャンルでやっている時点である程度上限が見えているからね。ただ想定してた読者の数をあっさり超えちゃったもんだから驚いてはいるけどね。グーグルが提供してるアクセス解析ツールって面白くて、どのページがよく読まれているかだけじゃなくて、そのページを読んだ人が次にどのページに移ったか、とか、全部データとして把握できる。鈴木絢音のページを読んだ人が次は佐々木琴子のページに移ることが多いとかね。
OLE:『アイドルの値打ち』は管理人が頑張ってSEO対策しているんだなってのはわかる(笑)。検索流入がメインでしょう?
楠木:そうですね。検索流入が7割で、直接ホームページに訪れる人つまり読者ですね、これが2割、5ちゃんねるとかツイッターとかフェイスブックから1割、という状況。
横森:やっぱり検索って強いんだな。
楠木:アクセスに関しては僕はよくわかっていないんだけどね(笑)。なぜここまでアクセスが増えたのか、よくわからない。たとえば、乃木坂のMVレビュー集、あれすごく時間かけて書いたんだけど、まったく読まれていない。逆に短時間で書き上げた賀喜遥香の記事はよく読まれているらしい。
OLE:俺が言うのもなんだけど、アクセスを気にして物書きって立場が崩れることを警戒しているところなんかはやっぱり一貫していて気持ちいいよね。
島:OLEさんはもう自分のサイトで書いてないんですよね。ライターを何人も雇っていて。
OLE:食っていくとなるとね。量だから、結局は。
楠木:『アイドルの値打ち』の管理人も自分のサイトのほうが順調らしくて、去年の夏頃からかな、編集者を雇って本格的にやりはじめていて、サブカルでやってた人らしくて、最近は僕のブログもちょくちょく見てもらっている。それもあって僕はもう『アイドルの値打ち』にはログインしていなくて、原稿を管理人に渡して、あとは編集者とよろしくどうぞ、ご自由に、というスタンスです。
島:楠木さんは実際にアイドル批評って読みますか?
楠木:批評ですか?いやあ、もうすでに散々言いましたけど、そもそも僕はその「アイドル批評」というものが今の時代には存在しないとおもっているので。当然、読んだことなんてないですよ。資料として『乃木坂46物語』とか、ああいうのは読みましたけど。あれは一応、伝記になるのかな。宝塚関連の批評は読み漁りましたけどね。仕事として。まあ宝塚をアイドルと見なすかどうか、意見がわかれそうだけど。とはいえ、ジャンルとして批評ではないんだろうけど、以前、小説家を志している方とか、なにかの賞を受賞していてデビューしたばかりの小説家とか、とにかく作家の方からね、感想を頂戴することが何度かあって、そのなかで「note」でアイドルへの文章を書いている人もいてね、感想を頂戴したきっかけでその人の記事を読ませてもらったんだけど、良かったですよ。高山一実のファンだったかな?現実とも妄想とも捉えきれないような熱量ある文章が続いていて、あれはアイドル批評と呼べるんじゃないかな。あともう一人、やはり「note」の記事で、この人も新人の小説家だったかな。齋藤飛鳥と大園桃子のことを書いた記事を読ませてもらったんだけど、想像力がありましたね。批評を書こうとすれば書けるんじゃないか。小説家って批評も書ける人がそれなりにいますから。
横森:今は10年前と比べれば物書きになるハードルってかなり下がってるよね。
OLE:うん。
楠木:僕が駆け出しの頃って新人賞をとるか、あとは出版社に持ち込んだりコネを頼ったりってのが主流で、今はもう物書きを名乗ってあとはネットで書いてれば稼げちゃうからね。楽しいよね、きっと。
横森:演技とか歌は昔よりはさらにハードルが高くなったかな。それ一本で食っていくって意味では。
OLE:音楽はそうでもないんじゃない。まだまだユーチューブでやれるでしょう。
島:楠木さんの文芸のキャリアは役者がスタート地点ですよね。
楠木:でも僕の最初の夢はシンガーソングライターだったんですよ。バイトしてMPC4000とかコルグのMTRだったかな、いろいろ買ってね、親が買ってくれたスタインウェイの横にそれを置いていろいろ遊んでた(笑)。今考えるとめちゃくちゃなことやってる。
横森:俺が彼をはじめて見たとき、彼はステージの上で歌ってた。千葉の木更津だったよね。デパートだかが廃墟になっててその地下にライブハウスがあって、そこで歌ってた。でライブが終わったあとに酒飲んでるところを見かけたから声をかけたわけ。
楠木:ステージの上に立っている人間ってやっぱり特別なんですね。その空間においては本人にとってもそれを眺める人間にとっても、誰にとっても特別な存在なんですよ。だからそのステージに立っていた人間が近くで酒飲んでたりすると声をかけたくなる。だから女の子にモテる、はずなんです。でも僕の場合、はじめて声をかけてきたのが男だったという……。
OLE:アイドルみたいに幻想的じゃなかったんだねきっと(笑)。
楠木:アイドルというか芸能人でたとえるなら、そうやって客に声をかけられたときに、サッと一歩引く人と、フランクに接近されたことで幻想の自覚が消えて自分もフランクになってしまう人、じゃあちょっと飲みに行こうかってなる人がいると思うんだけど、僕は後者だったから、やっぱりアマチュアなんだ。
島:横森さんはカメラ一本で食べていますけど、写真家を名乗らないんですね。
横森:そんなにかっこいいもんじゃないよ(笑)。
OLE:横森君は元々小説家志望の夢と希望に溢れた若者だったからね。検索したら多分名前バレしちゃうからここでは伏せるけど、メジャーな文学賞の最終候補まで行ってる。あっと驚くような作家に書評されて推されていたし、才能があったんだよ。
島:才能があったからこそ諦めちゃったんだ。
横森:それ、楠木君が悔しがるから。
楠木:いやいや、僕の夢はあくまでも歌だったから。でもそれがダメで、なら役者。でそれもダメで夢が潰えた。それで仕方なく物書きをやっているわけで。作家という職業は別に夢ではなかった。本を読むことは好きだったけどね。でも文章を書くことは夢や憧れではなかった。生活するために、生きるために仕方なくやっている。ただ、やっていくなかでそれが好きになってあたらしい夢に変わってきた、という実感はあるけどね。たとえば、柄谷行人は、批評家であり哲学者である、という作家ではなくて、批評から哲学に渡った作家だね。福田和也は研究者になりたかったけどなれなくて批評家になった。サント・ブーヴも小説を挫折して批評家になった。アイドルもそういう人が多いんじゃないかな。女優になりたかった、でも声がかからなかった。それでグループアイドルになって仕事として笑顔を作ったり媚を売ったりしていくわけだけど、そういうなかでそれが夢に変わっていく、アイドルを夢への踏み台として直接準備するのではなく、アイドルを夢への架け橋にしていくなかでアイドルそのものを好きになっていく、夢にしていく、という人が次のステージに立てるんじゃないか、と思うし、そうした環境がうまく作れているのが乃木坂46なんでしょう。


2023/03/18  楠木かなえ
2023/03/23 誤字脱字を修正しました