乃木坂46 理想の「選抜」を考える 31stシングル版

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「現状考え得るもっとも理想の『選抜』」

結成10周年、記念すべき30作目シングルのセンターには4期生の賀喜遥香が選ばれた。未成熟・未完成であることがかけがえのない魅力になるという、宝塚少女歌劇にはじまり作詞家・秋元康の手によって復活したこのアイドル観にもっとも距離の近い存在を今日のシーンに探るとすれば、それは「賀喜遥香」になるはずだから、『好きというのはロックだぜ!』はアイドルの本質的魅力によった作品になった、と読むことができるかもしれない。『君の名は希望』や『僕は僕を好きになる』の詩情=”乃木坂らしさ”を引用したその歌詞が、アイドルの古典的魅力に結びつくところに賀喜遥香の、乃木坂46の強さがあるのだろう、と。
大きな節目の、記念作品、というだけあって充実した一枚になっている。やりたいことをやろうとする、演劇の風に吹かれた、アーティスティックな志向をもった『僕が手を叩く方へ』は、乃木坂46のなかで育てられたアイドルにしか表現できない楽曲だろうし、楽曲を演じることそのものが思い出になるという、アイドルの素顔を引き出した『ジャンピングジョーカーフラッシュ』、グループに加入したばかりの少女たちを「紫」ではなくあたらしい色使いで描いた『バンドエイド剥がすような別れ方』にも乃木坂らしい瑞々しさが宿っている。
この『好きというのはロックだぜ!』はもちろん、『真夏の全国ツアー2022』のステージ上で披露されたパフォーマンスを主な判断材料にして、今回もまた、理想の「選抜」を考えてみる。

前回と同様に各メンバーへの短い批評=選考理由を書いていて、ふと、今回のテーマは「ファン感情」になったな、とおもった。最近、思うのは、ファンに向け「感謝」を表すことが素顔の隠蔽に見えてしまうという、実にアイドルらしい、陳腐な情況にシーンの主流を歩む乃木坂46のメンバーすらも陥っている、という落胆である。ファンの思い通りに動くアイドルだけが人気者になれる、ファン感情のなかで清廉潔白に過ごすアイドルだけが売れるという情報の確かな状況にあって、そのとおりにファン感情に屈服し、素顔を覆い隠し、大衆にだけ歓呼される硬直した笑顔をふりまき、その場しのぎの人気・知名度を得てトップアイドルになったつもりでいるメンバーがけして少なくはない数存在することに、正直、落胆を隠せない。そうした「自分」を誤魔化した、自身のほんとうの魅力を見失ってしまったアイドルは、飽きられるのも早い。生駒里奈、星野みなみ、西野七瀬、生田絵梨花、橋本奈々未、松村沙友理、白石麻衣、齋藤飛鳥、堀未央奈、佐々木琴子、鈴木絢音、目標・理想とするメンバーは誰でも良いが、果たして彼女たちが一度でもファン感情に屈服し、ファンの操り人形になったことがあっただろうか、想像してみてほしい。
アイドルになったことで、ほんとうの自分に出会えた、ほんとうの夢を知った、希望に溢れたその少女たちのサクセスストーリーに憧れ、アイドルのとびらを開いたはずなのに、先人とはまったく真逆の行動・選択をとっていることの、可笑しさ。今回はこの点に注目した。

ファンのそれぞれが、それぞれの視点、都合で「選抜」を編むとき、そこにはきわめて私的な、誰にも邪魔されることのない、純粋な思考が広がるのではないか。現実問題から遠く離れたその妄想こそ言葉の最良の意味で「理想」と呼べるのではないか。エンターテインメントである以上、常にファンの期待に応え銭金を稼がなければならない作り手とは違い、ファンはどこでも妄想の翼をひろげることができる。そうした妄想が、作り手が断念したであろう芸術性の一部分と響き合うこともあるかもしれない。
「アイドルの値打ち」にアップする批評、アイドル個人のページに記した批評はひとつの作品=フィクションであるから、加筆する場面こそあれど、基本的には、文章を作ったその時点から評価は動かない。よって、ここに記す評価が、筆者から眺めた各メンバーの、最新の評価、となる。
また今回も、選抜の椅子は20人以下であるべきだ、という姿勢にこだわり、選考した。


