AKB48 森杏奈 評判記

AKB48

森杏奈 (C) 森杏奈オフィシャルブログ

「甦る過去」

森杏奈、平成6年生、AKB48の第九期生。
AKB48の第二章と位置付けられた”9期”のなかにあって森杏奈の存在感はきわめて突出している。
まず、やはりビジュアルに並ではない輝きがある。洗練されている。優雅さ、悲痛さ、アイドルの内面を映し出すような強烈な色彩をそなえたアイドルであり、後にグループを代表するメンバーへと成長する同期の横山由依島崎遥香を凌ぐ資質を持っている。怪訝を映す瞳のクールさと破顔、拳を握りしめて雀躍するように燥ぐキュートな仕草、この明確な止揚が顕にする、枯れることのない彼女の姿形は、現代アイドルとしての、たとえば、自分ではないもうひとりの自分を演じなければならないという少女の屈託を先回りし迎え撃っていたようにおもう。とくに、現代人特有の「情報の雨」に打ちのめされ、グループのなかで孤絶し、憂鬱する森杏奈の物語は、令和が始まった現在でアイドルを演じる多くの少女と遠く響き合っており、ひとつのイコンになっている。

この、森杏奈がつくり出す内向の表情は、彼女が正規メンバーに昇格した直後に誕生する、乃木坂46の主人公・西野七瀬のアイデンティティとなった”うつむき”を先駆けていたのだが、森のアイドルとしての物語が西野七瀬的な儚さに倒れ込まずに、人間性の寒さや脆さを迎え入れ、アイドルとしての自我を獲得する前に、架空の世界の幕を閉じる結果になったのは、やはり、両者に与えられた境遇の差に因るのだろう。
与えられた境遇如何でアイドルの表情が、あるいは、アイドルを演じる際の少女の”顔”がどのようにも染まる、染められる、これは、今日のアイドルシーンの病弊と云えるかもしれない。
デビュー直後、森杏奈ら9期生の目の前で執行された”8期の粛清”、その損失回避の対象となったのが、他でもない第9期生(森杏奈、大場美奈)なのだ。過去という辺境から脱却し、古い自分を毀して、あたらしい自分を作る、という希望に満ちあふれた少女の物語こそ豊穣と呼べるはずだが、当時の作り手とファンは、過去を乗り越える、というアイドルのストーリー展開の一切を拒んでいる。彼らは、あまりにも不寛容であり、擦りむいたまま歩きだそうとする少女の物語をけして受け入れない。その動機を探るならば、それはやはり”8期の顛末”が養う覚悟をどうやっても捨てきれないからだろう。ようするに、未熟なのだ、その集団のすべてが。8期の失敗という「過去」を忘れられずに、その「過去」の代償を求めることで、アイドルが「過去」を乗り越えることができなくなる、という循環にグループが陥ってしまった。
この、損失を回避しようとする心理こそ、グループを、AKB48を隘路に導いた主要因と云えるだろうか。たとえば、西野七瀬の系譜に連なる「河田陽菜」が存在しない「日向坂46」を、アナザーストーリーとして描いてみれば、それが如何に殺風景な物語になるのか、グループにとってどれほどの損失か、想像することは容易い。ファンや作り手の個々が、アイドルの才能に対し眼力を試すのではなく、アイドルの潔癖さにのみ眼を光らせる、というなんとも間の抜けた状況に陥ったわけである。
乃木坂46のブレイクを決定的にした圧倒的な主人公と同等の資質を備えたアイドルを自ら手放し、筐体そのものが常闇の隘路に陥っていく…滑稽な光景。なによりも、この光景に、ファンだけでなく作り手も馴れきってしまった、という点こそ、グループの抱える病弊のもっとも明確な徴の現れと云えるだろう。

 

総合評価 57点

問題なくアイドルと呼べる人物

(評価内訳)

ビジュアル 15点 ライブ表現 11点

演劇表現 10点 バラエティ 10点

情動感染 11点

AKB48  活動期間 2009年~2011年

 

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