アイドルの可能性を考える 第十八回 刺客現る 編

座談会

「『アイドルの値打ち』を斬れ!」

メンバー
楠木:批評家。趣味で「アイドルの値打ち」を執筆中。
OLE:フリーライター。自他ともに認めるアイドル通。
島:音楽雑誌の編集者。
横森:カメラマン。早川聖来推し。

今回は、ゲストを招き、『アイドルの値打ち』を外側から眺めている人としての、感想、をもらった。

「5人目の男」

耳に入ってくるものは全て意見であって事実ではない。
目にするものは全てあるひとつの視点であって唯一の真実ではない。

マルクス・アウレリウス・アントニヌス

楠木:今日はOLEさんの友人の五十嵐さんを交えて、アイドルを語っていきたいとおもいます。アイドルを語る、と言っても、『アイドルの値打ち』に対する感想を頂けたらな、というのが本心。実は去年の2月に一度企画したんだけど、コロナの影響で会議室が4人までの利用制限ってことで流れちゃって。で今年入って、そういえば、と思ってフロントで訪ねたら、今は10人まで大丈夫になったようなので、さっそく。
五十嵐:ちゃんとしたところでやってたんですね。
楠木:このほうが緊張感がでるとおもうので。
横森:違うでしょ、受付の可愛子ちゃんにバウチャー勧められて買っちゃったから、仕方なくでしょ。当初は俺のスタジオでやろうって予定だったんだから。
五十嵐:さっきの子ですよね?アイドルみたいでびっくりしました。
島:普段、物知り顔でアイドルを好き放題語ってるわけだけど、ガチのアイドルヲタクさんの前だと、なんか怖いですよね。まあ僕はアイドルは専門外の門外漢って立場でここにいるので。そこはよろしくおねがいします。
楠木:僕も本業は演劇と小説なので……、今日はOLEさんと横森に頑張ってもらうということで。
横森:いやいや(笑)。
OLE:五十嵐君のヲタク歴とかそういうのは別に省いて良いよね。ヲタクであることは俺が保証するし、推しが誰だとかそういうの言っちゃうと踏み込めなくなると思うし。偽名は使わない?
五十嵐:五十嵐で大丈夫。
楠木:実際にブログに書き上げる際には、細かい口調とか、表現は僕の文体に寄せることになるので、そこはあらかじめ付言しておきます。
五十嵐:問題ないですよ。
楠木:アイドルヲタクと聞いて、今イメージするのは、岡田奈々の恋愛スキャンダルに触発されて、これまでに蒐集してきたアイドルグッズをズタズタにしたって人。あのニュースを読んで、アイドルヲタクってやっぱりすごい熱量があるんだなあ、と。
五十嵐:ああ、でもあの人ってSTUのヲタクらしいですけどね。なんで岡田奈々をきっかけにしたんだろう。まあ恋愛云々はどうでもいいけど、岡田奈々、よりにもよって須藤凜々花の誕生日に卒業発表することになったのは笑っちゃった。
OLE:言霊だね。
楠木:僕が読んだ記事ではAKBのチームKの立ち上げあたりからアイドルにのめり込んだみたいで、おもしろいのは、アイドルの物語を思い出として語ることが自分の人生を追うことになるって点で、そういう人ってやっぱり本物のヲタクなんだとおもう。チームKの誰々がはじめて公演に出たその記録を眺めれば、その時の自分の人生がどこにあったのか、わかる。
横森:まあ物に当たるって幼稚すぎて話にならない。
OLE:AKBの方だと今歌唱力コンテストやってるけど、どう?俺はこれが今のAKBのダメさをもうこれでもかってくらい象徴してるコンテンツだと思ってるんだけど。
楠木:僕はもう池田裕楽の記事で書いているし、前にもこの座談会で話題にしたことがあったんじゃないかな?池田裕楽が優勝する大会という時点で価値がないんだね。価値がある歌唱力コンテストがあるとすれば、遠藤さくらが出場して優勝する大会だよ。池田裕楽じゃダメなんだ。もちろん彼女のことを悪く言うつもりはなくて、問題は審査員に眼力がない点。価値の生み出し方を知らない無知な人間の集まりとしか言えない。点数を付けるって行為は、価値を新しく生み出そうってことでもあるから。ペーパーテストの採点ではないんだよ。
OLE:秋元康とか、笑って見てるんじゃないの、これ。ASHの価値を上げることに必死になってるよな。本来は逆であるべきで、ASHがAKBの価値を上げるために役立てられないとダメなのに。
五十嵐:何も意味がないことに頑張っている、って気はしますよ。優勝したから何なんだっていうのはファンも薄々感じてるんじゃないかな。でも現実から目をそらすのがアイドルヲタクだって考えれば、まあそのとおりなんだけど(笑)。
楠木:虚しさというのはたしかにあるとおもう。今、AKBはどんどんだめになっているけれど、NGTやSTUに関してはデビュー当時と比べれば最新作のほうが良い。でもユーチューブとかCDの売上とか、数字はきっと弱くなっているんでしょう?つまりどれだけ良いものをつくっても作り手が、あるいはファンが最も欲する数字がまったくついて来ない。良いものがつくれた、会心の手応えがあった、でも反響しない、というのはとことん虚しい。その虚しさのなかに芸術性を見出してしまうのは安直かもしれないけれど、芸術性をある種の独りよがりな快感へと履き違えたことの産物がこのコンテストなんだとおもう。

