『歩道橋』とか、『絶対的第六感』とか、感想、雑談
「アイドルの可能性を考える 第四十七回」
メンバー
楠木:文芸批評家。映画脚本家。趣味で「アイドルの値打ち」を執筆中。
OLE:フリーライター。自他ともに認めるアイドル通。
島:音楽雑誌の編集者。
横森:写真家・カメラマン。
「『歩道橋』のMVを観てみる」
島:これ、ファンの評判はあまり良くないみたいですね。
楠木:へえ、そうなんだ。
OLE:『チートデイ』と比べると練られている部分が少ないかな。
横森:韻を踏めば良かったんだよ、「歩道橋」で。韻を踏まないから説得力がでないし、くどく感じる。歩道橋、歩道橋って連呼するから「歩道橋ってそんなに大事なものか?」って、誰もが首をかしげる。「歩道橋」にかわるなにかを一つかふたつ、書いていたら、違ったよ。
楠木:韻にこだわる必要はそこまでなくて、たとえば「シーラカンス」と「ずっと前に」でも問題ないからね。高揚させるアイデアがあるかないかだから。
OLE:でもタイトルとしては良いよね。期待したんだけどな。
楠木:タイトルが詩の書き出しになっているんだと思います。『帰り道は遠回りしたくなる』とか、すごくセンスが良い。想像するに、あれはタイトルが書き出しになったんじゃないかな。まあでも、この「歩道橋」は6期オーディションを加味したものだろうけど。
横森:タイトルを書き出しにしちゃうとさ、辞書を開いて眼についたワードで主題を決めるとか、そういう次元に落ちちゃうよ(笑)。
OLE:辞書云々については自覚しているんじゃないかな。そういえば、指原莉乃に指摘していたな、秋元康。
楠木:文学的な実験ではないにしても、筒井康隆の『残像に口紅を』のようなことが秋元康にも現象として起きているわけでしょう?たとえば楽曲のタイトルに使用した語彙は、完全に一致するものとしてはもう再登場しない。「チートデイ」や「おひとりさま」というワードが今後楽曲のタイトルに使用されることは、基本的にはありえない。多作を叶えるために、語彙そのものを詩のテーマにする。「おひとりさま」というワードを見つけてしまえば、楽曲のテーマは絞れるので、つまり多作が叶う。「おひとりさま」の次は「チートデイ」。「車道側」の次は「歩道橋」。ただし、その裏返し、代償として、語彙の制限が起きるわけです。その語彙の制限から逃れる手段として比喩や韻があるはずです。比喩や音韻探り、シラブルの組み立てを駆使してテーマに用いた語彙を普遍的な感情に引き合わせてしまえばいいわけですが、「歩道橋」はその普遍化が上手くいっていないように見えます。理由は単純明快で、これは作詞家の日常に根ざしたものではないからです。
島:「ように見える」のか、断定なのか。
横森:「ように見える」を断定していくのが批評なんだけど……。
OLE:「ように見える」で読者を緊張させるんだよ。
楠木:想像力だけでも詩はもちろん書けますが、秋元康の魅力を考えると、秋元康の場合は、想像力よりも記憶にあるんじゃないかな。「歩道橋」と決めて、それから歩道橋のことを考えたり、歩道橋を歩いてみてもダメなんだね。日常的に、不意に、これまでに「歩道橋」を考えることがあったのか。
横森:村上春樹がさ、アメリカの作家を日本に招待して東京見学をした際に、山手線の切符を買うのに四苦八苦したらしい。それで、地下鉄サリン事件の被害者にインタビューした(『アンダーグラウンド』)作家が切符の買い方すら知らない、って皮肉を言われたらしい。それと似ている。秋元康は普段、歩道橋なんて歩かないでしょ。
楠木:「車道側」は、若い頃の記憶、ノスタルジーに引き合わせて想像しているから、活きているんだよね、詩が。実生活がどうなのかっていう、現実的なレベルでの指摘を凌げている。
「『絶対的第六感』の魅力」
楠木:すこし早いですが、年末年始は映画のほうで忙しくなりそうなので、このタイミングで今年の”いちばん”ですか、まあ順位を決めるわけではなく、印象に残った作品で構いません、先日はロックとジャズをやりましたが、今回はアイドルのミュージックビデオをいくつか挙げてみましょう。
横森:ロックもそうだったけど、アイドルも今年は不作。
OLE:『卒業まで』が今年だよ。
横森:でもあれは、曲のイメージに映像がやられちゃってる。”僕青”のミュージックビデオは全体的にまだまだ作りが粗いかな。楽曲の質は高いものが揃ってきてるけどね。
島:『I want tomorrow to come』はどうですか?
