欅坂46 石森虹花 評価

欅坂46

 

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「空虚な朝」

 

きわめて個性的で、独特な風貌である。これまで、「個性的」などという安易な表現を用いることは極力、避けてきたが、石森虹花のビジュアルに対してならば、使用しても違和感はないだろう。ハマる顔、である。
欅坂46において、技術のみならず、トップクラスのライブ表現力を彼女が有している理由は、やはり、その風貌から放たれる感情が濃厚な憂愁さを身に纏っているからだろう。ひとつひとつの動作が細部まで達し静止するまで、その身体の先端に、それぞれ異なった感情をしまい込むように、川の細流に打つかる軽石や流木を丁寧に描写していくように、スポットライトの下で鼓動している。

しかし、そのような描写を忘却させるように、(身勝手な表現が許されるなら「期待を裏切るように」)石森虹花のアイドルとしてのイデオロギーが稚拙に感じるのは、彼女の内にあるアマチュア意識が、彼女がスポットライトに投射される度に、見え隠れするからだろう。

不安要素の排除や世界観の創造と保持という、石森虹花の願望。これは、残念だがアマチュア意識に外ならない。
文芸とは、もうひとつの現実世界(虚構)を作りだすことである。アイドル・石森虹花の場合は、この虚構が未構築であり、彼女が作りあげたアイドルが身を置く場所は、本来の自分が生活をする、こちら側の世界の延長線上に浮かべた「空想世界の中」である。当たり前だが、その「イメージ」にはリアリティが決定的に欠如している。この錯覚が彼女が発する『世界観』という表現の多用につながっているのだろう。錯覚を招く要因は、彼女が後天的に手に入れた生への充足感と実感、そして普遍的な優しさだろう。その優しさから生まれた不条理に対する怒りは、嘘をつくという行為(仮装)を看過しない。彼女は、アイドルとして虚構を作り上げる行為が自分を偽ることだと、致命的な誤解をしているのかもしれない。アイドルを演じることは、決して嘘をつくことではない。アイドル(虚構)とは、現実世界に生まれることがなかった、もうひとりの自分(アナザーストーリー)であるのだから。
自身が所属するグループに対して、一種の憧憬(未熟なパトリオティズム)を抱き続け、それを無防備にも他者に「奇跡」や「邂逅」として伝えてしまう。この俯瞰的な立ち居振る舞い、感覚こそ、彼女がアマチュアである証だと、おもう。
虚構への入り口を作り、そこに踏み込む覚悟を持てないまま、空想世界の中をハンモックに揺られながら、頭痛を伴うシエスタをするように漂っている。彼女をシエスタから覚醒させる可能性がある存在、動機を作るのはおそらく、第二期生の誕生という”新たな脅威”の訪問になるのだろうが、それは、果たして正しい成り行きだろうか。そのような朝を迎えても、空虚ではないか。

 

総合評価 55点

問題なくアイドルと呼べる人物

(評価内訳)

ビジュアル 9点 ライブ表現 17点

演劇表現 13点 バラエティ 9点

情動感染 7点

 

欅坂46 活動期間 2015年~

引用:見出し ウォーキング・デッド Do Not Send Us Astray

評価点数の見方