乃木坂46 渡辺みり愛 評判記

乃木坂46

渡辺みり愛 (C) アップトゥボーイ2017年9月号

「勇気と正義」

幼童のころから、青年の域に近づく頃まで、ずっと孤立していた。 乃木の詩想が豊かであることについては定評がある。その底には、やはり疎外感が横たわっていたのではないだろうか。文芸とは、乱暴にいってしまえば、自分が世界から隔てられていると感じる人間が作り上げる、今ひとつの世界だから。

福田和也 / 乃木希典

渡辺みり愛、平成11年生、乃木坂46の第二期生。
透明感にあふれたアイドル。けれど怜悧な人でもある。情感豊かなのに、どこか冷めている。一見、正義感の強い人、に見えるが、長時間眺めていると、「アイドル」に囚われない邪なもの、をその横顔の内に目撃し動揺させられる。アイドルの日常にある種の愚作があるのか、言いようもなく引きつけられてしまう。
この人は、演技が上手い。自分以外の何者かを形容することが得意で、つまりウソ=フィクションを作ることに長けている。演技が上手いのならば、当然、踊りも別格に上手い。とくに映像世界において描き出す表情・立ち居振る舞いには、グループアイドルでありながら常に独りで行動しているような、孤独にふりつもった独特の佇まい、独自の境地にあり、その存在感はぬきんでている。
踊ることでアイドルの美しさを最大限に表現した『Sing Out!』においてはじめて歌唱メンバーに選抜されたそのストーリー展開も、退けることのできない帰結に思う。
無垢でもなく、無邪気でもない、能動的で愛嬌のある笑い顔を作るアイドル、けして触れてはならないという危うさによってむしろ触れようとしてしまう、というある種の魔性を宿し投げつけるアイドルだ、とあるいは換言することができるだろうか。それはたとえば、彼女を眺めることで、その質感の柔らかさ、手触りの甘美さへの想像力を掻き立てられる、強い現実感覚を伴う性への感興を引き起こさせるビジュアルによって証される。
もっとも希求されるのは、やはり、その丸めた背中から放たれる孤独感、ではないか。それは、芸能界のとびらを開いたことで少女としてのあたり前の日常を断念したことを一種の絶望と捉え、その絶望に対し常に明晰に振る舞うことの、孤独感、である。青春を駆けることを一度諦めた人間が、しかしアイドルを演じる日常を手にした今、それを濫費しようと倒錯する行動力によってきしみ現れる、孤独感。
渡辺は、「アイドル」を青春犠牲の上に成り立つもの、とは捉えないし、「アイドル」を青春そのものとも捉えない。どこか、青春の愚作を試みる邪さ、がこの人にはある。そうした意思は、「当然」を当然のように否定する強く捻じ曲げられた正義感に支えられたアイドルを映し出し、また、おなじだけの勇気と正義を「愛」の代替物として、自身のファンに求めつづける、信義に満ちたアイドルの物語を提示する。
あるメディアに掲載された記事の『乃木坂「奇跡」の1期、「不屈」の2期、「精鋭」の3期生』
という見出しをみたとき、私はまず、この渡辺みり愛を想起した*1。「不屈」とは、いわば孤独感の結晶と云えるからだ。

だが、不屈という見出しはいささか好意的な配慮・表現であるとおもう。やはり、不遇、が適当ではないか。
乃木坂46・第二期生。彼女たちほど、不運で、とびきりに気の毒な存在は、探してもなかなか見つからない。不遇をアイドルの軸にして、それぞれがそれぞれの不遇を抱きしめアイデンティティを育むほどに、彼女たちは気の毒なアイドルを編んでいる。アイドルにとっての不遇、これは「乱暴にいってしまえば、自分が世界から隔てられていると感じる人間」だけに発見される、ひとつの境地、ではないか、少女たちの横顔は教えてくれる*2
乃木坂の地に集合し、アイドルグループの立ち上げ、その当事者として、夢見る群像を編み上げた第一期生。彼女たちがまさにこれからアイドルとして黄金期を迎えるであろう強い予感、とくにグループにおいて冠絶した人気・知名度を誇る白石麻衣が満を持してセンターに立つという希望に満ちた物語の展開のなかにやや唐突に、夢への固い絆に結ばれた一期のこころを引き裂くかのように、乃木坂の歴史の上に出現したのが二期なのだが、それは当然、勢いよく回る歯車に潤滑油を滴らせるような効果を生むのではなく、歯車の動きを鈍らせ軋ませる、細かく砕いた磁石を放り込むような光景を、シーンに映し出した。
突然放り込まれた異物、その手触り、不快感に、一期生たちは強いオブセッションを抱え込んだ、ようだ。幻想の世界の空にヒビを入れられたような、アイドルへの興をそがれたような、現実感覚としての怒りを、彼女たちは覚えたようだ。フィクションの内側に突然現れた現実問題を看過できる人間は、少ない。夢見る少女であれば、なおさらだ。ゆえに、二期生のそれぞれが、異なる理由をもって乃木坂のなかで孤立することになった。