横森:インプロビゼーションみたいなのはある。でも、ライトをぐるぐる回しながら走るシーンはいらない。あれがなかったら良かった。
OLE:平手友梨奈の枠組みが崩れたよね。まあ、もっと前から崩れていたんだろうけどさ、崩れたあとになにを作るのか、迷っていたんじゃないか。『I want tomorrow to come』で軸が決まったように感じる。
横森:平手友梨奈に還元してないよね。そういうちっぽけな要求を無視しているところが良い。
楠木:櫻坂の新曲は、おそらく「死」というものに久しぶりに、と言うか、ようやく実感的に作詞家が踏み込んだ楽曲に見えるので、その点は目新しく感じます。実感として「死」を考えるなかで、それをアイドルをとおして表現させるとなると、じゃあこれまでに「幼稚」であることを魅力にしてそれを支えにやってきたことのツケですか、アイドルに死を語らせることの可笑しさというのは、やはりあるんじゃないか。ミュージックビデオだって、秋元康が作るわけじゃないからね。できあがったものを見て、ガクッとすることもあるはずだし、「死」がテーマなら尚更だ。自分の赤裸々な部分をアイドルに歌わせてみて滑稽に感じてしまうようであれば、また元の場所に戻る。で、またチャレンジするときがくる。そういう繰り返しがこれまでにもあって、ここにきてようやく、滑稽な部分が削れてきたんじゃないか。それはなぜかと考えると、アイドルがある種の聖別になっている。たとえばガルシア・マルケスが晩年に達した境地に川端的な処女性への憧憬がある。つまり、死というものをまえに、聖別があった。つまり、「死」というのは、実は、アイドルをとおしたほうが語れるんじゃないか、ということです。死ぬときに、一体なにを思い浮かべるのか。自分がとうの昔に失ってしまったものを思い浮かべるんじゃないか。グループアイドルは、ノスタルジーの引用に、ほかのなによりも向いているような気が僕はしています。アイドルを考える際には、なぜ処女性を求めるのか、これは絶対に外せない話題です。死への恐怖を歌うことは、つまり『I want tomorrow to come』という作品は『シーラカンス』や『君はハニーデュー』と継っているんですね。アイドルが「死」への恐怖を和らげる。じゃあどうやって和らげるのかと言えば、自分がまだ無垢だった頃に好きになった人の面影をそこに見いだす、つまり「処女」ということになる。幼稚さは、「処女」の名残なのかも。
島:『君はハニーデュー』って歌詞もMVも「アイドルの値打ち」で当初から書かれてきた世界観と合致しているように感じますが、そこは注目しないんですね。
楠木:秋元康を語っているんだから、どこかしら合致する部分も出てくるんじゃないんですか。『君はハニーデュー』の1番の歌詞はドキッとしたけどね。
横森:ミュージックビデオを評価するってことなら、『君はハニーデュー』より『絶対的第六感』のほうが印象に残ってるかな。演技が良いでしょ、新作のほうが断然。
楠木:『絶対的第六感』も音楽のテーマそのものは、『シーラカンス』『君はハニーデュー』を下敷きにしているよね。具体的な道筋を歌っているんでしょう、これは。第六感というのは、言ってしまえば「他人のそら似」を説明しているわけだから。
OLE:パロディだなんだって、そこしか話題になってないのが残念だね。
楠木:僕はアイドルヲタクでもアイドル研究家でもないので、海外のアイドル作品なんて何もわからない。日本のアイドル界全体の事情もよく知らないし、興味もない。ましてパロディやパスティッシュなんてのは文学の世界じゃもうさんざん語り尽くされた話題なので、いまさらそういう話題を眼にしても、作品に対してどうのこうのというのはまったくない。もちろん、パロディであることで、つまらないのなら、つまらないと云うけどね。『絶対的第六感』のMVは、正源司陽子は普通の女の子に見えるし、普通ではない、なにか特別なものをもった少女にも見える、っていうのを映像で表現できているので、僕はかなり優れた作品に感じる。たしかに『君はハニーデュー』よりもこっちのほうがよく撮れている。映画(『ゼンブ・オブ・トーキョー』)もそうでしたが、実は演技がすごく上手いんですね、正源司陽子は。ビジュアルは言うまでもなく、踊りも良いし、演技の才能もある。過褒から始まったものが、どうやら過褒ではなくなってきたらしい、そういう確信が今ありますね。僕が評価していた以上に、本人のそなえ持つ資質が高かったようです。
島:他人をすごく信じた演技ですよね。「アイドル」を信じていると言うべきか。
横森:その信じるって部分の根拠が崩れて激しく落ち込んだりもする姿がファンに受けているんだろうし、そういう部分での共感性をこの子は演技にうまく表せてる。
島:言われてみれば、映画や『絶対的第六感』『急行券とリズム』のMVを観て、正源司陽子がどういうアイドルなのか、知らずしらずに、わかった気になっていたかもしれません。僕はフィクションに先行されアイドルの性格を理解して、この場で語っているのかも。でも、これも「アイドルの値打ち」の世界観ですよね(笑)。
楠木:現実からフィクションを解釈するんじゃなくて、まずフィクションをもとに現実を解釈していくというのが叶えられているんですよ。正源司陽子はその点について一貫しています。どの作品を眺めても「アイドル」を知れた気になれます。
2024/11/30 楠木かなえ