乃木坂46 斎藤ちはる 評価

乃木坂46

斎藤ちはる (C)2012-2018 TOKYO POP LINE

「アンストラクチャー」

斎藤ちはる、1997年生、乃木坂46の第一期生。
ルックス、ライブ表現力、と文句なしの実力者である。アンダーライブという”特殊”な空間で鍛えられた表現力は斎藤ちはるを安定感抜群のアイドルへと導く。ルックスに関してならば、現代アイドルのなかでもトップクラスの端麗さを誇る。松村沙友理と同様に、年齡を重ねながら美しさを増していく、アイドルとして稀有な資質の持ち主である。だが、彼女の美には人を惹きつけ魅了する”なにか”が決定的に欠如している。”
なにか”を平易に表現するならば、「人間味」と云えるだろうか。斎藤ちはるに人間味がないとは感じない。”生きること”に対する感情の吐露をしっかりと描き、やや大仰ではあったものの、ファンの前で心を裸にしてみせてしまう大胆さを把持しており、アイドルとファンの成長共有というコンテンツを必死に成立させようと奔走した人物である。だが、その「想い」をファンに伝播させる発想力、自身の物語に読者を手繰り寄せる握力が、彼女には決定的に不足していた。

文章や、行動で自分の心の内をそのままストレートに表現することは、実は物凄く難しい。試しに、頭で考えついた言葉をそのままノートに書き込んでみて欲しい。おそらくほとんどの人間がペンを走らす段階で無意識に文章を校正してしまい、頭にあった言葉とはニュアンスの違う文章を作るはずだ。日常の立ち居振る舞いにも同様のプロセスがあり、アイドルにとってはこの問題が、「素顔」の再現と仮装の実現にすり替わる。斎藤ちはると同年齢でデビューをした生田絵梨花には、この”あるがままに”を成し遂げる資質があったが、斎藤ちはるにはそのような資質は備わっていなかった。一般的なアイドルと比較しても彼女の資質は平均より下、ひどく劣っていただろう。それは、彼女を取り巻く境遇に因るものかもしれない。斎藤ちはるも、他の多くのアイドルたちと変わらず、アイドル活動をしながら自我同一性を獲得した一人である。デビュー時は中学三年生。平均的なアイドルと斎藤ちはるの相違は、乃木坂46というトップクラスの人気を誇るグループに所属している点にある。しかも、彼女は乃木坂46の第一期生である。他のグループとは異次元の闘争、椅子の奪い合いを経験している。白石麻衣、橋本奈々未、松村沙友理、西野七瀬、齋藤飛鳥と”兵ども”を挙げたらキリがない。だが、一方で「アイドル」そのものへの挫折感が薄いのも事実である。斎藤ちはるは、闘争に破れ、存在理由を剥奪される「アイドル」を、屈辱を経験していない。必要な場面で挫折し損なってしまった、と云っても良い。なぜなら、人気と実力の両立を成していなくても、乃木坂46(トップアイドル)の一員として、満足ができるレベル、体面が保てるレベルで少なくはない数のファンに受容され、アイドルとしての存在理由を満たしてしまったからである。かっこいい、かっこわるい、という評価、とりあえずの結論に一度もたどり着けないまま、緊張感の無い、無為な時間を過ごしてしまった。文芸とは隔絶によって作られるものだが、「斎藤ちはる」はグループと一度も隔たりを作らなかった。孤独で、緊張感に包まれるアイドルとは、アンストラクチャー的な錯綜を抱え込み、前を見ても道がないし、振り返ると後ろにも道がない…、切迫を抱えたアイドルを指す。彼女は、おそらく、ちがった。「斎藤ちはる」はアイドルを演ることが、生きることを勝っていなかった。

「人間味」が欠如したアイドルを完成させてしまった結果、どれほど長い文書を書き連ねても、大衆に向けてどれだけ自身の内奥を吐露しようと試みても、それが伝えたいと想う心に届くことはなかった。そして、そのままアイドルとしての人生に幕を閉じることになった。これが情動感染値を”ティア3”に置いた理由である。しかし、この情動感染とは、アイドルにとって「必須」であっても、アナウンサーにとっては不必要な資質である、と私は思う。感情を抑制することに尽力するアナウンサーにとって、斎藤ちはるが持つ、感情を伝えたくても伝えられない特性というのは一転、大きな武器になるだろう。

 

総合評価 56点

問題なくアイドルと呼べる人物

(評価内訳)

ビジュアル 15点 ライブ表現 14点

演劇表現 10点 バラエティ 12点

情動感染 5点

乃木坂46 活動期間 2011年~2018年

評価更新履歴
2018/11/3  再批評をしました

評価点数の見方