「大衆を敵に回せるか、久保史緒里」

楠木:作り手の眼力と言えば、最近、個人的に驚いたことがあって、幸阪茉里乃っているでしょう?櫻坂の。僕はこの少女のことをオーディション当時から高く買っていたんだけど、櫻坂に加入してから今に至るまで、眺めていても、そこまで良いとは思えなくて。じゃあなんで過去に逸材だと確信したんだろうって、インターネットの海を泳いでいたら、僕が良いと思っていたのは森田ひかるだったんだ。時間とか、場所とか、そういうのを全部飛び越えて、森田ひかると幸阪茉里乃を同一人物にしちゃっていて、それでこの少女はすごいぞ、と。だから幸阪茉里乃が落第したときに作り手の眼力を疑ったんだけど、どうやらその眼力は確かなものであったらしい。
島:生田絵梨花に似ていますね。
五十嵐:でもキャラが全然ちがう。というか森田ひかるを高く評価しているんですね。平手友梨奈の劣化版にしか見えないけど。
楠木:点数を実際に付けてみると平手友梨奈を凌ぐようにおもう。
五十嵐:俺は平手友梨奈は全然好きじゃないけど、踊りは上手いと思うし、影響力が凄いっていうのも確かで、そこは否定しない。なら森田ひかるも平手友梨奈に影響されたアイドルの一人ってだけで、そこまで凄いアイドルには見えない。本当にすごかったら櫻坂を欅坂みたいにカリスマに押し上げちゃうんじゃないかな、平手みたいに。
OLE:たしかに櫻坂って今影が薄いよな。人気・知名度をアイドルの評価にどこまで還元するのか、っていうのは、まあ問うべきなのかもしれない。無意識にそれに迎合するのは避けたい。
五十嵐:『アイドルの値打ち』の評点一覧を見ると割りかし人気・知名度順に並んでますよね。
楠木:気に入らない点数はありますか?
五十嵐:うーん、まず思ったのは久保史緒里が80点っていうのは高すぎですよね。甘さがあるとおもう。そこまでのアイドルには見えない。まずビジュアルが全然良いとおもわない。踊りと演技は上手い。でもビジュアルが良くない。だからセンターができないんだとおもう。あと話がつまらない。ここが絶望的。
楠木:ビジュアル、悪いかな。僕は綺麗だとおもうけど。『僕が手を叩く方へ』の映像とか、すごく澄んでる。ユーモアは、たしかに無いかもしれない。
OLE:いや、むしろユーモアで人気を出した人なんじゃないの。
楠木:こっちが身勝手に見出すユーモアですよねそれって。アイドル的というか。
OLE:うん。でもそれで良いんじゃないのかな。アイドルを読むなら。
楠木:僕が想うに、久保史緒里センターというのは、大衆とは無縁をつらぬくような、大衆に理解されないことに価値があるような、そういうグループの誕生だと思っていて、自家中毒としての、乃木坂らしさ、ですか。というのも、ながくやるには大衆を敵に回さないといけない。AKBの失敗って大衆を迎い入れてしまった点にあって、大衆にもたれかかったからその大衆に飽きられた時点で詰んでしまった。宝塚を模倣するならやっぱり大衆の関心とは別のところでやるべきで、久保史緒里センターって大衆にはその良さが理解できないというか、大衆の目を引かないんですね、きっと。しかし目を凝らしてみれば、そこには洗練された、姿勢の正しさ、所作の美しさ、強さと弱さつまり儚さを持ったアイドルがある。厳かというか、敬意を抱いてしまうような、空気がある。これが乃木坂なのか、とそれに気づいた人間は長い息を吐くんじゃないか。そしてアイドルのとりこになる。