秋元真夏
ライブパフォーマンスに難あり。

齋藤飛鳥
人気・実力ともに最高潮にある。シーンをリードする存在。

鈴木絢音
グループの稠密性から抜け出すような、また、とけ合おうともするような、笑顔のやわらかさが出てきた。

伊藤理々杏
『僕が手を叩く方へ』のミュージックビデオにおいて、得意の「演技」でなかなかの見せ場を作った。

岩本蓮加
「アイドル」が「部活」のようで、軽い。

梅澤美波
綺麗になった。揶揄ではなく、ほんとうに白石麻衣に見える瞬間が出てきた。演技も上手い。だがライブパフォーマンスに見過ごせないキズがある。

久保史緒里
アイドルの内から並ならぬ反動あるいは転向が伝えられる場面が多くなった。デビュー以来胎動してきたものが結実しつつある。

佐藤楓
語るところ少なし、といった印象。

中村麗乃 
ビジュアル、ライブパフォーマンス、演劇表現力、そのすべてが最高水準にある、憧憬を枯らさないメンバー。

向井葉月
変わろう、と決意表明し、そのとおり果敢に行動している。しかし今のところ大きく変わった姿は確認できない。

吉田綾乃クリスティー
文章が上手い。文章に魅力がある。このひとの文章に魅力が宿る理由は、アイドル人気を獲得するための奔走を止め、明日の自分に語りかける、思考の閉じた純粋な日記を書いているからではないか。そうした意味では独特な存在感がある。

与田祐希 
ファン感情を汲まないアイドル、という空気感、キャラクターを作っている。日常的に描かれるそのキャラクターが生来のものなのか、作為的なものなのか、判断できないのは、彼女を、演技が上手いアイドルの一人、に数えることができるからだろう。楽曲制作のなかで培った演技の経験が、テレビドラマなど、より大きな舞台で活かされるのは当然と云えば当然だが、与田祐希の場合、そうした一連の経験をもう一度アイドルシーンに持ち帰り活かし、アイドルの表情をやつすという、成長を刻印している。このひとには、たしかな孤独感がある。

山下美月
歌声、とくに楽曲制作における「ボーカル」において欠くことの許されない存在に映るが、最近は、心ここにあらず、なのか、表情が弛緩している。

阪口珠美
これといって印象に残る場面なし。

遠藤さくら
「選抜」から外す理由がひとつも見当たらない。弱さを軸にしたその主人公感は未だ枯れない。

田村真佑
変わらず、ビジュアル、演劇表現力、ライブパフォーマンス、多様性、情動、すべて文句なし。表題作に限って云えば、最も質が高い、素晴らしいダンスを披露した。

賀喜遥香
名実ともにグループのマスターピース。

掛橋沙耶香 
映像演技における存在感、とくに笑顔の編み方には、齋藤飛鳥、森田ひかるなど、トップアイドル特有の「笑顔の手法化」と響き合うものがあり、やはり並外れているようにおもう。

金川紗耶
きつねダンスで話題になった。踊りの魅力はもちろん、ビジュアルにも多くの人間を惹きつけるだけの輝きがある、ということなのだろう。「選抜」に入ったことでアイドル活動が充実してきたようで、表情に艶が出てきた。今回、もっとも飛翔したメンバーと云えるだろう。ただ、気になるのは、ファンに支えられたことで今の自分がある、という姿勢つまり感謝をいたるところで提示しており、そうした過剰さが、夢見る人間ならば誰もが持っている精気のとげとげしさを削いでしまっている点だ。ファン感情を汲み、アイドルとしての人気・知名度を上げることが夢への架け橋になるという現実認識のなかで、その認識に従い行動したことによって実際に夢に一歩近づいた、夢が一つ叶えられた、ようだ。であれば、当然、彼女はこれからも同じように行動するのだろうけれど、そうした状況は、まるで「アイドル」がファンの人質になっているような、気がしてならない。

北川悠理
アイドルとしての人気、という現実問題に対し、彼女の空想がどこまで空想であり得るのか、注目。

清宮レイ
グループの、同期の他の多くのメンバーが描く色彩豊かな表情に比して、清宮レイの表情には多様性がなく、引きつって見える。ポジティブの詐称に活力を見出させるという一種の倒錯の魅力、架空の成長が、はやくもファンに飽きられてしまったのか、ファンがアイドルに見出すイメージ、印象がそのままアイドルの現在にリンクされているかのように、現在の清宮レイは魅力に乏しい。ファンと一体であることで、一体となってやってきたことで、アイドルの魅力を損なっているように感じる。

矢久保美緒
29th期間と比べれば30thシングルではグループ内における存在感が増した(乃木坂46の一員であるという強い自覚が威光となり、他者に向け発露されはじめたようで、平凡な人間が晒す卑屈さとして見れば、人間味がよく出ていて、なかなかおもしろい)。とはいえ、アイドルとしての実力、とくにライブパフォーマンスの拙さは目に余る。未だ「選抜」の水準には遠く及ばない。

