AKB48 柏木由紀 評価

AKB48

柏木由紀 (C)Ravijour

「老いてなお花盛り」

生きのびているというだけでも、不名誉なことのようだ。

大統領閣下、よいお旅を / ガルシア・マルケス

柏木由紀、平成3年生、AKB48の第三期生であり、11代目センター。
”3期”最後の生き残りであり、現代でアイドルを演じる少女たちが遭遇する個人的体験、情動の発露による醜態、そのすべてに遭遇したのではないか、と覚らせる人物である。日常を演じる行為への気勢、物語を書くことへの意欲は令和がはじまった現在でも衰えを知らず、とくにライブパフォーマンスについては鈍ることなく成熟な妖しさを放っている。老いてなお花盛り、柏木は、センターポジションに立つアイドルがそなえる孤閨とは異なる色のさびしさを身にまとっており、格別な存在感を放っている。この柏木由紀というアイドルを、純文学タイプのアイドルか、エンターテイメントタイプのアイドルか、どちらか一方に分類するならば、彼女はエンターテイメントタイプのアイドルに分類されるはずだが、司馬遼太郎や矢作俊彦の長編小説がそうであるように彼女の中にも純文学の響きがたしかに内在している。何かにとって、誰かにとっての「いちばん」には決して選ばれない宿命を背負っている点に純文学をつよく感じる。自ら手放したファンの数がAKB48の歴史において、あるいはグループアイドル史において「いちばん」という倒錯からも、彼女の作りあげたアイドルに純文学の香気を認めざるをえない。

常にシーンの主要アイドルであり続ける「柏木由紀」というアイドルの凄まじさとは、他者に自身が作るアイドルの内心を窺わせない、心の縁に触れさせまいとする防衛力にある、と云えるだろうか。グループアイドルが長編小説のような長い物語を書くには、なによりも他者と隔絶した存在にならなくてはならない、と心に秘めているかのように、彼女はアイドルの葛藤のすべてを自己の内奥で完結させる。NGT48への兼任も、グループアイドルとしてのイデオロギーの継承というよりは、彼女自身の物語への加筆、つまりアイドルの延伸が目的にみえる。たとえば、松井玲奈が乃木坂46への兼任で実践し成果をあげたような、アイドルの生身をちぎり取り、あたらしい筐体の底に投げ捨てるといった行為、つまり「アイドル・柏木由紀」という系譜をあたらしく作ろうとする試みによって自身の”存在”がグループの歴史のなかを漂い続けることになる、という憧憬を柏木は抱いていない。彼女の目的とは、自身の作り上げたアイドルそのものを稼働し続けることだ。仲間やライバル、あるいはファンの存在に支えられ描き出される、グループアイドル特有の稚気を、柏木は可能な限り排除しようと心がけているように映る。彼女にとって、素顔の隠蔽こそ、アイドルの儚い命を延伸させる唯一の美容法なのだろう。
だが、この他者と隔たりを設ける彼女の姿勢がアイドルとして未成熟の証しになるのか、と問うのならば、答えは「否」とするしかない。

アイドルにとっての成熟を、そのまま人間性の成熟と扱うことはできない。人として、あたりまえの生活と個人的体験を通過したあとに訪れる成熟は、アイドルの成熟とは異なる。ほとんどのアイドルは、アイドルの成熟をむかえることはできても、人間そのものの成熟はむかえない。人としての成熟は、アイドルを卒業しほんとうの夢に対する体験を経たあとになるのだろう。アイドルの成熟が可能であれば、その情況こそ、文芸の世界で活動する上でのベストコンディションだと錯覚するが、ライブパフォーマンスや演劇といった表現力の分野においては、往々にして、偶像の洗練や熟れよりも、人間性の熟れ、個人的体験の所持(喪失の体験通過)を求められるといった矛盾が発生するのである。宇多田ヒカルが「まともな歌詞」を書くために「一般人」に一度だけ戻った、というエピソードはこの成熟の問題を端的にあわらしているのではないか。
柏木由紀に話を戻すと、彼女は人としても、アイドルとしても、それなりに成熟した人物に映る。これは、アイドル(文芸)という虚構の機微を熟知した人物だけが魅せる妖艶なダンス=表現行為を可能にしている点から、逆説的に導き出せる答えでもある。嬌態という分野でならば、彼女のライブパフォーマンスはアイドル史においてひとつの快挙だ、と評価する理由は、やはり、アイドルを演じる暮らしの中で並々ならぬ個人的体験を通しひとつの成熟に達したその物語が、質と量ともに申し分なく、その豊穣さに彼女の作る表情が依存している点を看過できないからだろう。つまり柏木由紀の「全盛期」は令和が始まった現在にある、と云えるだろう。多くのファンを失った、手放した彼女の後姿こそアイドル・柏木由紀の最盛とよべる。この倒錯の所持が純文学的なのだ。

しかしまた、いや、やはりと云うべきか、このアイドルも、須田亜香里とならび、かがやかしい自身の物語に、その名声にみずから泥を塗る人物である、という点に変わりなく、ある種の痛ましさを禁じえない。なんとしてでもシーンを生きのびようともだえ醜態を晒す横顔、アイドルでありつづけなければ夢が叶わない、なにもできない、といった姿勢、つまりは膨大な可能性の余白を抱えていたはずの凡庸が、結局、凡庸のままでおわるという物語を象徴する、あるいは、シーンにおいて先導するのがこの柏木由紀であり、なおかつ、深刻なのは、シーンにおいて常に最前線に立ち闘ってきた彼女から発せられる「アイドル」の存在理由に対する解釈があまりにも幼稚で浅薄にすぎ、唖然とさせられる点だろう。平成と令和の境界線を踏み越え、前田敦子、渡辺麻友、指原莉乃など、名だたるライバルの横顔を眺めてきた彼女の結論が「グループアイドル」に縋りつくことであったのは、シーンの衰退を裏付けその動向の枠組みに囚われていることを証しだてると同時に、アイドルが本来把持する成長物語という魅力と、その共有への希求のすべてを裏切る姿勢と云える。しかしあくまでも本人はその本質的なもの、より普遍的なものへの憧憬を一切抱いていない。あるいは見て見ぬ振りをしているのか。

 

総合評価 64点

アイドルとして活力を与える人物

(評価内訳)

ビジュアル 7点 ライブ表現 16点

演劇表現 12点 バラエティ 14点

情動感染 15点

AKB48 活動期間 2006年~

 

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