「岩本蓮加はアンダーに落ちるべき?」

五十嵐:3期で言えば、岩本蓮加。50点、これは逆に低すぎる。ビジュアルは久保史緒里より全然良いと思うんだけど。
横森:俺は逆にこの子がなんで人気があるのかまったくわからない(笑)。
島:そもそも人気あるんですか?あえて取り上げるくらいに。
五十嵐:オーディションの頃から人気ありましたよ。公開オーディションで一番活躍した子なんじゃないかな。
OLE:うん。
楠木:身近さ、ですよね。そういうところは齋藤飛鳥に似ているのかな。でも齋藤飛鳥をイメージするなら、じゃあセンターはどうなんだって考えなくちゃならなくて、その憧憬を前にすると妙に小ぶりに映るというか、正直、語ることに虚しさがある。どうにも可能性を見いだせない話題なので。
五十嵐:専門家から見て彼女の演技はどうですか?映画とか良かったけどな。
楠木:上手いとおもいますよ。でも、もっと上手い子が前にも後ろにも横にも乃木坂には居るので……。
横森:俺はこの子はアンダーセンターやってたときが一番輝いてたようにおもうよ。なんで無理して選抜に置くんだろう。アンダーでまたセンターをやればいいのに。
OLE:アンダーのために選抜から落とすって、めちゃくちゃ(笑)
五十嵐:運営が考える選抜の基準に届いたメンバーが選抜に入っているのであって、アンダーのために選抜を考えるって矛盾してるんだけど、でも実際に今の乃木坂運営ってそういう風潮があるにはあるんですよね。
OLE:アイドル本人はまあ何を思っても自由だしアンダーと選抜で揺れることで個性が出てきてそれが魅力になるんだろうから構わないけどさ、作り手がアンダーというコンテンツを大事にしすぎるのは違うだろって俺は思うよ。これは楠木君もよく言ってるけど選抜を大事にしてそこに価値を打ち出すことがアンダーの価値を高めることにつながるっていうのを理解しないとな、ファンも。
五十嵐:アンダーってコンテンツを大事にしすぎるから、アンダーでの中心メンバーを作ろうって考えちゃうんでしょうね。選抜である程度の期間育ててアンダーに落とす。それでアンダーの層を厚くするっていう馬鹿げた戦略がもう隠せなくっているので。
楠木:選抜のイスを減らせば良いんですよ。マネージメントの機微とかそういう現実問題もあるんだろうけど、それはもうアートではないから。アートを志すならやっぱり16人に絞るべき。

