乃木坂46の『17分間』を聴いた感想など

座談会

(C)ここにはないもの ミュージックビデオ

「アイドルの可能性を考える 『ここにはないもの』感想戦 編」

メンバー
楠木:批評家。趣味で「アイドルの値打ち」を執筆中。
OLE:フリーライター。自他ともに認めるアイドル通。
島:音楽雑誌の編集者。
横森:カメラマン。早川聖来推し。

先日は、各々が想う2022年のMVP(アイドル)を、出し合った。今回は、マスターピースを選び、語る。

「結局、乃木坂」

楠木:テーマが、今年の一枚を決める、なので、当然、レコード単位で、ということになります。こうやってCDを並べて、見て、どうですか。
OLE:AKBとかHKTとかNMBとか、このあたりは論外として、SKEの『心にFlower』。良作だね。
楠木:STUの『花は誰のもの?』。物凄いフットワーク。
OLE:うーん。表題曲は頭に浮かぶんだけどね。
横森:メロディが頭の中をしつこく駆け回らない時点で論外。
楠木:そうとも言えないけどね。音楽を流して、その時間のなかでどう感じるのか、でしかないので。
OLE:俺はこれかな。『僕なんか』(日向坂46)。
楠木:ここにはないんですけど、NGT48の『渡り鳥たちに空は見えない』。力が入っている。一年に一枚のほうが質を保てるのかも。
横森:リヒテルのラフマニノフ・第2番だよね。
楠木:リヒテルを喚起するって、カタルシスだろうね。喚起そのものが一種の。
横森:なんか意図的に作ろうとしてるでしょ。カタルシス。それでそこに役立てられるのが衝動っていう、なんかごちゃごちゃしてる。倒錯、って表現するのかな。

島:笑顔が良いですよね、センターの本間さん。
OLE:でもまだ発売してないからね。
横森:結局、乃木坂になる。『好きというのはロックだぜ!』かな。カノンだよね。
島:『Actually…』のほうがカノンに見えますよ。『価値あるもの』と『絶望の一秒前』って乃木坂のカノンを歌っているわけでしょう。
楠木:一枚、って考えるときに、レコードを分解して、それぞれの楽曲の良し悪しを考える、そのバランスとか、構成力とか、テーマとか、考えてしまいがちだけど、そうではなくて、レコード、CDジャケットを手にとってみたその感触で良いと思うんだけどね、僕は。『Actually…』と『好きというのはロックだぜ!』なら間違いなく『好きというのはロックだぜ!』を選ぶけど、『好きというのはロックだぜ!』と『ここにはないもの』なら、『ここにはないもの』のほうが格好良い。
OLE:曲を聴きながら選んでいるわけじゃないからね。
楠木:音楽そのものについて云えば、『ここにはないもの』は『好きというのはロックだぜ!』の経験を直に活かして作られているので、やっぱり今年のマスターピースは『ここにはないもの』になるんじゃないかな。

「17分間」

島:『17分間』、観てみますか。
OLE:『君に叱られた』と同じ映像作家だよね。
横森:色づかいがまったく同じ(笑)。
OLE:「時間」に強迫観念を持ってるのかな……。
島:こういうアイドルの映像を観て、いつも思うんですけど、全部、演技ですよね?
OLE:演技でしょう。
島:だとしたら、すごい。
横森:しかしまあタレント揃いだね。というか、その手の感想しか出てこない。
OLE:たしかに(笑)。
島:でもそれって、アイドルとして一番求められる声に対応しきれている、ってことですよね。
OLE:作り手は大変だよな。魅力を引き出そうと鼻息荒くしても、もうすでに魅力に溢れているっていう。
横森:この作品で言えば、そういう努力は失敗してるよね。
楠木:未完成って部分を見つけ出して掬わないといけないんじゃないかな、やはり。