大多数のファンの認識では、この二期の代表は堀未央奈になるのだろう。『バレッタ』において、白石麻衣をセンターから引きずり下ろしたのが堀であり、彼女のその孤立感とは、たとえば松井珠理奈に与えられた闘争としての孤独と類似しており、たしかに独自なもの、個性がある。しかしその境遇を経て、が出したアイドルとしての回答とは、序列闘争における刺激剤の役割を担いつづける、のではなく、ファンに甘えた、アンチとの闘争の物語、であった。よって堀未央奈を二期=不遇つまり孤立感を備えもつアイドルの代表と呼ぶことは困難を極めている。資質だけで判断すれば、佐々木琴子が担うべきポジションなのだろうが、未だ、古代遺跡のように眠ったまま、目を覚まさない。語るべき物語に不足する。
選抜とアンダーのどちらにもノスタルジーを見いだせない北野日奈子、二期に対し門外漢を振る舞うことで存在感をいや増してきた山崎伶奈、二期でありながら一期と深く交わる新内眞衣、アンダーの主人公として選抜のセンターに向け愚直に歩む寺田蘭世など、それぞれが独自の孤立感を備えもつが、やはり、アイドルでありながら青春の犠牲を否定する姿勢、処女性を振り捨てる眼差しによった渡辺のその疎外感、成長してしまった、ではなく、元から有していたものが成長する過程で否応なく姿かたちを現すことの異様さ、最年少、というイメージを覆した際の衝撃がそのまま乃木坂との懸隔を作ってしまうそのアイドルの有り様こそ、二期の孤立感の象徴と見做すべきではないか。デビューから一貫し”コア”なファンを手繰り寄せ、アイドルと共に闘っているという強い自覚をファンに与えるその少女の不完全さの象徴に渡辺みり愛があるのではないか。

奇跡、不屈、精鋭と、キャッチーで安直な表現だが、この与えられた称号のなかで、どれが一番豊穣な物語につながるのだろうか。それは奇跡かもしれない。奇跡との遭遇はひとに運命を感じさせる。また、精鋭は期待感や希望、そして未来を与えるだろう。不屈であることは、やはり、孤独である。そこから伝播する不安は、不快感すら立ち上がらせる。孤独を自覚した、孤立感を抱いてしまったアイドルを応援するというのは、矛盾した、独りよがりな、救いがみえない行為かもしれない、と自棄におそわれる。だからこそ、そこに書かれる物語は奇跡や精鋭よりも遥かに逃れがたい魅力、輝きを放つのだ。「本質的に不愉快なもの」とは、鑑賞者をして、「いい気持ちにさせるのではなく。自己否定、自己超克をうながすような力をもっている」。二期の、渡辺みり愛の本領とは、この「力」にあるのは間違いない*3
渡辺みり愛というアイドルは、とにかく孤独に映る。今自分が居る世界から自分が隔てられているという強い自覚を、その丸めた、ちいさな背中から発散している、ように見える。また一方では心を丸裸にして、ファンに無条件の信頼と共闘を呼びかけている、ように感じる。
その身勝手さが渡辺みり愛の性(さが)なのだろうし、アイドルとファンの共闘を編み出すことの原動力になっているのだろう。アイドルとファンが共にある、ファンがアイドルと共に闘おうと決意しているように見えるその構図は、他のアイドルたちが描くファンとの関係性と一線を画しているかに思う。トレンドや趨勢に一切左右されない絆、を描いているかに思う。ともすれば、それはクリエンテス=信義に結ばれた関係と表現すべきではないか、と思えるほどにたしかに、風船が生かされている。
しかしそもそも、アイドルとの”共闘”とは一体何を意味するのだろうか。
彼女が闘おうとしている相手とは一体だれなのか、何者なのだろうか。彼女は何と闘おうと決意し、ファンに救援要請を送るのか。おそらくそれは、その相手とは、抽象的で具象的なもの、ではないか。口にするのも憚れるような邪悪で歪んだものでもなければ、砲台を向け”撃て”と号令をかけるには躊躇する白い女神の石像のような”的”でもない。それをフィクションの力、小説の言葉を借り表現するならば、それは大地震を発生させる、目には見えない問題を否応なく表出させる、大きなミミズのような存在、ではないか。「自らがこれまでに抱えていて自覚していなかった、空虚さ、根のなさ、閉ざしてきた心を認識させる」存在、「強力で容赦のない、悪の顕現」ではないか。彼女は、アイドルを通し、成長していく時間のなかで失ってしまうもの、また同時に自己の内からにじみ出てくるもの、にケリを付けなければならない、必要に迫られている*4
渡辺みり愛というアイドルの特質に、生来の孤独感をアイドルに成ったことで埋めていく物語性があるのならば、彼女が、渡辺みり愛がその巨大なミミズを倒すには、やはり「あなたの勇気と正義が必要」なのだ*5

かえるくんはくるりと大きな目をまわした。「片桐さん、実際に闘う役はぼくが引き受けます。でもぼく一人では闘えません。ここが肝心なところです。ぼくにはあなたの勇気と正義が必要なんです。あなたがぼくのうしろにいて、『かえるくん、がんばれ。大丈夫だ。君は勝てる。君は正しい』と声をかけてくれることが必要なのです」

村上春樹 / 神の子どもたちはみな踊る「かえるくん、東京を救う」

 

総合評価 67点

アイドルとして活力を与える人物

(評価内訳)

ビジュアル 13点 ライブ表現 15点

演劇表現 15点 バラエティ 10点

情動感染 14点

乃木坂46 活動期間 2013年~2021年

引用:*1 ニッカンスポーツ・コム/芸能番記者コラム
*2 福田和也 / 乃木希典
*3 福田和也/作家の値うち
*4 福田和也/「正しい」ということ、あるいは神の子どもたちは「新しい結末」を喜ぶことができるか?
*5 村上春樹/神の子どもたちはみな踊る