「レトロフューチャー・筒井あやめ」

五十嵐:そういう意味では筒井あやめっていきなりトップ3の一角に据えるんじゃなくてアンダーからじっくり育成していたらブレイクしたんじゃないかな。ビジュアルが良いのは間違いないんだから。アンダーのためにじゃなく、選抜のためにも。
OLE:それは違うかな。筒井あやめの問題って育成の失敗云々ではなくプロデュースの成否にあるから。
横森:佐々木琴子の失敗を活かしているんだよ。
OLE:運営ほどアイドルの性格を間近で眺めて理解に達している人間はいないから、握手人気が出るメンバーとそうではないメンバーなんてすぐに見分けがつくんだよ。で、一度でもアンダーに落としてしまったら、握手の売上が水準をクリアしないと選抜を考慮できないという状況に運営みずから陥ってしまう。あれだけビジュアルが良かった佐々木琴子を選抜に組み入れてグループの価値を押し上げる効果を狙えなかったのは握手の売上の低さを無視できなかったからでしょう、まあ、あとはダンスにも問題があったけど。だから筒井あやめは絶対にアンダーに落としてはならない。グループの価値を落とすことになるからね。
横森:そもそも、選抜が表舞台でグループの価値を押し上げて、その影響でアンダーメンバーも人気が出るっていう相乗効果のことをみんな忘れてるよね。人気が出るのか出ないのか、運営もファンも予想しかできない状況のなかで実際に選抜に構成されて活動してきた筒井あやめの握手売上がアンダーメンバーに負けたからと言って、安易に入れ替えてしまう、選抜で必死にやってきた人間を、グループの勢いが出てそれがアンダーメンバーにまで波及したからといって入れ替える、なんて、情が薄すぎるでしょ。そんな運営だったらここまでヒットしてないよ乃木坂は。もちろんこれは筒井あやめってアイドルに高い才能があるっていう大前提のもとでの話。才能がない子はそもそも話題に起こされない。
五十嵐:その才能の良し悪しってのが語られないと……。捨てがたいっていうのは共感するけど。

楠木:筒井あやめにレトロフューチャーって似合ってませんか?アンファン・テリブル以来の発見というか、興奮。現実にはならなかった、過去に思い描いた未来=現在、なんかイメージがピタッときたというか。5期が現実としての乃木坂の未来になりつつあって、じゃあレトロフューチャーはどうなるんだっていう、そんな視点で筒井あやめを眺めると、あたらしい発見があるんじゃないか。

「アンコンシャス・菅原咲月」

五十嵐:乃木坂の5期のことをけっこう記事にしてますよね。川﨑桜、ですか。あと中西アルノ、すごく高く評価している。俺、中西アルノに否定的だったけど、『アイドルの値打ち』を読んで更生しました(笑)。
OLE:最近は中西アルノより井上和に注目してるようだけどね。
楠木:僕は最近、菅原咲月がなんか気になっていて、もちろん彼女がどうこうしてそれに対するアクションってわけじゃなくて、僕の勝手な印象にすぎないんだけど、過去=現実=現在とする、ってまあ文学のテーマとしてもう陳腐すぎる話題なんだけど、この人にはそういうのがあるのかなあと。
島:楠木さんが以前に菅原咲月をアクチュアルって表現していましたけど、僕はこの人、アンコンシャスに見えます。すごく幅の狭い場所に立てこもって懸命に生きているように見える。こういう人が売れるシーンは嬉しい。
楠木:多分、この人が売れれば、乃木坂の楽曲の質はもっと良くなるよ。幼稚な曲が似合わないから。
OLE:俺は一貫して一番の逸材だと思ってる。
楠木:五十嵐さんは5期はどうですか。注目に値するメンバーはいますか。
五十嵐:一ノ瀬美空。俺、乃木坂だと山下美月が好きなので(笑)。
横森:顔が似てるって強い動機になるんだよね。
五十嵐:そうなんですよ。なんか、似てる、って表現、よく思われないみたいで。でも『アイドルの値打ち』を読んでいて、他人のそら似をもとにいろいろ語ってて、自信が持てました。似てるから好き、それで良いじゃんって(笑)。
楠木:そういう感想は、素直に嬉しい。