林瑠奈
歌うことで、踊ることで、自己を表現できるようになった。

早川聖来
ややあって、芸能活動を休止した。シングルに対する主だった活動がなかったため評価に値しない。だが才能があると目されてきた人物が、いざ蓋を開けてみればきわめて通俗的・世俗的であり、非凡ではなかった、という事態に直面した際の、アイドルとそのファンの動揺と狼狽、このひともまたグループアイドルの一人、平凡な女の子の一人に過ぎないのだ、という落胆には、なかなかの情動があるようにおもう。

筒井あやめ
ステージの上、踊りのなかで自己の魅力を引き出すという意味では、ファンの眼力を鍛えるアイドル、と呼べるかもしれない。長時間意識的に眺めなければ魅力を発見できないアイドル、ファンの思い通りにはけして動かないアイドル、がステージの上で作られており、たしかに大衆と懸隔している。心強い存在。

柴田柚菜 
2作品連続で表題作の「選抜」に選ばれた。存在感が増しつつある。ただ、このひともまたファンへの過剰な気遣いによって、アイドルの本音が潜行している、ではなく、本音が絆されている、ように見える。人気を維持するために大衆のご機嫌をうかがうようなつまらないアイドルは、だれよりも先に、まずその「大衆」に見捨てられるのだから、皮肉的。

黒見明香
捉えがたいユーモアを描く、ユニークなメンバー。たとえば『ジャンピングジョーカーフラッシュ』のミュージックビデオの序盤、この、カメラを見つめ身体を揺らす彼女の凝視・笑顔とは、アイドルのキャラクターを描いたものなのだろうか、それとも純粋に笑いかけただけなのか。判断できない。日常的に見せる佇まいからも、鵺(ぬえ)、と形容できる希有なメンバーであり、凝り固まった上位集団に割って入るだけの強さ=カタルシスを持っているように感じる。

佐藤璃果
ビジュアル、ライブパフォーマンス、演劇表現力、いずれも「選抜」の水準に届いているようにおもう。おもうが、「選抜」の椅子を「16」にこだわる以上、理想に漏れた。

松尾美佑
アイドルの表情に”色気”が出てきた。

弓木奈於 
作為されたものなのか、不作為なのか、ファンのこころを揺さぶるユーモアを確立させた。その言葉の糖衣を味わうも良し、噛み砕いた際のアイドルの生身の叫びに驚くも良し。

井上和
「希望」の物語の、その主流を歩きつづけている。ファンにしても、作り手にしても、彼女がアイドルとして成功するであろうたしかな遠景が眼前に広がっているのだろうし、そうした尽きない憧憬を抱かせるところにこのひとのアイドル的香気があるのだろう。

一ノ瀬美空
ライブパフォーマンス一点において、すでに「選抜」の水準を軽くクリアしている。表情がしなやかで、しかし緊張感もあって、瑞々しい。
 
菅原咲月
カップリング曲においてセンターを務めた。次の主人公は井上和か、菅原咲月か、ファンのなかで大きな話題になっている。

小川彩
歌、踊り、どちらも好印象。

冨里奈央
今のところ「特筆」にあたる場面を作らない。

奥田いろは
話題性に乏しい。

中西アルノ
徐々に神秘性が剥がれ、アイドルの横顔をなぞり個人の魅力を探ることが可能になってきた。アイドル自身もまたそのような状況を望んでいるようで、言葉で、行動で、しっかりと意思表示している。そうした意味では、やはりこのひとは5期生=次世代のシンボルなのだろう。

五百城茉央
日常的に描く感受性の豊かさとは裏腹に、ステージ上では笑顔が硬直している。
 
池田瑛紗
踊り、とくに表情に難あり。アイドルの素顔と地続きにされたものが一つもない。

岡本姫奈
「バレエ」を「アイドル」に奪胎させていく様子には引かれるものがある。

川﨑桜
主人公というのは、いつだって、一歩遅れてやってくるものだ。

 

よって、私が考える理想の「選抜」は以下のようになった。31stシングルのセンターには与田祐希を選んだ。

(C)乃木坂46公式サイト

3列目:金川紗耶、林瑠奈、田村真佑、鈴木絢音、一ノ瀬美空、黒見明香、中村麗乃
2列目:遠藤さくら、齋藤飛鳥、掛橋沙耶香、中西アルノ、久保史緒里、賀喜遥香
1列目:井上和、与田祐希、筒井あやめ

2022/09/11  楠木かなえ