アイドルの可能性を考える 雑談 編

ブログ, 座談会

「『アイドルの値打ち』をみんなで読んでみる」

メンバー
楠木:批評家。趣味で「アイドルの値打ち」を執筆中。
OLE:フリーライター。自他ともに認めるアイドル通。
島:音楽雑誌の編集者。
横森:カメラマン。早川聖来推し。

楠木:今年4人で集まるのはおそらく今日が最後ですね。今回は「雑談編」とします。ただ読者の存在は忘れないように心がけましょう。


「『ナカイドのゲーム情報チャンネル』をみんなで見る」

島:みなさんはユーチューブの「ナカイドのゲーム情報チャンネル」をご存知ですか?
楠木:ごめんなさい。わからない。
OLE:おじさんだから(笑)。
島:ゲームの辛口レビュアーで凄く人気のあるチャンネルなんですけど、批判を繰り返すことでレビュアー自身が批判に曝され、活動休止に追い込まれてしまったようです。とりあえず幾つか動画を観てみましょう。
‥‥‥‥‥
楠木:なるほど。
OLE:でもこれは批評ではないよね。レビューでもないしクリティックでもない。強いて言えば評論になるのかな。
横森:動画のコメント欄を読むと「批判で金儲けしてきた人間なんだから、自分が批判されて怒るのはダサい」みたいなこと書かれてる。
OLE:それ、なにがダメなの?全然ダサくないとおもうけど。
島:要するにヒップホップでいうビーフですよね。動画投稿者同士の争いをオーディエンス=視聴者がジャッジしている。オーディエンスから支持されなければ敗者であって、格好が悪い。そういう場所に立ってしまっているんですよ。
楠木:そんなもの無視すればいいだけ。
OLE:大衆を無視できてないよね。
横森:しかしユーチューバーって「謝罪」が好きだね。なにかそういうしきたりでもあるの(笑)。
島:私人に間違いないんですけど準公人として見られたい振る舞いたいっていう見栄があるんですよ。
OLE:ファンが40万人いるなら立派なみなし公人じゃないの。
楠木:これ、僕はおもしろいとおもう。他者を批判していくことで自分が追い込まれていくっていうのは、まあ共感はできないけど理解はできる。登録者が40万人。それだけの数の人間に見られているという意識のなかで批判を作り続けなければならない状況に置かれてしまった。しかも本人の才能でそうなったわけではなくて、きっとこれはユーチューブというプラットフォームの力業だよね。選ばれてしまったわけだ。なおさら恐いよこれ。
横森:お金が入るもんだから、批判をしないと生きていけないって生活に追い込まれちゃったんだね。お金が貰えないならやめちゃえばいいんだけど、その選択肢になかなか自分からはたどり着けない。
島:でもこれは生活をするための「批判」ではないんですよね。ほかにいくつか生きるための方法があるなかでたまたま「辛口」が当たった。当たったからにはそのジャンルでやってみるかと決意する。成功体験に縛られているわけです。
OLE:だから批評家ではないんだよね。日常生活のなかで感じた憤りとか違和感とか、そういうものが原動力になくて、ただただ「お金」が原動力でしょ。だからレビューでもないしクリティックでもない。情報を寄せ集めた、情報の羅列だよねこれ。私情がどこにもない。
楠木:僕は「お金」が一番欲しいけど(笑)。
OLE:そうは言うけどさ、楠木君の文章を読めば「金」を目的に書いていないことは明らかだから。『アイドルの値打ち』にしても動機が他にあるよね絶対。アイドルにしても小説にしても、いつも私情が爆発しているじゃない(笑)。
横森:そもそもユーザーの満足度を上げるためにあれこれ知恵を絞って動画を作っている時点で批評家は名乗れないよ。
OLE:著作権についてちょこっと調べたくらいで、批評の成り立ちとかそういうのについてはまったくの無関心だよね。
横森:でもこのチャンネルは著作権的にもアウトなものが多いでしょ。ファスト映画だっけ、あれと同じ。
楠木:ファスト映画は論外でしょう。こっちはまだ語れるよ。
島:でも辛口レビューと書いている割にはレビュアーの本音がどこにも見当たらないんですよね。
楠木:個人の価値観を打ち出したって反響しないからですよ。お前は誰だ、で終わってしまう。だからインターネット上に転がっているレビュー=統計を差し出して説得力をだすんですね。アイドルでたとえるなら、アイドルのビジュアルの優劣を語るときに写真集の売上のデータでも持ってくれば大衆は納得するはずです。まあ僕はそういう分析的なことは退屈だからやらないけど(笑)。この「ナカイド」という人は大衆心理をよく理解できているとおもう。お金儲けするなら大衆意識の逆側に立って大衆を利用するのが一番です。これはもう投資の世界を見れば一目瞭然。
OLE:でその大衆に裏切られたと。