「文章と権威性」

楠木:読者の感想を読んでいると、むずかしい、っていうのが多い。
OLE:むずかしいっていう意見に反応することが一番むずかしいよね。
楠木:五十嵐さんはどうですか。
五十嵐:うーん、意味がわからないっておもった箇所がないと言えば嘘になりますねやはり。でもそれ以上におもしろい箇所のほうが多いから、読んでいて退屈になることはないですけど。まあアイドルについて書いているからって点が大きいのかな。これが文学小説についての文章だったら最後まで読めないかもしれない(笑)。
楠木:僕が物書きとして立ち上がるまでのあいだずっと激励・助言をしてくださった師匠筋にあたる作家がいるんだけど、先日、その先生に挨拶した際、びくびくしながら『アイドルの値打ち』の記事の幾つかに目を通してもらったら一言、くだらないよ、と。一刀両断されてしまった。それだけで、すぐに違う話題に移ったんだけど、やはり文章に魅力がないんだとおもう。成長していないんだ。成長するというのは本当に大変なことなんだね。
横森:俺はなんだかんだいって、楠木君の「大江健三郎」を読んだその日からずっとその文章のファン。一番かっこいいと思ってるから。まあブログだと文体が違ってるから、そこを嘆かれたんじゃないのかな。
OLE:難解な文章を書いているつもりはないとか、平易な文章を書くだけの力量がないとか、そういう次元の話じゃなくてスタイルの問題だからねこれって。
島:平凡な作家にありがちなのは、まず難解な文章を書く、次に平易な文章こそ本当の美文なんだと勘違いして行く点で、そうした作家やライターはスタイルを持つことができない。これは読者にも言えることですね。読みやすい文章を美文だと勘違いする読者は多い。
楠木:スタイルって「らしさ」とはまた別に考えなくちゃいけなくて、塩野七生はスタイルを、それがなければその人が生きられないもの、と解釈していて、僕もそのとおりだとおもう。一方で、らしさ、これは往々にして、他者が自分を眺める際に用意する価値観でしかなく、自分の生き死ににはほとんど関与しない。僕はジャーゴンであったり、ブッキッシュでありたいと行動しているんですけど、その行動がペダントリー、不親切に捉えられてしまうようで。
島:これは僕の体験談でもあるんですけど、ペダントリー批判って自分の知らない言葉を使っていることに対する嫉妬でしかなくて、自分が理解できなかったことを棚に上げて、文章の粗として、書き手に突きつけたくなるんですよ。楠木さんはフランス文学の徒ですから、フランスの言葉をよく使う。あとは…、ラテン語も。馴染みがない言葉に出くわしたらラッキーだとおもって素直に吸収しちゃえばいい。知らない言葉を知ることはあたらしい感情との出遭いですから。
OLE:文章はポーカーと一緒でね。レベルの低い相手にあわせているとどんどん下手になるよ。
