AKB48 横山由依 評価

横山由依 (C)yokoyamayui_1208/instagram

「パクス・ロマーナ」

横山由依はAKB48の第九期生であり、AKBグループの二代目総監督である。
横山由依の演じる「アイドル」を読むとき、総監督就任”以前”と”以後”で隔てられた、ふたつの日常を手繰り寄せる必要がある。総監督就任以前の「横山由依」の物語で鮮明なイメイジとして描写されるのは、『マジすか学園2』で演じた「おたべ」のソリッドな姿形。「おたべ」初登場時の鮮烈さには前田敦子にきわめて近しい人物と錯覚させる類推的な主人公感があり、その主人公感がウィットに富んだ鋭利なキャラクターの描写によって主役から逸れて行く背反性の内在、それはそのまま「横山由依」に重ねられて行き、あたらしい時代の、あたらしい物語の胎動の到来=ジンテーゼという期待感をたしかに生んでいた。たとえ、腑に落とした「役」と横山の実像が乖離していたとしても、その呼吸方法がアイドルを演じる日常に影を落とすのは自然な成り行きであり、それが彼女にとって(ドラマでの)”はじめて”の演技であったのだから、やはり、その仮構世界で作られた偶像への期待感は特別に膨らんだと確信する。この、ペンキで殴り書きされた赤や黒の文字が背景として映し出された瞬間とは、演劇というものが横山由依のアイデンティティに成りかけた「1日」でもあった。川栄李奈との交錯においても、横山の演劇表現力のたかさが川栄李奈の閉鎖的な視野を拡げることに成功する。

横山由依と川栄李奈の関係性とは、現代アイドルのコンテンツという観点では、決して目新しいものではなかったが、AKB48という筐体の底に落ちている群像劇を拾い集め、並べ置いたそのタイトルを眺めると、横山と川栄の物語は成熟度の高い短編小説の響きを放っている。レッスン場で交わす冗談話の交換、寄り添い、笑い転げる光景は清澄な空間であった。しかし、その川栄李奈とのエピソードを追憶し繙くほど、横山由依が後日にみせる総監督としての立ち居振る舞い(思惑のなか)に、ファンに対する反動が覗けてしまうのは、なんとも皮肉な結実である。川栄李奈と物語を共有し深めて行く作業は、横山のアイドルとしてのジャンルらしさを確立する過程でもあった。しかし、握手会傷害事件によって横山からアイドル・川栄李奈が欠落してしまった。さらには、総監督に就任したことにより、彼女は、覗き込むのを躊躇するのぞき穴(リアリティ)を、外見ににじみ出る内奥だけではすまされない内部の表出を、ファンに否応がなく目撃させることになる。ファンは「横山由依」に対し、批評という行為をとらざるをえなくなった。川栄李奈の欠落と総監督就任は、アイドル・横山由依の主人公感=正統さの喪失であったと云える。

人間にとっては、ゼロから起ちあがる場合よりも、それまでは見事に機能していたシステムを変える必要に迫られた場合のほうが、よほどの難事業になる。後者の場合は、何よりもまず自己改革を迫られるからである。自己改革ほど、とくに自らの能力に自信をもつのに慣れてきた人々の自己改革ほど、むずかしいことはない。だが、これを怠ると、新時代に適応した新しいシステムの樹立は不可能になる。

塩野七生 「ローマ人の物語ⅴ」

二代目総監督の誕生は初代総監督である高橋みなみの卒業発表と同時に告げられた。就任までの猶予期間は1年間。イデオロギーの継承期間であったのは云うまでもない。システムとは、古代ローマ人がそうであったように柔軟な「道具」として、時代を先回り迎え撃つために変えていかなければならない。そのような感覚(人間の本質の部分)を、前にも後ろにも道がない、他人の苦悩を肩代わりする揺きのなかに置かれた高橋みなみが備えていたことは容易に想像できる。AKB48(現代アイドル)の成功にシステムの収斂がある。そのシステムを新しいものに塗り替えていく作業のむずかしさを高橋みなみは理解していだずだ。だからこその、”1年間”なのだとおもう。乱暴ではあるが、古代ローマの執政官に例えると、高橋みなみがユリウス・カエサルならば、横山由依はアウグストゥスとなる。アウグストゥスに課せられた使命は、カエサルのやり残した計画の「実行」である。アウグストゥス自身が執着した事柄は、血の継承である。どちらも「グループアイドル」という概念が抱える命題に通ずるだろう。

「指導者に求められる資質は、次の五つである。知性、説得力、肉体上の耐久力、自己制御の能力、持続する意志」

塩野七生「ローマ人の物語」

これはイタリアの普通高校で使われている歴史の教科書の一文でもある。横山由依の場合はどうだろうか。求められる五つ資質のなかで、彼女に備わっているのは多少の知性と肉体上の耐久力のみではないか、とおもう。自己制御の能力が欠如していることは本人もつよく自覚している、説得力に関しては笑うしかない、お手上げ状態である。横山由依の弱点に演説による説得力の欠如がある。彼女の科白には自身が引き起こした情動を観者に感染させる握力が無いのだ。前任者の高橋みなみには、知性を除いた「説得力、肉体上の耐久力、自己制御の能力、持続する意志」の四つが備わっていたと考えている。そのバランス感覚が備わった高橋に横山が勝っている資質、凌駕した天分が「運の良さ」である。第8期生オーディション落選、大場美奈と森杏奈の失敗、島崎遥香の減衰、そして総監督就任といったレ・ミゼラブル的な物語を読めばわかる通り、ヴァルネラビリティに対するアンチテーゼとして横山由依が屹立できたのは、強運な境遇に依る。努力が必ず報われるということを証明しようとした前総監督の姿勢(イデオロギー)も、横山の強運の前では、脆く打ち消されてしまうだろう。