楠木:裏切られたというよりも自滅ですよね。はじめから誰も味方がいないという意識のなかでやっていたはずですよこのひとは。しかも、批判とは貶すことだ、と勘違いしているわけではなく、批判(貶す)の役割を担ってしまった、という確信を抱いている。なにがあっても貶し続けなければならないと決意してしまったんですね。まあ批判ってのは貶すほうが褒めるのより簡単だし賛同も得られやすいから、安易と言えば安易です。
島:ユーチューブの仕様上、その「役割」が重要なんです。「役割」を担わないチャンネルはAIに評価されない。AIに評価されるとそのチャンネルはユーザーに”オススメ”されますから、ユーチューバーはこぞって自分に「役割」を持たせようとする。
OLE:「動画を作ることがつまらなくなった」や「褒める貶すをバランス良くやると誰も喜ばない」とかそういった趣旨の発言をしているけれど、これこそ「批評」を知らない人間の意見なんだよな。
楠木:サント・ブーヴを研究しろなんて言いませんよ、僕だって研究者じゃないから(笑)。でもせめて小林秀雄とかE・サイードとか、あとは柄谷行人ですか、その辺のメジャーな作家を一通り読めば批評の輪郭がつかめるとおもうし、批評を作ることに興奮が出てくるはずなんだけど。乱暴に言っちゃえば、批評を作る、これは小説を書くことと同じ創作活動なので。
島:サント・ブーヴを知らなくてもやっていることはサント・ブーヴなんですよね。ゲームを批判する際にその運営スタッフに矢を向けるというのは、間違いなくサント・ブーヴですよ。
横森:そんな高尚な存在と比較して語るものなのこれ(笑)。
OLE:ゲームを批判するときに、「ゲーム」の世界で起こることのみを「ゲーム」の世界に向けてのみ批判するってのはなかなかむずかしそうだ。そういうことができれば批評家を名乗れるんだろう。これはアイドルにもおなじことが言える。
楠木:少し話が戻るけれど、結局これはインターネット上、とくにグーグル下において批評が成り立つのか、という問いかけに持ち込むことができますよね。しかし結論を先に言えば、批評を書いてそれがグーグルに正当に評価され読者を獲得できるのか、これは問うまでもなく不可能です。AI=クローラーって比喩表現を理解できないし、そもそも引用タグを付けないとその文章が引用なのかどうかすら判断できない。そんなレベルなんですよ、まだまだ。
横森:ダサいよね、あれ。
楠木:そう。結構が崩れるからね。だから僕は一切使っていない。僕は専門家じゃないからあくまでもこれは素人考えだけれど、たとえば冒頭部分に詩の引用がある記事をアップした場合、AIから見たら、こいつは著作権を侵害している疑いがあるぞ、となるわけ。そして記事の評価が下げられる。知人のサイト管理者によれば、タイトルで検索してもブログ名しか表示されなかったりするらしい。つまり検索においては誰にも読まれない記事ができあがる(笑)。また別の場合では、たとえばエミール・ゾラの『ナナ』。高級娼婦として描かれた主人公のナナの生い立ち、立身出世を、アイドル評のなかに引くとする。するとAIは「娼婦」というワードを誹謗中傷と捉えるんだね。そして記事の評価が下げられてしまう。これだけでも批評と検索サイトは馴れ合わないんだなと実感する。
島:再生数を稼ぐためにはその種の制約を多くうけ、それと同じだけの数の妥協をしているはずですよね。もうその時点で批評を志すような人間は削ぎ落とされてしまっている。
OLE:AIでも文章が書ける時代になった、なんてニュースを最近よく見かける。でもAIが書く文章って世の中で言うところの文章=記号の羅列に過ぎないからね。本来、文章というのは、人に読まれる、という目的と、人に読ませたいなにかがある、という目的が合致しないと生まれないものだから。AIが自分以外の何者かに向けて自分の想いを伝えたいと心に秘めるような状況・世界でなければ、AIが文章を書いた、なんて言えない。
島:現状は、サルがわけもわからず見様見真似でキーボードを打ち込んでそれがたまたま文字の連なりになって表示されたのを驚いて見ているような、そういった状況と大差ないんですよね。
楠木:文章を書く、批評を作る。これは、なにものにも制約をうけない場所で自分が他者に伝えたいと誓ったものを表現しようと試みる行為、少なくともそういった情況にあると信じ込んだ衝動であるから、やはり恐いんですね。「ナカイド」というひとに話題を戻せば、どんな作品にも人生をかけて取り組んでいる人間がいるわけです。小説もアイドルもゲームも、趣味に過ぎないのだけれど、やっているほうは真剣です。だからこっちも真剣にやるんだけど、くだらないものは「くだらない」と言うしかない。そういう矛盾に引き裂かれて及び腰になってしまったんじゃないかな。