楠木:文章力はともかく、思惟は突き抜けた感があるにはある。たとえば、「乃木坂46」と以前までは書いていたところを最近は「乃木坂」と書いている。これは口語に寄せたのではなくて、思弁の写実というか、そういう意識が働くようになった、というよりも そういう意識はブログ立ち上げ当時からもってはいたんだけど、そうはなかなか書けなかった。でも今は書けるんですよ、乃木坂、って。
横森:発想力っていうのかな。なにを表現しているか、これに関してはまあ安易に比較できないんだけど、文体についてはもう火を見るよりも明らかに「福田和也」だったり「塩野七生」だったりするわけじゃん。ここの言い回しがヘタクソだ、って言っても、それまるっきり福田和也の模倣だよ、ってなったときに、なにを思うのか。文体が気に食わないと言われたら、それはもう住んでいる世界が違うんだから、お互いのために黙って立ち去りましょうとしか言えないとおもうんだけど、俺は。
OLE:個人的にはさ、これも安易って言われちゃいそうだけど、文章だけで勝負しているのが良いよね。個人のブログって前提に立って、しかもペンネームも新しく作ってさ。それで一から文章だけで勝負する語るってなんか良いよね。そういうことができる時代になったって言うならそのとおりだけどさ。たとえば大江健三郎があたらしいペンネームを用意してブログを立ち上げて普段のノリで書いたら、絶対に、むずかしいだの意味がわからないだの言われちゃうよ。
横森:アメリカでいたよね、ハリー・ポッターの作者だっけ?名前を隠して作品を書いたけどほとんど反応がなかった。要は権威性の問題なんだよこれって。一般読者の多くは権威性を頼りにして作品を読むから、権威性が付与されていない文章に対しては怯えちゃう。その個人の文章がほんとうにくだらないのか、それともしっかりと意味があるのか。自分の読解力を試される。
五十嵐:へえ、それはおもしろい。
OLE:おもしろいよね。だれでも思いつくことだけど、高名な文学賞を受賞する小説家が、名前を偽って新人賞に応募したらすんなりと通るのか。おそらく、通らないでしょ。そんなもんだ。
楠木:そうした遊びで受賞しちゃえる作家って、思いつくのは、まず村上春樹。あとは町田康、ですか。この二人なら今新人賞に応募してもまあ通るでしょう。なぜかって、この二人は「スタイル」をしっかりと確立している。
横森:でもそれってこの世界に存在していない前提だよね。村上春樹が応募したら村上春樹のモノマネってことで下読みの段階で落とされそうだけど。
楠木:いや、おそらく、それでも通るよ。
OLE:うん。
島:高橋源一郎がまさにそれじゃないですか。ポップ文学の恩恵にあずかった小説家の代表格ですよね。矢作俊彦とかは逆に絶対に通らないと断言できる(笑)。矢作俊彦を理解できる下読み、審査員、編集者なんて一人もいないでしょう。僕もさっぱり理解できませんから。
横森:それを言うなら古井由吉も保坂和志も理解されないと思うよ。じゃあ文壇って大事なんだな。

