AKB48 柏木由紀 評価

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「不毛の覚醒」

現代のアイドルが経験できる事象のほぼ全てに遭遇したのではないか、と覚らせる人物である。
柏木由紀は純文学タイプのアイドルか、エンターテイメントタイプのアイドルか、どちらか一方を選ぶならば、彼女はエンターテイメントタイプのアイドルに分類されるはずだが、司馬遼太郎や矢作俊彦の長編小説がそうであるように彼女の中にも文学的な響きが内在している。何かにとって、誰かにとっての「いちばん」には決して選ばれない宿命を背負っている点に文学的な響きをつよく感じる。自ら手放したファンの数がアイドル史において「いちばん」という倒錯からも、彼女の作りあげたアイドル(虚構)に文学的な価値が内在すると認めざるをえない。

「そうだ。不眠は眠れないという意識からもたらされる、なんの目的もない目覚めの状態だ。不毛の覚醒。それから脱却したいと心から願いつつも、どうしても逃れることのできない闇のなかの目覚め。地獄のような覚醒。そうした不眠地獄から脱出できる出口は、眠りという扉しかありえない。それなのに、その扉が奪われているのだ。眠れぬ夜、われわれは覚醒を強いられておる。眠りがない以上、その目覚めには果てがないし、もはや、はじまりも終わりもない……」

(笠井潔「哲学者の密室」)

柏木由紀というアイドルの、他者に内心を窺わせないために作る表情や仕草、全てを内部で完結させ、心の縁に一歩も立ち入らせまいとする一般論的な防衛力。アイドルが提供すべき「成長共有」をかなぐり捨てる様子。もはや何処へも往けない浮遊感。これが、笠井の言う「不眠」「不毛の覚醒」と重なる。NGT48への兼任もイデオロギーの継承というよりは、彼女自身の物語への加筆という色が濃い。ファンに、自身の物語を能動的に終末へと導くための身振り手振りを察知させることができていれば、それはきわめてスリリングであり、そこにイデオロギーの継承への明確な意志の存在が認められるだろう。しかし、現時点では、彼女の立ち居振る舞いから、まったくそのような意志を感じない。だが、それがアイドルとして未成熟な証しになるのか、と問うのならば、答えは「否」である。

アイドルとしての成熟は、そのまま人としての成熟にはならない。人として、あたりまえの経験を通過した後に訪れる成熟は、アイドルとしての成熟とは異なる。ほとんどのアイドルは、アイドルとして成熟することはできても、人としては成熟できない。人として成熟するのは卒業後になるのだろう。アイドルとしての成熟が可能であれば、その状態こそ、文芸の世界で活動する上ではベストな状態だと錯覚に陥るが、ライブパフォーマンスや演劇といった表現力の分野においては、アイドルとしての成熟よりも、人としての高い成熟度が求められるといった矛盾が発生するのである。宇多田ヒカルが「まともな歌詞」を書くために「一般人」に一度だけ戻った、というエピソードはこの成熟の問題を端的に現しているのではないか、と私はおもう。

柏木由紀に話を戻すと、彼女は人としても、アイドルとしても、成熟した人物に映る。それは、アイドル(文芸)という虚構の機微を熟知した人物だけが魅せる妖艶な表現を可能にしている点から、逆説的に導き出せる答えでもある。嬌態という分野でならば、彼女のライブパフォーマンスはアイドル史において最高到達点である、と評価する理由は、やはり、人して、アイドルとして、ひとつの成熟に達した彼女の書き記す物語が、質と量、ともに申し分なく、その豊穣さに彼女の作る表情が依存している点を看過できないからだろう。つまり、現在が、彼女のアイドル人生にとっての「全盛期」だと云える。多くのファンを失った(手放した)彼女の後姿こそ、アイドル「柏木由紀」の全盛期とよべる。この倒錯が文学的なのだ。

 

総合評価 71点

アイドルとして豊穣な物語を提供できる人物

(評価内訳)

ビジュアル 11点 ライブ表現 19点

演劇表現 10点 バラエティ 13点

情動感染 18点

 

AKB48 活動期間 2006年~

評価点数の見方