「『世界に一つだけの花』を聴いたあとに批評を書けるのか」

楠木:とは言うものの、僕もアイドルへの批評が書けないという情況につい最近陥ってしまった。ちょっとテレビドラマの脚本家と話す機会があって、正直、日本のテレビドラマってほとんど見ないんだけど、それじゃ失礼だろうと、若い頃に見て印象に残っている日本のドラマをいくつかピックアップしてその感想を用意して向かった。そのピックアップした作品の一つが『僕の生きる道』というドラマで、主題歌がSMAPの『世界に一つだけの花』。改めてこのドラマを眺め、エンディングで『世界に一つだけの花』が流れると、なんだろう、ぼおっとしてくるんですね。このあとに、アイドルに点数を付ける、なんてことが果たして可能だろうか、と。
OLE:秋元康では「世界に一つだけの花」みたいな歌詞は書けないよね。
楠木:まあグループアイドルって順位闘争ですからね。だから『365日の紙飛行機』が書けるわけです。距離ではなくどのように飛んだのか、とか。
横森:『世界に一つだけの花』ってものすごくピュアだよね。
OLE:これが書けるのも凄いし、これをアイドルに歌わせちゃえるのも大胆だよ。
島:考えてみると、『世界に一つだけの花』と『365日の紙飛行機』って対峙していますね。
楠木:『365日の紙飛行機』の場合、歌を聴いた後でも批評は書けるんですよね。でも『世界に一つだけの花』の後では書けない。端的に言えば、槇原敬之は言い訳のできない詞を書いているのかな、と。現実を直視せずに理想に突き進んでいますよね。だからその無垢な世界をまえに”大人になってしまった僕たち”は逡巡するわけです。あまりにも無垢だから真剣になれない。笑ってしまう。けれどその幼児性に憧れている自分がいることもきっとどこかで自覚している。だから動揺してしまう。一方で、秋元康の詞というのは、これはもう作詞家然としたもので、言い訳が容易ですよね。用意周到な詩情です。言い換えれば、現実を直視したうえでその現実と融け合おうとするような詩を書いている。夢と現の境界線を不分明にしてしまおう、と。当然その境界線の不分明化という考えはアイドルに通底しているし、カメラの前だけではなく日常のあらゆる場面でお芝居をしなくちゃならない少女たちのアンビバレントを間近で眺めてきた経験に根付いたものです。
OLE:破壊力があるよ。槇原敬之って。『僕が一番欲しかったもの』とか生々しいでしょ。不安になるよ。
楠木:そうですね。防衛力抜群の詞を書く秋元康とは対照的に、槇原敬之には「侵入」がある。リメスを越えて侵入してくる蛮族のような恐さがある。
島:『世界に一つだけの花』の後で批評が書けなくなるというのは、順位付けに意味がないと考え無気力になるからではないんですよね。
楠木:そこは正直わからないけれど、妄想の余地が奪われてしまうんですね、きっと。批評というのは、言うなれば「妄想の飛躍」ですよね。作家の妄想を情報という「事実」によって補強したものが批評です。まず事実を準備する。その眼前に並べた事実のなかからあたらしい事実=価値を見出し、それを他者に伝えようと試みるのが批評です。たとえば、西野七瀬に対しこういった批評を作ってみる。

