AKB48 福岡聖菜 評価

AKB48

福岡聖菜(C)日刊スポーツ

「ディスタンス」

福岡聖菜、平成12年生、AKB48の第十五期生。
松井玲奈が福岡聖菜に初めて遭遇した日、その瞬間に松井が溢した表情は今でも鮮明に覚えている。戸惑いがつくる一瞬の沈黙は、共時への驚きがノスタルジーを運んで松井の体内を駆けめぐった証しになる。心に思い浮かべても崩れることのない福岡聖菜の姿形が、郷愁の訪問をふせぎようのない風にする。それを邂逅と呼ぶことが可能だろうか。松井玲奈にとっては過去に経験した喪失との邂逅であり、福岡聖菜にとっては自身の物語に転換を報せる「新たな展開」との邂逅である。

邂逅と呼べる特別な出来事を経てもなお、福岡聖菜が表題曲の歌唱メンバーに選抜されるまで三年の歳月を要した、という点をどう評価すべきだろうか。デビュー六年目にして初選抜入りを果たす、そこに渦巻く興奮やスリルは、現代アイドルの描く物語の質と量、その平均を上回る再現性の低い物語と云えるかもしれない。
アイドル・福岡聖菜の特徴は、自身が描写する物語をファンに共有させるだけでなく、ファンを自身の書く物語の登場人物の一人として参加させる点にある。まるで、彼女は自身の内実をなぞらせるように、ファンに物語(アイドル)の輪郭を描かせていく。彼女が作り出した虚構(もう一つの別の世界)の扉を開いて入る、最初の部屋。きっと、その真っ白な部屋の中心には書き物机が置いてあり、ファンは彼女の部屋に出入りする度に、現実と仮想、両方の日常で拾い上げたアイドルとのエピソードを、一つひとつ丁寧に書き連ねていくのだろう。とても、時間のかかる作業である。福岡の物語の進行速度が遅いのは、このような現代的な共同編集にあるのだろうと想像する。知らない誰かが書いた彼女のエピソードを、他のちがう誰かが書き直す、そうやって少しずつアイドルの姿形が描き出され、福岡聖菜に新鮮な鼓動が宿る。だから彼女は、ファンとの共闘を通じて、無謀だと嘲笑われるような夢を具体的な目標として吐露できる。勇気を出して夢に対する感情を吐露すれば、次の瞬間、世界がそれに呼応し動き出すという事実も理解しているし、現実的な実感もすでに獲得しているようだ。アイドルに成る、という夢を叶えた少女が抱く、次なる夢への実感は、アイドルとしての矜持を育み、自身の演じるアイドルの「イロ」がグループに浸透し、やがてグループの象徴になる未来をひとつの希望として描くことを可能にするだろう。

『抑えきれない衝動』では、希望や若さを衝動として表現したが、福岡聖菜自身にとっての衝動とは”継受”であるようだ。「悔いはないからこその悔しさ」という彼女の科白に内在する背反性は、倒錯から生まれた衝動である。
グループアイドルに向けられる、筐体の歴史継承に対する希求が消失し、まったくあたらしい次の物語、つまり、あたらしい主人公(例えば、矢作萌夏のような人物)の誕生が望まれる趨勢のなかにあって、グループの歴史を継受し、過去の物語との連なりを体現するアイドルになろうと試みる少女の姿勢は、倒錯、アナクロニズムと扱われてしまうだろうか。群像劇=血の継承によってアイドルシーンの存在理由が満たされてきた事実を、現役アイドルである福岡が正しく認識したことは、現在のアイドルシーンにあっては(彼女が身を置くグループにあっては)、揶揄を買う無謀な闘いに映るのだから、悲劇的な倒錯と云えるかもしれない。福岡聖菜の容姿がきわめて逆行的であるのも、儚さを形作るのと同時に倒錯を増幅させる。(*1)
『ぼくらの勇気 未満都市』において、ヒロインを演じた宝生舞。彼女が演じる”ユーリ”は、物語に救済がおとずれる寸前に死を迎える。トラジックヒロインの観点で、希望の地まで”あと一歩”という距離で橋が崩れ落ちてしまう不条理な儚さを表現した傑作だが、宝生舞との共時性を抱える福岡聖菜もまた、仮構の中で宝生舞的な儚さを描こうとするのだから、おもしろい。なによりも、不条理な儚さという点において、福岡聖菜が向田茉夏と必然的に響きあい、アイドルの姿形が循環(宿屋めぐり)して行く光景には興味が尽きない。

『ロミオ&ジュリエット』において、福岡聖菜はジュリエットを演じるにあたり、ロミオの内面を探る必要性を感じ、それを発見するためにロミオを演じる役者の”日常”を観察したという。この視点の所持に、未曾有な、演劇への資質、可能性を感じるが、一方では、”演技に正解はない、でも正解を求めてしまう”と述べており、ここでもまた、彼女は倒錯をみせている。彼女は、役が腑に落ちないまま、舞台に立っている。舞台上のどこに立っていても、憂鬱で警戒的な、思案に暮れた表情をみせてしまう。正解を常に求めるという性向は、正解と”されるもの”に出遭ってしまったとき、それを絶対的な真理とする愚直さを手にしてしまうものである。愚直な前進とは、確実に前へと進んでいるようで、それは錯覚であり、気づけば隘路の森の中、前にも後ろにも選択肢がない状況を作り上げてしまう。彼女のアイドルとしての立ち居振る舞いから”倒錯”が生まれるのは、彼女の立っている場所が、すでに森の深部、出口が入り口につながっている迷路の中だからなのかもしれない。そこは、他者と、ファンと決定的に隔てられた場所である。つまり、福岡聖菜がはじめて、孤立感を抱ける”部屋”である。「文芸とは、乱暴にいってしまえば、自分が世界から隔てられていると感じる人間が作り上げる、今ひとつの世界」だと先人は云う。もし、このさき福岡聖菜が、他者との隔たりを自覚し、AKB48の過去の証でありながら、しかし、あたらしい次の物語を描く必要性に気付くことができるのならば、グループのあり方を群像劇へと回帰する、奇跡との邂逅が果たされるかもしれない。松井玲奈が福岡聖菜に遭遇した日のような物語が、AKBグループの通史を読むファンに情動を与える奇跡がもう一度、生まれるかもしれない。(*2)

 

総合評価 63点

アイドルとして活力を与える人物

(評価内訳)

ビジュアル 14点 ライブ表現 12点

演劇表現 13点 バラエティ 12点

情動感染 12点

AKB48 活動期間 2013年~

引用:(*1)野木原晃一 「週刊東京ウォーカー」
(*2)福田和也 「乃木希典」

2019/04/19 再評価 大幅にリライトしました
ライブ表現 11→12 バラエティ 11→12

評価点数の見方