吉本坂46 遠藤章造 評判記

「アイドルジャック」
遠藤章造、昭和46年生、吉本坂46の第一期生。
高校球児だった少年は上京後、お笑い芸人として大成し、大晦日に日本中へ笑いを届ける存在にまで到達する。お笑いコンビ・ココリコの名を知らない日本人は、そう簡単には見つからないだろう。この、芸能界の酸いも甘いも噛み分ける人物が職業を通して「アイドル」を名乗る羽目になったのは数奇と云えるだろうか。あるいは、文芸の世界に身を置く者ならば、当たり前の奇跡=よくあるイベントだ、と一笑に付されてしまうのか。
吉本坂46は、今日のアイドルつまりグループアイドルに付随する概念のみならず、現代のアイドルシーンそのものの概念を破綻させる存在になるのではないか、アイドルを意識的に眺めるファンから危惧されている。その反動はなかなかのもので、存在自体認めたくない、と呼号するファンも多い。ファンが求めることをやるのがエンターテインメントだ、とは良く言ったもので、かれら彼女らが意識的に、あるいは無意識に吉本坂を看過しようとするその姿勢によって、この新アイドルグループの破壊力・ブレイクは失敗に終わるだろう、という予兆がすでに伏在している。
遠藤章造を、彼の持つキャラクター性を説明できる日本人は多いはずだが、しかし、それは同時に、概念ではなく、ひとつのジョブ、ひとつの肩書きとしてアイドルを名乗った彼の成長を、ファンが共有する機会、発見をする余地がほとんど残されてはいない事実を意味する。これからアイドルを演じる時間と、これまでに彼が築いた人生の長さ、そこにある距離の差からうまれる倒錯を、アイドルファンは受け入れられないのではないか。もちろん、遠藤章造を応援するファンが「アイドル・遠藤章造」というコンテンツを愉しむ光景ならば、それは容易に想像できるのだが。
しかし、一方で、身体中に湿布を貼りながら、日常で見せることのない種類の汗を流しながら、舞台の上で懸命に踊る彼の姿には、「職業」ではなく、概念としての「アイドル」を復活させるかもしれない、という胎動の手触りがたしかにある。批評家めいた、退屈な表現を用いるならば、アイドル・遠藤章造の誕生=吉本坂46の誕生は、現代アイドルシーンの”ジャック”などではなく、アイドル史の軌道修正への試みであり、つまりそれはある種の回帰現象の兆候と呼べるかもしれない。それは、アイドル=グループアイドル、ではなく、アイドル=ソロアイドル、とするシーンへの回帰である。であれば、彼の存在を認めることは、既存のグループアイドルたちへの視点にあたらしい可能性を生む、ひとつのきっかけになるかもしれない。たとえば、アイドル=グループアイドルの概念が崩れた際に、一体どのようなアイドルが先陣に立つのだろうか、といった可能性と話題が降るのではないか。換言するならば、吉本坂46という不気味な存在をまえに、アイドルファンには、ある種の寛容さと柔軟さが作る思考の組み換え、バランス感覚が求められているのだ。
総合評価 52点
問題なくアイドルと呼べる人物
(評価内訳)
ビジュアル 13点 ライブ表現 5点
演劇表現 6点 バラエティ 15点
情動感染 13点
吉本坂46 活動期間 2018年~