西野七瀬、1994年生、乃木坂46の第一期生。
今日のアイドルシーンを象徴する人物である。表題曲の歌唱メンバーに選抜された回数は22回。内、センターポジションに立った回数は7回。乃木坂46の物語にあって今なお圧倒的な主人公として想起され、衰退・索漠の色の濃いアイドルシーンにあってその消長を問う存在とみなされている。とくに、現実と仮想を交錯させることでアイドルの泡沫の夢を歌った『帰り道は遠回りしたくなる』においては、アイドルを演じる少女特有の屈託を大胆に描き出してみせた。

楠木:この文章の主に前半部分が「情報」で、後半が「妄想」になります。この文章を読んだアイドルファンがどこに引っかかるのか、想像すると、おそらく、「消長を問う存在」や「アイドルを演じる少女特有の屈託を大胆に描き出してみせた」、とこの妄想部分になるはずです。でも実はこの文章でもっとも妄想を飛躍させているのは『帰り道は遠回りしたくなる』に対する短い批評、「現実と仮想を交錯させることでアイドルの泡沫の夢を歌った」の部分なんですね。『帰り道は遠回りしたくなる』は卒業ソングですし、ほとんどのファンにとって、またアイドルにとって、アイドルへの名残と希望に満ち溢れた楽曲であるはずです。しかし僕はこれをアイドルのメランコリーを映した鏡だと考えている。そしてその妄想を事実を並べていくような感覚で書く。つまり情報をまず書いて、そこから発生した妄想を書くことで、もっとも強い妄想を隠そうとしているわけです。なによりも、その妄想が情報として機能し後半の妄想を補強することを狙っている。こういう批評を書いていくわけなんですが、『世界に一つだけの花』を聴くとこの妄想の余地が埋め尽くされてしまう。だから書けなくなるんです。
OLE:その感覚をめちゃくちゃ乱暴にアイドルに引用すると、妄想の幅が狭まるっていうのは「卒業」だよね。現実感覚に縛られてもう妄想することができない。幻想に生きられない。つまりアイドルとして笑顔を作れない。
島:そうなるとやっぱり秋元康は「世界に一つだけの花」とノートに書くことはできないですね(笑)。