OLE:そうなんだよな。文壇って大衆の理解の及ばない心地の良い場所で書いている作家に権威性を付してやってさ、大衆に本屋に向かわせて本を手に取らせるくらい力があるんだ。
島:今の文壇にはもうそんな力はないですけどね(笑)。衰弱しきっているので。芥川賞が本屋大賞に負けますから。
楠木:僕は文壇の価値というか役割って、まさにこの座談会と称した集まりのようなものを準備する点にあるとおもうんだけど。そういう意味じゃ僕は友人関係に恵まれていて、こうやって刺激を貰える場がある。でも欲をいえば、この場は心地が良すぎる。自分たちの思惟、想像力の枠がもうできあがっているというか、まさにジャーゴンで、想像力の外側から言葉がもうほとんど飛んでこない。文壇の役割って常に新鮮な集会を用意するところにあったんじゃないか。仲良しこよしじゃダメなんですよ、やっぱり。そうだ、五十嵐さんを交えて、文章の権威性について、ちょっとおもしろい遊びをしてみますか。

ここからは読者のみなさんも「遊び」に加わってみてください。

物体的、非物体的被造物の全体を考察し、可変的なものとして知り、それらのものをあとにして精神の注意深さによって神の不変の実体へと進んでいくこと、そしてそこにおいて、神から、神ご自身ではない全自然が神ご自身によるほか他のだれによってもつくられなかったということを学ぶこと、これは大いなることであり、じつに異例のことなのである。その際、神は、なんらかの物体的被造物をとおして、つまり、身体的な耳に聞きとれるような音声を発する者とそれを聞く者との間に介在する空気の拡がりを震動させるようにして、人間と語られるわけではないのである。また、物体に似たものによって表象される仕方、たとえば夢におけるように、あるいは何かそれに類するものにおけるような仕方によって語られるわけでもないのである。(じっさい、このばあいもいわば身体の耳に語られることになるのであって、それというのは、それは物体をとおして物体的な場所と場所とのあいだに介在する隔たりのなかで語られるからである。この種の幻覚は物体とひじょうに類似性をもっている)。そうでなく、神が語られるのはまさに真理そのものによるのであって、それは身体によらずただ精神によってのみ聞かれうるものである。*1

楠木:これは『帰郷』で有名なローマの詩人ルティリウス・ナマティアヌスがたった一度だけ書いたキリスト批評なんですが、これを読んでみてどうですか?
OLE:俺はそのへんまったく浅学で、なんとも言えないんだけど、イメージを作りづらい文章だね、ずいぶん。
五十嵐:うーん、俺なんかじゃここでさっと読んだくらいじゃとても理解できそうにない。この引用部分だけで意味があるんですよね?
楠木:はい。じっくり読んでみてください。なにを言おうとしているのか。読者のみなさんもね、よかったら、ここで時間を取ってもらって、2回、3回と繰り返し読んでみて下さい。この文章への第一印象をしっかり覚えておいてもらいたい。もう一度、引きます。

物体的、非物体的被造物の全体を考察し、可変的なものとして知り、それらのものをあとにして精神の注意深さによって神の不変の実体へと進んでいくこと、そしてそこにおいて、神から、神ご自身ではない全自然が神ご自身によるほか他のだれによってもつくられなかったということを学ぶこと、これは大いなることであり、じつに異例のことなのである。その際、神は、なんらかの物体的被造物をとおして、つまり、身体的な耳に聞きとれるような音声を発する者とそれを聞く者との間に介在する空気の拡がりを震動させるようにして、人間と語られるわけではないのである。また、物体に似たものによって表象される仕方、たとえば夢におけるように、あるいは何かそれに類するものにおけるような仕方によって語られるわけでもないのである。(じっさい、このばあいもいわば身体の耳に語られることになるのであって、それというのは、それは物体をとおして物体的な場所と場所とのあいだに介在する隔たりのなかで語られるからである。この種の幻覚は物体とひじょうに類似性をもっている)。そうでなく、神が語られるのはまさに真理そのものによるのであって、それは身体によらずただ精神によってのみ聞かれうるものである。*1

楠木:実はこれ、横森が大学時代にこじらせて書いた聖書批評なんです。
OLE:うん?
五十嵐:なるほど。
横森:(笑)
楠木:どうですか。読者のみなさんも、それをふまえてもう一度、読んでみてください。どう感じますか?素人の書いた文章という事実をふまえると、途端に、わけのわからない、意味不明な、稚拙な文章に思えてきませんか?でも、最初の、ローマの偉大な詩人の名前を聞いた後に、読んだとき、そういう感情は抱かなかったとおもうんです。なにか深い意味がある、思考するに足る文章なんだろうと、無意識に捉えたのではないか。
OLE:意味は定かじゃないけど、文体はしっかりしてるよ。
五十嵐:でもそう感じるのって最初の印象に引っ張られてるからでは。
楠木:まさに今実感されたものが権威性であって、誰が書いたのか、というのをみんな無意識の内に求めているんですね。裏を返せば、どこのだれが書いたかもわからない文章なんて、誰も求めいていない。大手出版社の、名のある編集者に認められた作家の手による作品、という前提があってはじめて読者は文章と真剣に向き合える。僕はそれに否定的なのではなくむしろ肯定的なんだけど、「ブログ」が面白いのはこうした前提がなくてもなんとかなる、それなりの数の読者を得ることができてしまう、という点だと思うんです。僕のブログの読者になってくれる人って、誰が書いているのか、ということにさして興味がなく、なにが書いてあるのか、に注意を打ち込んでいる。この書き手は何を言おうとしているのか、という意識を強く持っているんですね。ではもう一度、この「意識」を意識して、横森の文章をみなさんで読んでみて下さい。