「悪い成分」

OLE:タイトルもそうだし、「ドーベルマン」で台無し。
楠木:秋元康って、アンダー楽曲を書くとき、恥知らずになる。
島:5期生と比べれば、彼女たちのほうが演技が上手いはずですよね。でもこの作品を眺める限り、演技はあまり良くない。
横森:そこまで単純な話ではないんじゃない。
楠木:そういえば、前にドラマで中村麗乃のキスシーンを見たんだけど、あれはもうアイドルの演技じゃない。いろいろときわどい、というか、アイドルから抜け出てる。それはともかく、アンダー楽曲って、視点の持ち方作り方が簡単なんですよ。作品として受容する、のであれば、単にこの中から「選抜」に引き上げるのは誰が良いか、誰が引き上げられるべきか、見ればいいだけです。それが作品、表現への純粋な応答になる。もちろん、「選抜」とは別の魅力、「選抜」にはない魅力、とか、そういうのを考える必要もない。
島:この中からなら、どのメンバーが選抜に行くべきですか。
横森:正直、この中村麗乃はコンディションが悪いよね。
OLE:うん。
楠木:そうかな、選抜というかセンターの水準にあるとおもうけど。
横森:2~3年前までじゃない?最近は自分としか対話していないような、そういうイメージ。
楠木:色気があるよ。今の乃木坂で色気があるのって中村麗乃と与田祐希くらい。あとは松尾美佑とか。
横森:佐藤璃果は?
楠木:寺田蘭世のリライトだよね、この人。
OLE:ああ。
楠木:この中からなら、やっぱり中村麗乃じゃないかな。あとは…、黒見明香。

「アトノマツリ」

OLE:MVはこれが一番良い。でも、若者なのに、ヒップホップをやろうとすると2000年初期のラッパーが作ったイメージを模倣しちゃうんだね。ラップする時の動きとかさ(笑)。ジャンルが瑞々しさをまったくもってないってことなのかな。
楠木:ヒップホップは今、成熟化って問題に直面していて、ギャングスタラップにナードが入ってきたり、シーンそのものを見れば、スタイルのぶつかりあいみたいなのはあるんだけど、ブルーハーブの登場以降、ブルーハーブの枠組みから抜け出たラッパーって一人もいない。あたらしい才能がまったく出てこない。一方で、リスナーがどんどん大人になってきたって状況があって、じゃあ今までどおりラップできるのか、という問題が出てきた。ラップを困窮からの脱出みたいな、凶暴さを下敷きにした脱出というイメージのなかで、大人になった今も、おなじ思惟の中でラップできるのか、と。つまり成長してしまったのに、成長をしていないフリをしないといけないような、そんな状況にあるわけですね、ラッパーって。そうした理解に達して実際にスタイルを変化させつつ、ヒップホップの魅力を見失わないように、かつ、大人の音楽でもありえるように、ラップをしてるのって、ブルーハーブだけでしょう。
横森:ブルーハーブって、MVは作らないほうが良いよね。
楠木:なぜ?
横森:演技が下手だから。どれだけ素晴らしい音楽を作ってもMVでヘタクソな演技見せられたら、萎えるよ。
楠木:言われてみれば、そうだね。いらないね、MV。まあライブの映像をそのまま持ってくれば解決するけど。
島:音楽をやるうえで演技力って絶対に必要なものじゃないですか。ミュージックビデオを作らないとダメでしょう今は。
横森:役者に頼めばいいじゃない。
島:ところが、そういう作品ってそこまで多くなくて、アーティスト自身の演技による映像作品がほとんど。
OLE:思うに、彼らって演技の訓練をしてるのかな。MVのために。
横森:それはそれで、イメージが台無しだよね(笑)。ロックスターが稽古場で演技の練習してたら笑っちゃうよ。
島:していると思いますよ、練習。
横森:結局、付け焼き刃にしかならないから、やらないほうが身のため。
島:その点アイドルって強いですよね。この『アトノマツリ』にしても、スマホさえあればそこで演劇が作れちゃうだけの演技の下地をそれぞれのメンバーがもっている。
OLE:乃木坂はそのへんの役者より演技できる子が揃ってるからね。
横森:MVに関して言えば、アイドルのそれを眺めて「アーティストごっこ」だとか言って笑うことはどのアーティストにもできないよね。乃木坂より演技ができる、演技経験のあるアーティストなんてどこにいるの?って。
楠木:そう考えると、この『アトノマツリ』って純粋なアンダーグラウンドだよね。自分のやりたいことを、自分の手でやってる。ラッパーとか、演技が苦手な人間なのにそれでもMVに自分を出すって、要は、全部自分の手でやりたいっていう芸術性があるからでしょう。
横森:作詞してないけどね。アイドルは。
楠木:それはアイドルを演じることと打つかるから。というか、そうした言語伝達の手段が彼女たちにとっては「アイドル」なんだよ。

