欅坂46 米谷奈々未 評価

欅坂46

米谷奈々未 (C) 欅坂46公式サイト

「文學ガール」

米谷奈々未、平成12年生、欅坂46の第一期生。

運慶が護国寺の山門で仁王を刻んでいると云う評判だから、散歩しながら行って見ると、自分より先にもう大勢集まって、しきりに下馬評をやっていた。…
「大きなもんだなあ」と云っている。
「人間を拵えるよりも余っ程骨が折れるだろう」とも云っている。…
「能くああ無造作に鑿を使って、思う様な眉や鼻が出来るものだな」と自分はあんまり感心したから独言の様に言った。するとさっきの若い男が、
「なに、あれは眉や鼻を鑿で作るんじゃない。あの通りの眉や鼻が木の中に埋まっているのを、鑿と槌の力で掘り出すまでだ。まるで土の中から石を掘り出す様なものだから決して間違う筈はない」と云った。
自分はこの時始めて彫刻とはそんなものかと思い出した。果たしてそうなら誰にでも出来る事だと思い出した。それで急に自分も仁王が彫ってみたくなったから見物をやめて早速家へ帰った。…
自分は一番大きいのを選んで、勢いよく彫り始めてみたが、不幸にして、仁王は見当たらなかった。その次のにも運悪く堀り当る事が出来なかった。三番目のにも仁王は居なかった。自分は積んである薪を片っ端から彫ってみたが、どれもこれも仁王を蔵しているのはなかった。

夏目漱石 / 夢十夜「第六夜」

『文學ガール』のなかで眼鏡をかけた少女が手にとった『夢十夜』。国文学者・三好行雄は『夢十夜』の『第六夜』について「自然との一体化を喪失した明治文化への絶望と批判を語る」と云ったが、そのような文明論的視野から離れ、『第六夜』がグループアイドルの作る虚構とどのように響き合っているか、『夢十夜』に直に触れた米谷奈々未がどのようなアイドルを描いたのか、という視点のもとに彼女の物語を読むとおもしろい発見があるのではないか、とおもった。
夏目漱石の『文鳥・夢十夜』を書庫の冷たい床に所狭しと積まれた古本群から探しあて、ページを捲ってみると、あの古本特有の甘くやさしい匂いがした。『文學ガール』において”現実と空想”の交わりを演劇通過した米谷奈々未も「良心的存在」といった甘美な声量を獲得している。たしかに、名前だけではなく、その姿形、とくに横顔に橋本奈々未の面影の”ようなもの”があり、鑑賞者(とくに作り手)を共時性によってとりこにしてしまう、甘い寄す処的な希求力を発揮している。なによりも、もし今、彼女がここにいたら、今の欅坂46はどう見えるのだろう。今のグループに対してなんて言うのだろう、といったプラトニックな感傷の提供が米谷奈々未というアイドルにはある。しかし、実際に彼女の物語を読むとアイドルの生臭さを多くの場面で拾うのだから、おもしろい。生来の穏やかで朗らかな雰囲気に反し、思い込みが強く、矜持を育む家郷の空にひびを入れる闖入者の存在に怯え、順位闘争に追い込まれ、口にすべきではないことをつい口にしてしまう常識的な弱さ、卑小な一面がある。その上で書かれる、平手友梨奈との触れ合いや、長濱ねるとの稚気は青春の書として一見の価値がある。

漱石はいうまでもなく、虚構と想像力によって構築された世界で、自己のモチーフを託して他者を動かすという、いわゆる客観的小説の手法を最後まで崩さなかった。漱石の文学を〈拵えもの〉として批判した自然主義のリアリズムに対して、〈拵えもの〉であることを苦にするよりも、活きているとしか思えぬほどに拵えることに苦心したら如何、といった意味の批判を投げかえしたのも有名な事実である。

三好行雄 / 文鳥・夢十夜

彫刻がもうひとりの自分を作る行為=虚構の構築なのは説明するまでもない。問題は、彫刻によって出来上がる偶像=アイドルとは、その「眉や鼻」とは、あらかじめ「木の中に埋まっている」ものだと妄信し、「土の中から石を掘り出す」くらい「間違う筈」のない作業だと確信する少女がシーンに溢れかえっていることだろう。
「果たして」米谷奈々未はこの『第六夜』に囚われ、迎え撃たれるアイドルだったのか、「想像力」に頼るほかないが、重要なのは、欅坂46というアイドルグループにあっては、彫刻を「堀り当る」のではなく、彫刻を「彫」る側の少女が次々に架空の世界に浮かぶ空扉をひらいている、この点にある。現在のアイドルシーンにあっては、自分がなにものなのかわからぬまま、もうひとりの自分を探し当てる行為よりも、自分がなにものなのかわからぬまま、一本の木を眼の前に、もうひとりの自分を創り上げる行為のほうが、「活きているとしか思えぬほど」のアイドルを「拵えることに苦心」する行為のほうが馬鹿げた深刻な物語と扱われてしまう。それは正しい成り行きと呼べるのだろうか?もし今、”よねさん”がここにいたら、今の欅坂46はどう見えるのだろう。今のグループに対してなんて言うのだろう。
卒業、つまり米谷奈々未が空想から現実に戻る決心を表明した日とは、グループの通史の上を歩く基準線と転換線、この二つが交錯した日であり、グループの通史を読むファンに本物のノスタルジーが提出された瞬間であった。”かれら”だけでなく、楽園にのこされたアイドルたちは、「虚構と想像力によって構築された世界」のより深い場所に没入して行くことになる。多様性の欠落はバラバラにちらばった個性をおなじ場所へ向かわせる。リレー競争で体育館の中を必死に走り回り、仲間に必死に声援をおくる、あのピュアな闘争心はすでに枯れ果てている。

 

総合評価  59点

問題なくアイドルと呼べる人物

(評価内訳)

ビジュアル 13点 ライブ表現 12点

演劇表現 13点 バラエティ 10点

情動感染 11点

引用:「」夏目漱石 / 文鳥・夢十夜

 

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