物体的、非物体的被造物の全体を考察し、可変的なものとして知り、それらのものをあとにして精神の注意深さによって神の不変の実体へと進んでいくこと、そしてそこにおいて、神から、神ご自身ではない全自然が神ご自身によるほか他のだれによってもつくられなかったということを学ぶこと、これは大いなることであり、じつに異例のことなのである。その際、神は、なんらかの物体的被造物をとおして、つまり、身体的な耳に聞きとれるような音声を発する者とそれを聞く者との間に介在する空気の拡がりを震動させるようにして、人間と語られるわけではないのである。また、物体に似たものによって表象される仕方、たとえば夢におけるように、あるいは何かそれに類するものにおけるような仕方によって語られるわけでもないのである。(じっさい、このばあいもいわば身体の耳に語られることになるのであって、それというのは、それは物体をとおして物体的な場所と場所とのあいだに介在する隔たりのなかで語られるからである。この種の幻覚は物体とひじょうに類似性をもっている)。そうでなく、神が語られるのはまさに真理そのものによるのであって、それは身体によらずただ精神によってのみ聞かれうるものである。*1

五十嵐:要するに、キリストに話しかけられるとき、その声はテレパシーみたいに頭のなかに届くのであって、人間の声としては届かないってことを言っているのかな?そのままだけど。
楠木:そう。さすが。では、そこから何が考えられるのか、考えるべきか。僕が考えるに、これは「神」が超越的なものだということの説明で、「神」は目で見ることもできないし、その声を耳で感じることもできない。しかし実際には僕たちは目や耳で感じたものしか認識することができない。だから、認識できないもの、超越的なものこそ「神」にほかならない、という倒錯を書くことで「神」の存在を説得しようとしている。この引用部分だけで、こういった感慨を抱くことができる。わざわざ、「神」の声は耳で感じることはできないと、考えるまでもないことを書くのはなぜか、考えると、他者への説得、というのが見えてくる。ところで、これ本当は、素人の、横森の文章なんかじゃなくてアウグスティヌスという哲学者の文章で、権威性どころか、何世紀ものあいだ、ながい時間読み続けられてきた名著、大著の一章なんです。
島:これ、解釈は異なるけど、同じ部分を保坂和志が論じてましたよね。

五十嵐:え(笑)。わけがわからなくなってきた。
OLE:村上春樹の『1Q84』だったか。こういう冒涜、禁じられた遊び、文学のタブーを書いてたよな、そういえば(笑)。
楠木:まあ遊びですけど、今、みなさんは名著と呼ばれる作品に、権威性を無視して触れることができたわけです。文章に直に触れた。どこの誰が書いているのかもわからないブログを読むことも、きっとこれと同じ経験なんですよ。
五十嵐:というか、楠木さんって普段から文章みたいにペラペラ話せるんですね。そこに一番驚いた(笑)。
島:すごいでしょう。これが作家です。思考そのものが「文章」になっているんですよ。
楠木:いや、そんな高尚な人間じゃないですよ。小島信夫でしたっけ、自分の文章は一度も読み返さない、って。書いたものを、自分では読まない。島さんが言ったように、思考そのものが「小説」になっているのか、あるいは、アインシュタインがそうであったように自分の文章が「金」であることの自覚なのか。
五十嵐:はあ、んなこと可能なんですか?
楠木:天才は理解できないものですからね(笑)。ゲラの校正も編集者に丸投げだとか。
OLE:楠木君もそれを見習って加筆はやめるべきだね、俺、これもう何回も言ってるけど(笑)。

 

2023/01/19  楠木かなえ

*1アウグスティヌス/神の国(服部英次郎 訳)

 

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