「ここにはないもの」

OLE:これって『サヨナラの意味』ってより『僕は僕を好きになる』だよね。
横森:なんか、いろいろ連想させる。ちゃんと考えてる。
島:僕はそういうの好きじゃない。この作品に対してのみ、そう感じるのかもしれないけど。歌詞にもそういう「連想」がありますよね。裸足でどうのこうのって。
横森:ファンサービスだよ。
島:浅いというか、軽いというか。
OLE:まあ。
島:演技はさすがで、ちょっともう他とは比較にならないレベル。齋藤飛鳥、山下美月、遠藤さくら。
楠木:でもこれ、そこまで現実を持ち込んでいるわけじゃないというか、実はこれって『好きというのはロックだぜ!』と地続きにされているんじゃないかって、思うんだけど。
OLE:散文だよね。これも。
楠木:散文というか、リレーしていますよ、思惟が。書き出しに「事実」つまり「情報」を書くっていうのはかなり有効的で、情報さえ置いてしまえば、あとはその情報を前にして頭に浮かんだ言葉をノートに記していけばいい。『好きというのはロックだぜ!』がまさにそれで、冒頭に賀喜遥香の言葉=情報を引き、置いた、そしてそのあとに想像・妄想が記されている。アイドルが原稿用紙の上でどうやって動くのか、踊るのか、眺めるには、まず情報を置いてやればいい。そうすれば、書き手のなかで、なにか、アイドルへの解釈のようなもの、が生まれるんだね。
横森:あてがきではないよね、それって。
楠木:そう。あてがきとはまったく異なっていて、あてがきって要は、秋元康がすでに解釈として備えた感慨、アイドルへの抱擁、でしかなくて、原稿用紙の上でアイドルが踊っているわけではない。最近の秋元康の詩を読むに、詩作のなかでアイドルを知ろうとするような、そういう段階にある。もちろん、段階といってもそれは、前とか後ろとか、そういう意味ではない。じゃあそうした段階にあって、卒業ソングはどうなるのか、どうなったのか、という視点、わくわくさが出てくるはずだけど、『ここにはないもの』を読んでみると、これはアイドルの卒業ソングではないんだね。作詞家の内でなにか、前を向きつつ失われるもの、を歌っているように感じる。喪失感がある。サヨナラ、がある。喪失感、と書くと、なにか難しいことを言っているように見えるかもしれないけど、これは誰にでも理解できる言葉、ではなく、誰でも経験し得る言葉、誰でもきっと持っている言葉=感情だとおもう。たとえば、夕方の5時になって、夕焼けのチャイムが鳴る、そうすると、自分の家に遊びに来ていた友達が帰り支度をして、サヨナラ、と言って帰っていく。子供の頃に感じた、あの瞬間の寂しさって、喪失感だよね。また会えるのに、寂しい。アイドルの卒業に対する喪失感もそのサヨナラと同じなんじゃないかな。『ここにはないもの』にはそういう喪失感が印されていると思う。寂しくないほうが良い。楽しいほうが良い、と話す、齋藤飛鳥の卒業ソングとして、ピッタリなんじゃないかな。

