SKE48 小畑優奈 評価

小畑優奈(C) ENTAME(エンタメ) 2018年11月号

「清潔な、明かりの心地よいアイドル」

自分を壊す、自分を殺すってのは、脊髄通して脳まで伝わるタイプの実際の痛みってものさえなかったら、結構皆のやりたがることなのだ。この世にいるのは自分のことが大好きな人間ばかりじゃない。そういう人が好きじゃない自分を壊して殺して新しい自分を求める。今の自分に物足りない、まだまだ自分は未熟だ、このままの自分じゃ駄目だと思う人間もたくさんいるから、そういう人たちも自分を壊して殺して、自分を壊した殺したという経験を経た新しい自分に期待をかける。

舞城王太郎 「阿修羅ガール」

小畑優奈はSKE48の第七期生であり、アイドルとしての正統さ、古典と邂逅する風格と感性を具えた稀有な存在である。特に、ビジュアルについては文句のつけどころがなく、そこに漲る清新さは次世代アイドルという狭い枠組みに収まらず、グループアイドルの作る系譜そのものからはぐれる、清潔な、明かりの心地よいアイドルを作っており、近代アイドル史において最高到達点と云えるだろう。今後、彼女のような”扱いきれない逸材”が出現するのか、共時性の観点に立とうとも、その展望は見出し難い。小畑優奈の卒業発表とは、アイドルファンにとって喪失の体験と呼べるだろう。
小畑優奈の成熟へ至る瑞々しい過程とは、グループが繁栄を謳歌した時代の栄光を取り戻す行為などではなく、崩落を持ち堪える支柱を砕く収斂であり、過去の遺産を破壊し、また同時に自分を、「好きじゃない自分」の笑顔を損壊しながら、打ちひしがれながら、まったく別の、まったくあたらしい時代の栄光を勝ち取る嘱望であった。小畑優奈というアイドルと成長を共有することは、「このままの自分じゃ」、このままのSKE48じゃ「駄目だと思う人間」が、小畑優奈によってグループのイデオロギーが砕かれ、「壊した殺したという経験を経た新しい自分に」、グループに「期待をかける」、未来への望みであった。グループアイドルの第一世代に出現する”主人公”(前田敦子、松井珠理奈、生駒里奈)の書く物語が次世代の”主人公”によって塗り替えられる光景を、家郷の再建築を、未だ、私たちは目撃していない。もし、小畑優奈がその光景を描くことに成功するのならば、それはアイドル史に銘記される快挙であったが、もちろん、そのような身勝手な期待感や自己投影は結実しない。(*1)
圧倒的な主人公感、負けず嫌いで明快な性格、深く真っ直ぐな瞳、物怖じをしない豪胆さで他のアイドルを末端的登場人物へと追いやって行く光景は観ていて痛快であったが、小畑に対して生まれた期待感が結実せずに唐突に打ち切られたのは、彼女の抱え込んだ屈託が愚直な前進を選択したからだろう。彼女は”好きじゃない自分”の笑顔を作る行為と、それが手放しで称賛される虚構と完全に決別したのだ。日常を演じる世界に別れを告げたのだ。『誰かの耳』のミュージックビデオにおいて、その仮構の中でゆっくりと揺きだした少女が、街路を咲いながら走り、地平から遊離するようにジャンプしたとき、少女の物語に”はじめて”輪郭が明確に描かれたとき、次の、「もっと新しい世界」を掴み獲った。架空の世界の中で揺れ動く少女はフィクションを作ることへの憧憬を隠さず、ポテンシャルの在り処を指し示したが、それはアイドルシーンの病弊に囚われない場所=結末であった。向田茉夏のような虚構の保存には到達しないが、少女の、小畑優奈の、アイドルという偶像が引き寄せる”鏡=投影”に対する反動と苦闘の露出は、少女たちの青春の犠牲に魅力を見出さざるをえないファンの妄執を暴き、現代アイドルとして描くべき”群像”を書き切った、と云える。(*2)

 

総合評価 75点

アイドルとして豊穣な物語を提供できる人物

(評価内訳)

ビジュアル 19点 ライブ表現 15点

演劇表現 13点 バラエティ 14点

情動感染 14点

SKE48 活動期間 2015年~2019年

引用:「」(*1) 舞城王太郎 / 阿修羅ガール
「」(*2) 秋元康 / 不協和音

評価点数の見方