横山由依=アウグストゥスは、「ひときわ生彩を放っていたスッラのように痛快でもなく、…圧倒的存在を誇示したカエサルのように愉快でもない」アウグストゥスが描く物語には「手に汗にぎる戦闘場面もなければ、あざやかな逆転勝利を読む快感もない。とはいえ、戦争も政治もそれを遂行する最高責任者の性格が反映しないではすまないものならば、アウグストゥスに、カエサル式のあざやかさが欠けていてもしかたがないのである。」カエサル=高橋みなみから後継者に指名されたアウグストゥス=横山由依は、「目標とするところは同じでもそれに達する手段がちがった。アウグストゥスは見たいと欲する現実しか見ない人々に、それをそのままで見せるやり方を選んだのである。ただし、彼だけは、見たくない現実までも直視することを心しながら」(*1)このアウグストゥスと横山由依の一致、とくに”見たくない現実までも直視すること”への決心は横山の、ファンに対する反動につながって行く。横山由依ほど、現代アイドルの幼稚さや救う価値の無い醜態を目の当たりにし、看過せずに無関心に理解した人間は居ないだろう、とおもう。だから、彼女は、その救う価値のない人間に価値を、存在理由をあたえることができた。「おたべ」をはじめて演じた日の鋭利な眼を仲間に向けたのである。

二代目総監督の瑕疵、脇の甘さとは、身内であるメンバー側に対しての”想い”がつよすぎて、肝心のファンへの気配りが置き去りになっている点にある。内政にばかり心労し、広場に集まった眼下の群衆の存在を放置している。彼女はファンを”完全に”敵視することで(握手会傷害事件は動機の不在を否定させる)味方に自身の存在感をアッピールすることに熱心する。2017年の選挙イベントでのスピーチの際に、第一声がメンバーへの感謝であったことはその現れのひとつだろう。ファンがアイドルにイノセントな科白を向けるたびに、横山はそこで発生したファンとアイドルの対立を利用し、メンバー間の絆を深めようと画策するのである。高橋みなみによって継承されたイデオロギーは、彼女の物語は、復讐劇となってしまった。横山由依の抱えるオブセッションに川栄李奈の”悲鳴”があり、その川栄李奈の「卒業」が喪失ではなく、欠落でしかなかった点は看過できない。横山由依は川栄李奈を完全にうしなってはいない。うしなっていないからこそ、復讐しなければならない。横山由依が次世代アイドル=子供たちを自身の過去の証明として扱う理由に「川栄李奈」の仇があるのは間違いない。なによりも、横山由依の後姿が滑稽に映るのは、その子供たちから、同情こそあれ、信頼に関しては露程も勝ち得ていないという悲劇にある。二代目総監督の失敗とは、次世代アイドルをグループの過去の証でもなく、未来の可能性としての子供でもなく、自身の存在証明として手を差し伸べてしまったことである。いかなる事業も、それに参加する全員が、志はそれぞれちがったとしても、いずれも自分にとって利益になると納得しないかぎり成功は掴めない。成功を永続させることもできない。死ぬと分かっている戦場で兵士の士気をたかめるのはむずかしい。指揮官が勝利と生命を約束し、はじめて兵士の士気は高揚する。横山はグループの群像劇への道を、次世代アイドルたちに約束として示すことをしなかった。彼女たちが”見たいと欲する現実”を好きなだけ眺めさせてやった。結果、グループのイデオロギーと隔てられ、未来の可能性すらも否定された少女たちは浮遊感を抱きながら、個性を求めて彷徨い歩くことになった。もちろん、その浮遊はグループ全体の揺きの中にあっては河下り程度のちいさな漂流である。しかし、その河が広大な海へとつながっているのも、避けられない事実である。

『「結局、才能以上のものを書くことはできない」 これは六十年以上にわたって小説を書き続け、常に文壇の主要作家であり続けた正宗白鳥が死を迎えて最後に云い残した言葉である』(*2)高橋みなみの後を継いだ「天才でない人物」が、どうやって、先人が到達できなかった目標に達するのか、という問い、見処への期待は消失しつつある。物語は未完で終わるだろう。アイドルとしての”死”(卒業発表)が訪れる前に次期総監督に向井地美音の名が告げられたのは、死去という出来事を通過しないでひとつの時代(平成)が終わることにかさなる。横山は、皇帝として、長寿をまっとうし、はじめてベッドの上で眠りについたアウグストゥスに、やはり、かさなる。

 

総合評価  58点

問題なくアイドルと呼べる人物

(評価内訳)

ビジュアル 14点 ライブ表現 10点

演劇表現 14点 バラエティ 14点

情動感染 6点

AKB48 活動期間 2009年~

引用:(*1)塩野七生 「ローマ人の物語Ⅵ」
(*2)福田和也「現代文学」

評価更新履歴
2019/01/11 ビジュアル10→14 批評欄を大幅に加筆しました

評価点数の見方

AKB48