AKB48 永尾まりや 評価

AKB48

永尾まりや(C)Takeo Dec./徳間書店

「集団感染」

ファンが無意識に抱くグループのコンセプト(アイドルとして、あるべき姿)に対し、倒錯した存在だと、つよく感じるアイドルであった。ビジュアルへの評価が優先される傾向は特別な現象ではないが、彼女の場合は、そこで下される評価でアイドルとしての存在理由を決定付けられてしまった。悲劇的と云える。裏を返せば、それだけ、彼女の美貌に潜む何かが、他者の意識を爪でひっ掻くのである。スマートに綺麗なだけのアイドルではないと云いきれる特別な美の持ち主。たしかに、私には、個性的な姿形に映る。安直に云えば、性への感興がある。だからか、常に物事を穿つような猜疑心のある表情と佇まいから、一種の錯覚を強いられる。この”女”は「これこれこういった感情を含んでいる」と錯覚してしまった自身の感情の流れを自覚させられる。彼女の容姿を眺めて、彼女の性格を自己の内で無意識に決定付けてしまっているファンも多かったのではないか。

外見とは内面からにじみ出た「何か」の集積である。彼女の外見には、それを眺める者の情動を引き起こさせる妖美がある。矢作萌夏が抱える美の先駆け的存在と云える。だが、永尾まりやがアイドルとして生きた時代では、彼女が矢作のようにセンターポジションへの希求や救世主として扱われることはなかった。末端的キャラクターとして終始した結果、永尾まりや自身が情動を引き起こし、心の重い闇=醜態をファンに投げ付けても、その情動が集団感染を引き起こすという領域には、一度も足を踏み入れることができなかった。それがアイドルとしての明暗をわけた理由である。

しかし、永尾まりやが語る、エピソードひとつひとつは、とても興味深く、静かな怒りをはらんだ詩情がある。
期待に胸を膨らませたドラマの配役を、読み合わせ当日、不条理に変更されたエピソードや、卒業後に語った、プロデューサーである秋元康とは一度も会話をしたことがない、というエピソード。このような「慎ましやか」から”ズレた”エピソードの披露と彼女の容姿から、私はゾラの『居酒屋』の登場人物を想起する。彼女が披露するエピソードとは、アイドルの悲惨さや滑稽さ、アイドルの「汚辱面と低劣面だけをきわめて一方的一面的にあばき出すペシミティックでアナーキー」(*1)な物語ばかりである。自身の視界外では世界が鼓動を止めていると錯覚しているような、一種の独我論者のような立ち居振る舞いは、時代や立場を無視するのならば、第9期生のなかで島崎遥香に比肩する主人公感を持つ人物と映る。そのような天与の資質を具えた人物が末端的キャラクターとして扱われたとき、どのようなストーリーが生まれたのか、という観点で「永尾まりや」を再読してみると面白い発見があるかもしれない。

 

総合評価 54点

問題なくアイドルと呼べる人物

(評価内訳)

ビジュアル 16点 ライブ表現 11点

演劇表現 13点 バラエティ 9点

情動感染 5点

AKB48 活動期間 2009年~2016年

引用:(*1)古賀照一(ゾラ「居酒屋」)

2019/03/08  再評価 加筆しました

評価点数の見方