AKB48 矢作萌夏 評判記

AKB48

矢作萌夏(C)月刊エンタメ2019.2月号

「救世主の誕生」

矢作萌夏、平成14年生、AKB48のドラフト第三期生であり、15代目センター。
デビュー後、ほどなくして「救世主」と呼号され、AKB48の次世代を担う、新時代の主人公として支持される。矢作有紀奈(SKE48)の実妹であり、その姉によるディールの奏功か、ドラフト会議においてチームK(キャプテン・込山榛香)に一巡指名を受け、アイドルの扉をひらく。以降、アイドルとしてのキャリアはきわめて順風満帆であり、16期生との合同合宿において突出した存在感を示し同業者を唸らせると、後日、正規メンバー昇格日にソロコンサートの開催を発表するという前例のない快挙を遂げ、ファンを沸かせる。デビュー後2作目のシングル(指原莉乃の卒業楽曲)『ジワるDAYS』の歌唱メンバーに早くも選抜され、その逸材感を確かなものとする。そして、次作『サステナブル』において表題曲のセンターポジションに立ち、新時代の幕開けを飾る。
劇場デビュー後、わずか一年でAKB48のセンターにまで昇りつめている。AKB48のセンター、これはもう平成のアイドルシーンにおいて破格の価値をもつ場所であるから、そのセンターにデビュー間もない新米アイドルが選ばれる、これはやはり、なにか特別な輝き、ファンだけでなく作り手をも説得できるだけの深みを持っている、ということなのだろう。同時期に写真集の発売も決めており、なんとも至れり尽くせりの歓待ぶり。ただ、矢作萌夏のアイドルとしての飛翔、いや、グループアイドルとしての物語はここまで。
結局、彼女もまた、恋愛スキャンダルという、こころが挫けるほどありきたりな情報の囲繞によって、アイドル=夢を破断し、類型に堕している。15歳でデビューし、17歳で卒業する。アイドルの物語を読めば、けして短いとは思わないが、その逸材感なるもの、期待感に鑑みれば、物足りなく感じる。日常を演じる行為に気迫がなく、痩せている、アイドルの物語が。
いずれにせよ、「救世主」と持て囃された、サステナブルと冠した楽曲の主人公を演じた矢作だが、その期待も虚しく、衰退・索漠を伝えるグループと歩調を共にするように、アイドルの可能性の「希望」ではなく、可能性の「減退」を描き、AKBグループのカタストロフに一役買ってしまった。

「サステナブル 編」

アイドルグループの立ち上げ=黎明期の特徴、魅力とは、まず「個」がありその「個」がグループの価値を打ち出すというところにある。また、黎明期と成長期はかさなる場合が多い。アイドルの成長=グループの成長であり、アイドルの魅力がそのままグループの魅力となる。黎明期を生き抜いたアイドルがファンに強く抱きしめられるのは、これはもう当然の結実と云えるだろう。
成長期つまり黄金期が終わるとこれが逆転する。まずなによりも「グループ」がさきに置かれその価値を守ることがアイドルの使命となる。作り手やファンもそれを望む。グループの価値を損なう人間は必要とされない。グループのイロを汚す少女は順位闘争の場で敗北を喫する。となれば、必然的に「個」ではなく「グループ」を優先とするアイドルであふれかえることになる。「個」を見失い、個性を欠落したアイドルグループなど、なんら魅力を把持しない、退屈な集団であるから、当然、衰退するわけである。
おもしろいもので、いや、身勝手と云うべきか、この衰退期が続くと、ファン、作り手、共に「個」を求めはじめるのだ。つまらなくなったグループに価値など見出だせるはずもないから、当然と云えば当然なのだが。こうした循環を通し、一つの共同体が「継続」を試みるわけである。この、グループの価値がなくなり再び「個」が求められた矢先に出現したのが「矢作萌夏」である。
矢作萌夏がなぜ「救世主」としてファンの眼に映ったのか。それはおそらく、矢作のそなえる美貌に、乃木坂46と対等に渡り合える力が宿っている、と確信させる輝きがあったからだろう。乃木坂46というあたらしい脅威、いや、すでにAKB48を過去のものとする、AKB48の衰退・索漠を決定づける存在、しかしその存在と敗北を認められず無関心の底に放り投げていたファンの心に希望の火を灯す、乃木坂46を正面から眼前に捉えることを可能とする「美」をもった少女が出現した。ファンは興奮を抑えられなかった。その興奮をもっとも簡明に、もっとも直截に表すために準備された言葉が「救世主」なのだ。
たしかに、”121番”としてはじめて画面に映し出された際の、そのまだ幼さが残る、耽美に傾倒しきっていない少女の、矢作萌夏のビジュアルの鮮烈さに限って云えば、グループの歴史において冠絶した輝きを誇っていたようにおもう。アイドルの扉をひらこうとする少女の可能性の幅の広さ、つまりビジュアル一点のみによって映し出される展望で云えば、矢作は小坂菜緒に比肩する逸材だったかもしれない。
しかし小坂菜緒同様、矢作もまた、はじめて画面に映し出された瞬間の光輝をピークとするアイドルであり、アイドルの物語は減退を極めている。矢作の場合、わずか2年のアイドル生活でありながら、生来のビジュアルの減退・減衰が著しく、卒業を発表した彼女の横顔にはもはやデビュー当時の鮮烈さなどどこにも見当たらず、耽美に傾倒する、ありふれた少女、といったイメージしか投げなかった。もはや、ただ歌が上手いグラビアアイドル、にしか見えなかった。
なによりも、恋愛スキャンダルが報じられた結果、逃げるようにしてアイドルの物語に幕を閉じた、という点に、通俗でありながらその通俗に対する弱さを持つという、なんとも言い様のない情けなさ頼りなさ、つまり才能の欠如を目撃してしまう。彼女の行動とは一貫して、アンガージュマンをふるまい、万能感によって境遇にふりまわされる、ではなく、自分には無限の才能がある、と信じ込むことによって、自分には才能がなかったのだ、という現実に直面することを避けつづける、逃避行である。夢とは、諦めるのが一番むずかしい。諦めさえしなければ、無限の可能性が広がっているように錯覚できる。自分には特別な才能がある、と確信する人間ならなおさらだ。この確信が、アイドルの内奥の無責任を鑑賞者の眼前に映し出すのだろう。
よって、小坂菜緒がアイドルとして成功し、矢作が失敗した理由は一目瞭然である。擦りむきボロボロになるまでアイドルを演じようとする、あるいはアイドルから逃げ切れずにいる小坂のような儚さ、美しさから、矢作が徹底して遠ざかるからである。

 

総合評価 62点

アイドルとして活力を与える人物

(評価内訳)

ビジュアル 15点 ライブ表現 14点

演劇表現 6点 バラエティ 12点

情動感染 15点

AKB48 活動期間 2018年~2020年

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