AKB48 相笠萌 評価

AKB48

相笠萌 (C)aigasa_moe/instagram

「農夫のように素朴」 

相笠萌、平成10年生、AKB48の第十三期生。
農夫のような素朴さを抱えた人物で、生まれたままの「自然」が作る毒舌、当たり前の事実を当たり前に突きつける口撃、ファンを襲うその「辛辣」はきわめて痛快な喜劇を作り出した。しかもそれが、アイドルとファンの距離感の喪失が生み出す、現代アイドルシーンが抱え込む病弊の結実と云えるのだから、おもしろい。彼女とファンの言葉の投げつけ合いとは、グループアイドルの収斂の過程で生じたコンテンツである。相笠萌がファンに向ける批評(毒舌)とは、いわゆるツンデレ的遊戯ではなく、モラトリアム特有の感情の流露が起き、本心が溢れた結果として姿を現したフィクションなのだ。一風変わった、他のアイドルとは異なる陳腐ではない毒舌、ファンと情動の駆け引きをする毒舌。
彼女の物語は既成のアイドルの枠組みからはずれており、異物感をたしかにそなえていた。
では、彼女の科白が他のアイドルと一線を画し、切れ味の鋭いウィット(ユーモア)に感じられる理由はどこにあるのか。それはおそらく、相笠萌の物語が「アイドルとそのファン」という構図の上でのみ成り立つ”甘え”を内在する点にある。多くのアイドルが「アイドルとファン」といった構図を
原因にして不成立を迎える関係性、つまり手繰り寄せようのない距離感を前に苦闘するなかで、相笠萌は独り、その素朴さが醸し出す無防備な姿勢によって、ファンと身近な物語を描くことに成功したのだ。もちろん、それがAKBグループが標榜するコンセプトに準じてもいる点も看過の許されない評価ポイントになるはずだ。だが、同時に、果たしてそこにある空間がどのような意味を生むのか?、食い止めることのむずかしい疑問の発生もある。ファンとユニークな毒舌を交えた物語が、アイドルとファンの双方にどのような効果をもたらすのか、と考えたとき、答えは、アイドルとして何ほどの成長も望めない物語と表現するほかなく、アイドルが成長しないのであれば、もちろんファンとの成長共有というコンテンツも成立しない。ファンが無邪気に作る幻想や妄執に対してきわめて怜悧なアクチュアルを投げつけ、架空の世界の空にヒビを入れつづける、といった行為から希望の光りを見出すことは、やはりむずかしい。
しかも、そのような批評空間やファンと共に育てたアイドルのアイデンティティとは無縁をつらぬくように、相笠萌は、自身が描くアイドルの存在理由に「ダンス」を選ぶ。ステージの上でだけ、狂った日常を忘れられる、と恍惚する、ヴァリエテ座で踊る少女のように、相笠萌は踊ることにとり憑かれた。だが、舞台の上で踊る彼女をどれだけ眺めても、彼女の毒舌に触れたときのように心を揺さぶられる場面は一度もなかった。如何にダンスの技術を琢いても、それが「表現」の領域に到達できないのであれば、観客を批評行為に没頭させることはむずかしい。なぜ、彼女のダンスは表現の閾に踏み込まなかったのか、踏み込めなかったのか。『ナナ』の主人公・ナナが新聞記者のフォシュリーに自身を”金蠅”と批評させたような、鑑賞者にフィクションを作らせる原動力を把持することがなぜできなかったのか。それはやはり、自身とファンが作り上げる偶像(物語)を裏切り、完全に忘却する行為をファンと作り手の双方が許可しないからだろう。グループアイドルの「ダンス」とは、少女の身体の動きから、少女の演じるアイドルの物語を辿れるかどうか、その一点にすぎないのだから。

 

総合評価 48点

辛うじてアイドルになっている人物

(評価内訳)

ビジュアル 7点 ライブ表現 9点

演劇表現 9点 バラエティ 10点

情動感染 13点

AKB48 活動期間 2011年~2017年

2019/12/17  加筆しました

評価点数の見方