僕が見たかった青空の『涙を流そう』を聴いた感想

僕が見たかった青空, 座談会

(C)涙を流そう ミュージックビデオ

「アイドルの可能性を考える 第四十一回」

メンバー
楠木:文芸批評家。映画脚本家。趣味で「アイドルの値打ち」を執筆中。
OLE:フリーライター。自他ともに認めるアイドル通。
島:音楽雑誌の編集者。
横森:カメラマン。早川聖来推し。

「『涙を流そう』のミュージックビデオを観てみる」

OLE:非選抜のカテゴリー、アンダーソングがジャンルとして完成しているんだなあと、改めて思うよね。
横森:ジャンルに立っちゃえば、目新しさは必要ないからね。秋元康がアンダーメンバーを励ます構図がそのまま社会への応援ソングになる。
楠木:仲谷明香の本を褒めた時から目線が変わってないんだよね(笑)。表題にしても、これにしても、おなじテーマの音楽を飽きずにこれだけ書き続けている点は、感服する。新しいアイドルとの出会いに、今でもワクワクすることができているんだと思う。
横森:3枚目だから、まあこの路線はここまでじゃないのかな。アイドルとはこういうもんだよ、っていう。
楠木:作品ができあがってくることの感動みたいなのは、このへんまでかもね。なにものでもなかった少女が集まって、それで商品をつくろうというんだから、大変だし、その分、今は感動の連続だと思うよ。自分の表現が作品にされているのを眺めて、商品を手に取るのは、すごく不思議だし、嬉しいし、プロになった実感が湧いてくる。
島:乃木坂の『ブランコ』に似ていませんか?
OLE:ミュージックビデオが?
島:はい。
OLE:うーん。
横森:即時的だよね、こっちのほうが。
楠木:でも、ちゃんと演技してるよ。杉浦英恋はやっぱりビジュアルが映えるね。
OLE:踊りは……、カレッジ・ホーンパイプみたい。
横森:ちょっと瀧野由美子っぽいよね。
島:これはアイドル本人のクセですか?
楠木:おそらく。振り付けではなくアイドル個人のものですね。でもたまにハッとするような表情を描くから、踊りを直すことでそれが無くなってしまうようなら、今のままで良い気がする。
OLE:この中でなら頭一つ抜けてるね。萩原心花も存在感がある。
楠木:個人的には、青木宙帆に注目しているんですが、ファンのあいだではあまり話題に挙がっていないようで、驚いてる。
横森:たった1年でグループをここまで仕上げたんだから、大したものだよ。AKBから乃木坂、乃木坂から”僕青”って、成長スピードがどんどん早くなってる。その分、選抜のハードルも高くなる。
OLE:うん。AKBや乃木坂の最初の1年と比べると、クオリティが段違いだ。
島:正直、僕にはAKBや乃木坂との目立った違いが見えてきませんからね。個々で見れば、たとえば遠藤さくらの表現力はずば抜けていると思いますが、全体で見ると、大差がない。乃木坂はもう10年やっているんですよね。メンバーが入れ替わっているとはいえ。
横森:遠藤さくらは、しばらくセンターに立ってないからなあ。
島:そういえば、表現力の豊かなアイドルを話題に挙げることはあっても、その逆はなかったですよね。たとえば、乃木坂で一番ダンスの不得手なメンバーはだれなのか、とか。
楠木:そうでしたか?もしそうなら、そんなものは、語るまでもないからだとおもう。
横森:乃木坂なら、山下美月だよね、断然。
OLE:まあ、現役なら中西アルノかな。でも山下美月が卒業したから平均は上がったはず(笑)。
横森:弓木奈於がまだいるよ(笑)。選抜だからね、あれで。
OLE:アイドルとして文句なしに売れたし、『チャンスは平等』とかね、傑作を残している割には「山下美月」の名前がアイドルシーンを席巻する気配がまったく無い理由を挙げるとすれば、やはりダンスの問題ということになるんだろう。逆にね、久保史緒里は卒業したあとも頻繁に名前を挙げられるはずだよ。同業者に憧れられるアイドルのほうがその点では強いんだね。山下美月は最後の最後でAKBに帰還しちゃったから。今どき、AKB的なアイドルに憧れる同業者がどこにいるのか、探すのに苦労するはず(笑)。
横森:AKB的なアイドルに憧れた割にはダンスが下手なんだよな。だから乃木坂で成功したとも言えるし、アイドル活動の最終局面でAKBに還ったアイドルが乃木坂の権化だって点が面白いんだけど。
楠木:やっぱり、ダンスが上手くないと名前が残らないんだよね、アイドルって。後世の人間は、基本的には、音楽を通してでしかアイドルを眺めることがないんだから、当たり前だけど。宝塚の雲井浪子にしても篠原淺茅にしても、ステージ上の振る舞いが文章にされて残っているから、今の評価がある。ダンスや歌を頑張ったって売れないじゃないかと、内外から様々な人間が叫ぶけれど、名前が残るのは踊りに魅力のあるアイドルで間違いない。銭金を稼ぐことと、そこはイコールではない。
横森:今のアイドルシーンでは、ダンスを鍛えることはポリスに立てこもることだから。
楠木:アイドルにとって、ダンスは本来、リメスであるべきだよね。ダンスが「興味」へのある程度のハードルになっていて、それを突破し、飛び越えることでアイドルの個々の魅力を知ることができる。つまりファンの眼力が鍛えられる、という状態が好ましい。ファンの眼力が増せば、当然、才能のあるアイドルだけが残ることになる。現状は、才能のないアイドルでも、戦略次第では売れちゃう。
島:指原莉乃のヒットなど、多様性が出てきた。でも、それはデモティックではないんですよね。
楠木:しかしアイドルそのものは、今まさしくデモティックになりつつある。けれど、”僕青”のノスタルジーはデモティックに逆らっているとも言えます。
OLE:たしかに。その意味ではこれまでとは違った「希望」があるね。

