乃木坂46 渡辺みり愛 評価

乃木坂46

 

「神の子どもたちはみな踊る」

透明感あふれるアイドルであるが、「怜悧」な人物でもある。透明感と怜悧は相反するものである。それを結実し、魅せてしまえるのは、独特で邪悪な正義感とも呼べるような「資質」を兼ね備えているのでは、と感じる。渡辺みり愛はビジュアルの評価に苦心するアイドルのひとりである。例えば、井上小百合はその時々の表情で評価が様変わりするアイドルであり、評価の際に10点か19点か、迷った末、間をとった経緯があるが、渡辺みり愛の場合はそれともケースが違う。渡辺みり愛の容姿の評価には「質感」「手触り」「感触」といった観点がつよく割り込んでくるのである。リアリティーを伴う情動を引き起こさせるのだ。

ある大手メディアに掲載された記事の『乃木坂「奇跡」の1期、「不屈」の2期、「精鋭」の3期生』という見出しをみたとき、わたしはまず、渡辺みり愛を想起した。不屈とは孤立して、孤独である人間に与えられる称号である。

幼童のころから、青年の域に近づく頃まで、ずっと孤立していた。 乃木の詩想が豊かであることについては定評がある。その底には、やはり疎外感が横たわっていたのではないだろうか。文芸とは、乱暴にいってしまえば、自分が世界から隔てられていると感じる人間が作り上げる、今ひとつの世界だから。

(福田和也「乃木希典」)

「不屈」という見出しは、いささか好意的な配慮をした表現であるとおもう。「不遇」が適当ではないか。不遇とは要は運がない「不運」を意味する。乃木坂46の2期生とは、なんといっても、とびきり不運で気の毒な存在なのである。これからまさに「黄金期」を迎えるであろう1期生のなかに放り込まれたばかりか、マネージメント戦略か、大衆心理がそう仕向けさせたのか、そこに対立構造を生んだのである。(後に、生駒里奈の「2期生は戦友」発言で報われることになるのだが、それはデビューから5年後のはなしである)もちろん、この「運」や「境遇」とはアイドルにとっての実力、才能と評価すべき類のものであり、嘆いてばかりでは何も始まらないのだが。

大多数のファンの認識では「2期生代表」といえば堀未央奈となるのだろうか。しかし個人的には堀未央奈は、新内眞衣と並び、独自の枠組みのなかに立って活動しているアイドルだと感じる。資質だけで判断すれば、佐々木琴子が担うべきポジションなのだろうが、未だ、古代遺跡のようにねむったままである。物語の量が不足している。

そう考えるとやはり、孤立感、疎外感。このイメージをつよく纏っているのは、渡辺みり愛となるのではないか。渡辺みり愛はそのちいさな身体から強烈な孤独感を放つのである。彼女のファンはそれを放っておけないのである。

「奇跡」「不屈」「精鋭」と、キャッチーで安直な表現だが、この与えられた称号のなかで、どれが一番豊穣な物語につながるのだろうか。それは「奇跡」かもしれない。奇跡との遭遇はひとに「運命」を感じさせる。「精鋭」は期待感や希望、そして未来を与えるだろう。

「不屈」であることは、孤独である。孤独を自覚した、孤立感を抱いてしまったアイドルを応援するというのは、矛盾した、独りよがりな、救いのない行為なのかもしれない。しかしそこで書かれる物語は「奇跡」「精鋭」よりも遥かに文学的な響きを、輝きを放つ。

自分が世界から隔てられていると感じたアイドルがつくりあげる虚構。その世界のなかで、アイドルは(渡辺みり愛は)心を丸裸にして、ファンに共感、共闘を呼びかけている。
もし、それが成功すれば、勝利は目前である。

かえるくんはくるりと大きな目をまわした。「片桐さん、実際に闘う役はぼくが引き受けます。でもぼく一人では闘えません。ここが肝心なところです。ぼくにはあなたの勇気と正義が必要なんです。あなたがぼくのうしろにいて、『かえるくん、がんばれ。大丈夫だ。君は勝てる。君は正しい』と声をかけてくれることが必要なのです」

(村上春樹「神の子どもたちはみな踊る『かえるくん、東京を救う』」)

 

総合評価 71点

アイドルとして豊穣な物語を提供できる人物

(評価内訳)

ビジュアル 14点 ライブ表現 18点

演劇表現 16点 バラエティ 9点

情動感染 14点

 

乃木坂46 活動期間 2013年~

評価更新 履歴 2018/7/1  ライブ表現16→18 演劇表現14→16

評価点数の見方