「筒井あやめが気になる」

島:卒業と言えば今年は大園桃子、生田絵梨花と、『アイドルの値打ち』で90点以上を付けているアイドルが立て続けに卒業しましたよね。サイトオープンが2018年。つまり現在90点以上の評価を付してるアイドルってサイト立ち上げ以前からアイドルとして活動していた少女たちなんですよね。つまりはアイドル観がすでにある程度出来上がった状態で点数を付けているはずです。しかしこれからはそうはいかないですよね。あたらしくアイドルの世界に踏み込んだ少女を眺め、資質を見抜かなければならない。ここからは腕を試される場面が多くなりそうですね。
OLE:点数表を見ると、基本的には人気・知名度の高いアイドルをそのまま高く評価しているよね。
楠木:もちろん。売れているからには理由があるわけです。しかし売れているのに実力がないアイドルもそれなりにいるので、その場合は引き下げる、ということですね。逆に、才能があるのに目立っていないアイドルがいれば明るい場所に引きずり出す。
横森:これからはその「売れている」って前提がなくなるから大変だ。
楠木:まあそれは待てばいいだけだから。僕は別に売れるアイドルの予想とか、そういう遊びがやりたいわけではない。サイトのアクセス数を気にするならまず坂道シリーズのアイドルのページを全員分、とにかく作っちゃえばいい。でも僕はアクセス数っていうのはそこまで気にしていないし、まず自分のやりたいことを優先しているから、現状はかなり中途半端なリストになっている。森田ひかるとかね、まだ何も書いていない。卒業するまで書かないかもしれない。あるいは明日書くかもしれない。卒業したときに目をみはるものがあれば90点付ければいいし、今の輝きが減退してしまったのなら60点かもしれない。要するに、僕は、たった今、興味があるアイドルのことしか書けない。読者からのお便りを読んでいると、僕がアイドル個々に対し個人的な好悪を持っていると感じている人が多い。それは自分の”推し”のページだけにアクセスする読者が多いから当たり前なんだけど。でも、こいつは誰々の推しで誰々のアンチだな、って思わせることができているのだとしたらこれ以上の喜びはない。書いている時間は間違いなく、そのアイドルに対して深い思い入れをもっているからね。それが文章にあらわれているなら、これ以上のことはない、と。
OLE:興味が無いってのは結局バレるからね。とくにアイドルファンはそういうところ目ざといでしょ。書いてる人間に熱がないなら、読む方だって熱くなれないからな。
島:いま気になっているアイドルは誰ですか?
楠木:最近は「筒井あやめ」かなあ。
横森:卒業の噂があるね。飛ばし記事だろうけど(笑)。
楠木:そういう界隈で働いている人とは畑が違いすぎてなんとも言えないけど。卒業の噂に触れたときにファンとしてどう感じるのか、なにを想うのか、それが大事だとおもうけどね。筒井あやめの卒業なんて彼女のファンでも想像できないでしょ、きっと。
横森:筒井あやめが卒業しちゃう乃木坂46なんて夢も希望もないよ。
楠木:夢はあるんじゃないの。次のほんとうの夢のために卒業するんだから。でも絶対に儚いよね。
横森:あるアイドルが卒業する。で感傷に浸る。でもミュージックビデオとかライブ映像とか、そういうのを眺めているとさ、まあこの中にずっと存在しているからいいや、ってそう思えちゃうときがある。
楠木:それはMVの質が良いんだろうね。でも想像するに、筒井あやめがもしこの段階で卒業したらMVとかライブとか、そんなものどうでもいいよってなるくらいの衝撃はありそうだよね。
島:もし本当にここで卒業したら、なかなか迫力がありますよねアイドルに。まだまだなにも水増しされてないですよ彼女。
OLE:緊張感があるね。
楠木:ここで卒業したら100点ですよ。アイドルの値打ちとしてはね。ファン感情としてはセンターを3回はやってもらいたい(笑)。
島:眺めていると、筒井あやめさんは佐々木琴子さんにどこか重なるように見えますね。
楠木:一見すると、素顔が遠いアイドルですよね、ふたりとも。でもその遠さというのはすでに素顔の提示があるからこその遠さなんだと思うんだけどな。
OLE:明らかに、素顔を隠そうとする演技をしていると見えるのなら、それは演じ分けの未熟さの露呈、つまり素顔の提示になる。だから素顔が見えているってことかな。
楠木:うーん。そういうことでもなさそうなんですね。あるいは佐々木琴子であればそこに当てはまるのかもしれない。筒井あやめは佐々木琴子ではなくてデビュー初期の生田絵梨花に似ていると思う。素顔はすでに提示しているし、自分の素顔もある程度知っているはずです。あとは現在の硬さが崩せるのかどうかってだけですよきっと。そもそも最近はもう硬くないように見えるけど。
島:他人行儀な空気を持っていませんか。
横森:それはあるよね。自分の「アイドル」の余命がわかっていて、仲間を前にして一線を引いている、みたいな。深入りしてはいけない、という決心があるような。
OLE:よく見てるな(笑)。
楠木:そこまで戦略的に振る舞えるのだとしたら、大物になるだろうね(笑)。とにかくこのひとには大きな可能性を感じる。アイドルであろうと役者であろうとね。

 

2021/12/18  楠木

 

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