「『スペアのない恋』の魅力」

OLE:『涙を流そう』も魅力的だけれど、『スペアのない恋』はさらに良いね。
楠木:楽曲、歌詞、ミュージックビデオ。音楽のすべてが良いですよ。オーソドックスなんだけど、それを陳腐に感じさせないように、いろいろ工夫していますね。要所でひねりを加えている。とくに歌詞。恋愛とアイドルを通い合わせて歌うのはこれまでどおりで、陳腐ではあるんだけれど、代わりの見つからない人と出会って本当の愛を知ったのだということを、自分自身の性格をふり返ることで、つまり過去をふり返っていくなかで確信していく。この詩情の編み方が素晴らしい。ありきたりなテーマなのに、陳腐な恋愛ソングにならないのは、過去をふり返る書き出しが活きているんですね。自分の過去をふり返るということは、語り手の世界を広げることになりますから、その人だけの世界ということになる。作詞家の詩情のなかをアイドルが泳ぐという光景がしっかりと叶えられている。これからこの楽曲を聴く人は、ぜひ歌詞の書き出し部分に注目してみるといい。楽曲の世界がガラッと変わるはずです。
横森:彼女との出会いのシチュエーションを書くんじゃなくて、自分の性格を観照することで「スペアのない恋」だと説得するところにセンスがあるね。

OLE:子規的だと見做すなら、たくましいね。
島:知らず識らずに、ですか?
OLE:さあ、そこは別に問う必要はないでしょう。詩人としての個性・魅力があるってことに違いはないから。説明するまでもないが、写実と言っても、それが現実の秋元康本人である必要はないからね。作詞家が「自分」を語っていればいいだけで。デイヴィッド・コパフィールドであれば、それで問題ない。
楠木:似たようなことを小説家を志す若者によくアドバイスしています。自分だけの作品がつくりたいなら、自分を写実するしかないから。もちろん想像力だけで物語をつくることも可能だけれど。まず「自分」を物語にかえていくことが、作家としての成長につながるんじゃないか。これはアイドルも同じかもしれませんね。
横森:作詞家が成長しているってことだけど、おもしろいのはさ、そうやって成長した作詞家の姿を作品として映すのが、成長したアイドルではなくて新しいアイドルだって点だね。
楠木:そうなんだよね、だからこの曲は、実は平易に語るのがむずかしい曲で、語ろうとすると、言葉にどうしても不要な力が入ってしまう。無駄なことを思いついてしまうというか。たとえば、今、たった今、目の前に立つ「君」のことを想い、この瞬間がすべてだ、と盲目するのは恋の常だし、恋をするたびに、そう思い込むはずだけれど、そういうことを歌っているわけでもないんだよね、この曲は。個人的には、自分の人生のなかで本当に好きだったのはこの人だけだと、深く吐息をつくのは、好きなのに好きだと伝えることができないまま永遠に別れてしまった、永遠に色褪せることのないその人の横顔を想起し、可能性の思い出に浸ろうとするその瞬間だと思うんだけど、それともまったく違うことを歌っている。ようやく、めぐり会えた、ということを言っているのであれば、かなり空想的に感じる。けれどそれを「アイドル」との出会いにかえると、現実の出来事になる。
島:そうした思い込みを聞くと、この作品は間違いなく「詩」なんですね。詩の批評がむずかしいのは、言葉の奥深さ、言葉の不透明さ、意味の広さとか、そういうのにやられちゃって言葉につまずく点ですから。表現の整理が文章を書いてもなお追いつかなかったのなら、それだけ「詩」が強かったということでしょう。
OLE:リビジョンは正直だからね。
楠木:リビジョンという表現はピタッときますね。この楽曲というか、”僕青”に当たっているように思います。詩作にあたって、アイデアをつみかさねていくなかで埋めてきたものをあらためて拾い上げて、新しいアイドルにあわせて、また微調整する、というのはあるんじゃないか。

 

2024/08/07  楠木かなえ