AKB48 光宗薫 評判記

「あの日の風鈴」
光宗薫、平成5年生、AKB48の第十三期生。
神戸コレクション・モデルオーディションのグランプリ受賞の歓声響くなか、AKB48第十三期生として「お披露目」される。少女は、作詞家兼プロデューサーである秋元康をはじめとする、作り手、同業者の情動を揺さぶる、想像力や創造への動機をつつく才能をそなえていたようで、アイドルの世代交代を叶える、グループの未来を担う寵児と扱われ、きわめてめぐまれた境遇に置かれ、将来を嘱望された。だが、満を持して迎えた選抜総選挙では「選抜」圏外となり、肝心のアイドルファンに向けては自身の宿す情動を感染させることのできない、自分にとって一番大事なものを他者に提示できない、きわめて凡庸なアイドルであることが露見してしまう。
前田敦子を筆頭に、不完全さを抱きしめる少女たちが提示する膨大な成長への余白に対し、光宗薫の横顔からファンが身勝手に受信したのは、成長共有の隙間を完全に埋めた完結性であったようだ。彼女が作り手に”推される”ことはグループのアイデンティティの失墜を意味し、アイドルとファンの成長共有、その約束が破られてしまったことへの失望と、それがこれからさきも奪われ続けるのではないか、という不安があぶり出す反動は凄まじく、光宗薫の夢と憧憬を阻んだ。アイドルファンは、なぜ彼女はAKB48の作る舞台に立っているのか?この問いかけを圧しころすことがどうしてもできなかったのだ。結果、光宗薫は表題曲の歌唱メンバーを一度も経験せずに、「スーパー研究生」から脱却できぬまま、アイドルとしてなんらかの物語性を獲得し偶像を構築するまえに、呆気なく、グループアイドルからの卒業を表明する。
光宗薫とは、栄光を謳歌するAKB48のひかりに吸い寄せられた少女の一人であり、グループの歴史の在り処を証すと同時に、その歴史と決定的に乖離する登場人物の象徴的存在と呼べるだろうか。
AKB48の第一期から第四期までの、黎明期を生きたアイドルの特徴を不完全さや未完成と表現するならば、その不完全さによって成立する人間群像、つまりグループアイドルとの乖離を描くものとは、やはりある種の完結性になるのだろう。なぜ不完全を象徴するグループアイドルに完結性を持ったアイドルが登場してしまうのか、問うならば、それは単にAKB48が大衆に受け入れられた、ブレイクしてしまった、というだけのことである。不完全さ、つまり自己の可能性を探る「アイドル」を演じることでその先にある夢を発見する、というアイドルの物語、サクセスストーリーの再登場と成功によって降る光りに吸い寄せられるようにして、アイドルに成ることですでになんらかの夢に達したかに見える完結性をそなえた少女がグループの物語に加わる。こうした倒錯によって書かれる悲喜劇のひとつが、光宗薫の挫折なのだろう。
とはいえ、光宗のアイドルとしての失敗を、この「グループアイドルとの対峙」だけに求め包括してしまうのは大きな誤りであるし、解釈があまりにも退屈におもう。むしろ端的に彼女の失敗を云うならば、アイドルとして売れなかった、それは要するに才能がなかっただけの話、とするべきである。
光宗薫、この「名前」からは、宝塚歌劇団の男役のような、あたらしいジェンダーを想起するが、容貌そのものは中性的なビジュアルであり、どこか物足りない。なにかが致命的に欠けている。おそらく、多くのファンが、光宗薫の姿形から、説明はできないけれど、なにか大事なもの、自己を衝き動かす原動力の不在を確信したのではないか。それを端的に挙げるのならば、それはアイドルファンが少女を眺める際に衝動的に希求する性への感興の乏しさと云えるのではないか。彼女のビジュアルはたしかに、端正で、綺麗だが、言葉の真の意味でうつくしいとは形容できない。寿命のみじかい和菓子のような、甘美な匂いを鮮やかに描出する儚さが光宗薫というアイドルにはない。トップアイドルに成るためには、やはりビジュアルは重要だ。ビジュアルこそ、ファンにアイドルの物語を妄執させるもっともつよい原動力となる。要は、彼女がアイドルとして成功せず、挫折したのは、不完全さとの対峙や、アイドルを演じる行為=青春の犠牲を受け入れる日常を彼女が諦めたからではなく、ただ単に、グループの未来を担う人物と扱うにはとても通用する器ではなかったからだ。
こころと身体の弱さを訴えかけた卒業理由をまえに、ファンが抱く、もし光宗薫があのときAKB48を辞めていなかったら、もし乃木坂46に加入していたら、といったアナザーストーリーに豊穣の兆しをみつけるのはむずかしいようにおもう。たとえば、現在のシーンの表通りを歩く乃木坂46のハーベストムーン・第三期生の境遇とは、当時の光宗薫の「待遇」を凌ぐほどに恵まれ、また同時にそこで描かれる闘争もシーンにおいてもっとも熾烈だが、少女たちはそれに見事にこたえ、成果をもちかえっている。よって、彼女たちの達成を目撃してしまったあとに、光宗薫の失敗と挫折を「境遇」に帰依するのは困難に感じる。ただ才能がなかった、とするほかにない。
このアイドルの物語に「特筆」があるとすれば、それは作詞家兼プロデューサーである秋元康のアイドルへ向ける熱誠、それがファンの目に映る形で、光宗薫を通し、語られている、という点だろうか。当時、光宗薫をきっかけにして語った、秋元康の「夢」に対する科白、文芸の世界に踏み込んだ少女たちとそのファンに向けた「夢」への筆遣いは、今日では、シーンの傍観者を気どり振る舞う氏とは遠くはなれた私情を発露させており、多くのアイドルファンにとって、一読の価値をもつのではないか。
おもしろいのは、光宗薫は、秋元康の言葉と抱擁を遮るようにして、アイドル時代だけではなく、卒業後も、”夢とは、才能の欠如を受け入れ、あきらめるのが一番むずかしい”、といった常套句を体現し、なにかを成し遂げる前に異なる夢の入り口の扉をひらき、そこへ逃げ込む、という物語を一貫して描き続けている点である。
総合評価 37点
アイドルの水準に達していない人物
(評価内訳)
ビジュアル 10点 ライブ表現 5点
演劇表現 13点 バラエティ 6点
情動感染 3点
AKB48 活動期間 2011年~2012年