「今年の『アイドルの値打ち』を振り返る」

OLE:改稿癖の一長一短がやっぱり出てきたよね。サイト立ち上げ当時の記事はたしかに粗雑だったり突飛だったり、支離滅裂でさ、わけがわからない呪文のような文章だったけど、アイドルを書くことで自分の中にあるなにかを探そうとしているような、そういう魅力があった。最近は過去の自分の文章への解釈を書いているよね。
島:NGT48の批評を見るに使命感が出てきている。
横森:そうかなあ。
OLE:それは違うよね。そういう批評はやってないよ、彼は。
横森:『アイドルの値打ち』に限ったことじゃないけどさ、なぜ批評を書くんだとか、そういった使命感とか、書くことの理由を問われがちだよね。
楠木:僕はそんなに真面目じゃないからね。
OLE:批評と聞くとなぜか真面目な文章に捉えようとする、真剣さを求めてくる人間が多い。それは批評を、文章を書かない人間の特徴でさ、まあそこは生き方の違いであって詰める必要もないし仕方ないんだけど、そういった考えはどうしようもなく無知であることのひけらかしだと受け止めたほうがいい。
楠木:僕にとっての批評って実は小説とまったくかわらなくて、ゲラゲラ笑ったり泣いたりするもので、大衆にとっての、不真面目なもの、だから、小説の批評にしても、アイドルの批評にしても、真面目に書いたことなんて一度もない。そんな退屈でつまらない時間を過ごしたことはない。だから、『アイドルの値打ち』を読んで、おもしろい、って感想を言ってくれるひとが、僕は好きなんだね。笑ってくれたなら、やっぱり、嬉しい。
OLE:最高の褒め言葉だよね。
楠木:読者から頂戴した感想のなかで、一番嬉しかったのは、「読み物として面白かった」という一言。

島:楠木さんに勧められて保坂和志の本を読んでいるんですけど、読みながら思うのは、言葉というか思惟ですか、その端々が楠木さんの言葉と重なってみえる。でもそれが楠木さんによる保坂和志の模倣と言い切れないのは、そもそも、物事の本質がすでにそこにあって、それに対して各々違う角度から表現をして突いているだけなんじゃないかって。というか、保坂和志の思惟にしても、これって福田和也ですよね。エンターテイメント小説への捉え方とか。でも次のページを開くと、ひとつの思惟をもとに、そこから各々が書くことで違う答えを得ていくような、答え、なんて言ったら怒られそうですけど(笑)。そういう発想、考えが安易であることを突き付けられてしまう。わけがわかりません(笑)。
楠木:単に、僕がその二人を真似しているだけですよ。凡人と天才の差でしかない。
OLE:真似というか、『アイドルの値打ち』に絞って話せば、アイドルを通してなにかを考える、なにかを得ようとする際の足がかりだよね。まあ引用ということになるんだろうけど。
楠木:模倣といえば、やっぱり僕は福田和也の文章ってちょっとこれはもう真似なんかできないなあ、と。真似してみてはじめてわかる凄さというか、そう簡単に真似なんかできない文章というか。何周も回って、何周も手書きでノートに写してみて、これはとてもじゃないが無理だぞ、と。『奇妙な廃墟』よりも『作家の値うち』のほうが、今の僕、のなかでは奥ゆきある作品に見える。
島:その行為ってまさにバイブルに接する行為ですよね。ある書物をバイブルに押し上げる行為。アウグスティヌスと聖書みたいに。
横森:でも福田和也にしてみれば気持ち悪いよね(笑)。だってあれってガイドブックとして書いているわけだから。読み方接し方が違うだろと。
楠木:それって……、僕がアイドルにやっていることなのかもなあ。


2022/12/19  楠木かなえ