日向坂46 ドレミソラシド 評価

ドレミソラシドミュージックビデオ(C)日向坂46

「経験不足の恋さ」

歌詞、楽曲、ライブ表現、ミュージックビデオについて

清凉な色使いは心地良いが、背景に映し出された曇り空の仄暗さがアイドルたちの作り出す活力の裏に潜んでいた”憂鬱”の到来を暗示してしまった。人為的晴天の下で作る熱心とポジティブ、コミカルなダンス、しかしそのどれ一つもアイドルの刹那=現在(いま)とリンクしていないことが浮き彫りになってしまった。カメラを凝視するだけで他者に打ち解ける笑顔を作らないアイドル、日常を演じることへの徒労を隠さないアイドルと、とにかく不活性を築き上げ、”今回も”楽曲の命題を裏切って行く。畦道を歩く少女が何処にたどり着くのか、風に吹かれて揺れるカーテンの隙間から彼女は何を眺めるのか、一切、描こうとしない。普遍性への傾倒がアイドルの現在を描くことを徹底的に拒否させるのだろうか。ファンから向けられる偏愛を意識的に看過し、アイドルの傷みを忠実に描くことを拒否する。二つ目の家郷を与えたその日から少女たちの物語はまったく進展していない。倒れた仲間に手を差し伸べるのではなく、前に向き直り、幻想を演じ続けなければならない儚さを見出した段階で、グループに対し強行設定されたコンセプト、つまり健気に活力や夢を与える姿勢への倒錯が立ち現れるため、受動的な妄執は削がれ、観者は行き場を見失い迷子になる。自身が応援すると決意したグループに対するよすがを見つけられないからこそ、楽曲の上にのみ存在理由の幅を持った時代の”切迫”に後ろ髪を引かれるファンが多いのではないか。だが無常にも「昔の二人には戻れない思う」と告げられる。おそらく、これからは、彼女たちの現在は楽曲の上ではなく、別の場所で存分に描く余裕があるのだろう。だからこそ楽曲の戦略的傾倒が許可される。だが、その余裕がアイドルたちの余命を無味に削る致命的なあやまちに映ってしまう。そもそも、戦略の存在を明確にファンに確信させ、そのような批評空間への妥協と納得を抱かせてしまった時点でアイドルポップスとしては破綻していると云えるだろう。(*1)

近距離に置かれた模倣対象として『君の名は希望』を挙げられるが、肝心の邂逅の抽出には失敗している。”アイドル”にのめり込んだ”自身”を客観視するきっかけとなる独白を置くが、与えられる感興そのものは乏しい。楽曲が進行するに連れ、「こんなに誰かを恋しくなる自分がいたなんて」という奇跡との遭遇を打倒する倦みをどうしても踏まされてしまい、唐突に我に返される。乱暴に云ってしまえば、『君の名は希望』、『何度目の青空か?』のような再登場や続編への期待を作れていない。アイドルを演じる少女たちの内奥の底に深く沈められた苦渋と決意の表出を許さないという姿勢においても、『ドレミソラシド』は『キュン』の焼き直しに過ぎず、同一命題に因って作られ並べられたタイトルの”違い”を発見して愉しむ、というフェーズに到達していないグループにとっては、痛ましい”勘違い”を投げつけた楽曲とも云えるだろう。(*2)

一方では、センターポジションに立ち続ける小坂菜緒、彼女はすでに空閨を抱え込んでおり、主人公となった彼女の物語を、彼女の成長を共有するという観点に立つならば、『ドレミソラシド』は聴く価値のある一枚と評価することが可能だろう。彼女はこの先、道半ば倒れたとしても、信頼感を損なわずに闘い続けるにしても、どのような展開を書こうがグループアイドルとしての物語性を獲得する要件を充たすため、今後の展望、憧憬を描くことがきわめて容易な人物と呼べる。

 

総合評価 51点

聴く価値がある作品

(評価内訳)

楽曲 12点 歌詞 11点

ボーカル 12点 ライブ・映像 6点

情動感染 10点

歌唱メンバー:齊藤京子、丹生明里、小坂菜緒、河田陽菜、加藤史帆、佐々木久美、井口眞緒、潮紗理菜、富田鈴花、上村ひなの、高瀬愛奈、濱岸ひより、松田好花、宮田愛萌、佐々木美玲、金村美玖、東村芽依、高本彩花、渡邉美穂

作詞: 秋元康 作曲:野村陽一郎 編曲:野村陽一郎

引用:見出し、(*1)秋元康 / ドレミソラシド
(*2)秋元康 / 君の名は希望

評価点数の見方