乃木坂46 斉藤優里 評判記
「コケティッシュ・アイドル」
斉藤優里、平成5年生、乃木坂46の第一期生。
ファンに活力を与えることがアイドルの使命である、という、この使い古された言葉に適った、アイドル観の王道に立ったメンバー。とりわけ、恋愛における機微の興奮の再現性に秀でたアイドルであり、たとえば、デザートを嬉しそうに食べる恋人の一挙手一投足を眺める至福のシチュエーション、夏の夜に部屋着のまま恋人と手をつなぎ暑さの降りた路上を歩く幸福感といった、色褪せることのない恋愛の記憶を喚起させるところにその世界観の特徴がある。
演技力、とくに舞台演技における頼りなさ物足りなさを除けば、ビジュアル、多様性、ライブ表現力、と今日のアイドルを語る上で外すことのできないステータスの多くの部分でトップクラスの実力を持つ。恋愛スキャンダル報道後、順位闘争における浮き沈みこそあったものの、22作中10回、シングル表題作の歌唱メンバーに選抜されており、その実力・才能が確かなものであったことを裏付けている。
斉藤は、ダンス、演技、双方とも大きく平均を下回り、歌に至っては……壊滅的です。
斉藤優里のアイドル寿命 / 松本千晶
現役のアイドルが、歌唱表現において、プロの歌手、たとえばシンガー・ソングライターの真似事をしてその表現を磨き競うことは、ほとんど、功を奏さない。現役のアイドルがプロのダンサーにテクニックで勝つのも、ほとんど不可能と云っていいだろう。だが、路上でピアノを弾くホームレスの、その音楽に、通行人の関心を買うだけの、心を揺さぶるなにかがあるのと同じように、斉藤優里のダンスと歌にはファンの心を掴んで離さない力がある。ステージの上で陽気に歌い踊るこの人の立ち居振る舞い、笑顔を眺めていると、言葉どおり、活力が湧いてくる。それは、アイドルの未熟さ拙さが一つの魅力であることを、簡明に教えてくれもする。
別の言い方をすれば、このアイドルには、ファンの日常生活における怒りや悲しみを緩和させるような、愛嬌の落とし込みがある、ということになるだろうか。彼女が笑えば、ファンも笑うし、彼女が泣けば、理由の検討などせず、とにかく、もらい泣いてしまう。なによりも、彼女の”美”には性の感興を呼び、情動を引き起こさせるちからが宿っている。鑑賞者をして、アイドルのビジュアルを通し、わだかまった欲情を解放することができる、ようだ。
その特質、コケティッシュなアイドルを演じきる斉藤優里のその日常感はまた一方で、ファンをおおきな活力で包むと同時に、アイドルにならなかった「斉藤優里」を強く想起させ、感傷に浸らせもする。多くのアイドルにとって、アイドルとしての日常は、”アイドルに成る”という奇跡の果てに入手した夢の暮らしであり、つまり、もし少女がアイドルの扉をひらかなかったら、現在とはまったく異なる日常(青春)を手に入れていたはずだ、という想像がアイドルの儚さにつながって行く。斉藤優里は違う。このアイドルは、もし彼女がアイドルに”成っていなかったら”、彼女がアイドルとしてみせる日常がそのまま”本来の日常”として訪れていたのではないか、という、倒錯した喪失感を投げかける。逆説的に、彼女はアイドルを演じる過程で、同時に本来の日常を、アナザーストーリーさえも失って行く、ということである。コケティッシュを性の一点張りにすることなく複雑な人間感情の喚起につなげる点において、真に、エンターテイメント・アイドルと呼ぶべきかもしれない。
総合評価 67点
アイドルとして活力を与える人物
(評価内訳)
ビジュアル 14点 ライブ表現 14点
演劇表現 12点 バラエティ 13点
情動感染 14点
乃木坂46 活動期間 2011年~2019年