AKB48 久保怜音 評判記

AKB48

久保怜音(C)オリコンニュース

「アーカイブ」

久保怜音、平成15年生、AKB48のドラフト第二期生。
デビュー以来、コアなファンを”とりこ”にし続けている。その独特な、レトロスペクティブでイマジネールな世界に、ファンを引き込み、どっぷりと浸らせている。
現在18歳だが、アイドルとして過ごした時間はすでに6年を超え、申し分ない。その物語は厚く豊穣である。実力、才能、ともに文句なし。叩き上げのアイドル、といった印象。まず、やはり踊りが良い。このひとには、テクニカルな要求と「表現」への要求どちらも受けきるバランス感覚に優れた才能がある。たとえばそれは渡辺美優紀に比肩する資質であり、久保の場合、ふくよかなエロスも相まって、クールさとキュートさの入り混じった、ハイブリッドなアイドルに映る。
このひとは観察眼が鋭い。他のアイドルの日常の機微を見逃さずにキャッチし、自身がスケッチするアイドルの、成長の糧にしている。日常的に放つそのおっとりとした空気感、アイドルのキャラクター性に反し、アイドルを演じる少女自身にはとびきりに澄んだ意識が宿っている。日常を演じるという行為に対しこれほど注意を打ち込んでいる少女はなかなか見つからない。ドラマツルギーへの徹底がある。これは当然、演劇表現力に加点すべきポイントだろう。アイドルの演技力とは、テレビドラマや映画、ミュージックビデオの中にだけ求められるものではないのだ。おっとりとして見えたり、そのキャラクターの虜になれたり、アイドルの素顔に触れたと妄想できるのは、ほとんどの場合、アイドルの日常の演技が卓越しているからである。
とはいえ、久保怜音の本領とはダンスやドラマツルギーにあるのではない。特筆すべきは、彼女がそなえるレジティマシー、また、それがもたらす「アーカイブ」の披瀝にあるだろう。
グループアイドルにおけるレジティマシーとは、要するにグループの歴史に対する正統性という意味なのだが、平成が終わり、令和がはじまった現在、久保怜音ほど正統的登場人物と呼べる存在はほかにいない。しかもそれは、たとえば前田敦子大島優子といった、かつての主人公の血を超越的に受け継いでいる、という意味における正統性ではなく、AKB48というアイドルグループがかつて誇ったバナールな魅力を呼び戻す正統性のようにおもわれる。一握りの人間の心だけを揺さぶり虜にする、大衆に理解されることにどこか怯える過剰な精神を宿した共同体としてのアイドルとファン、といったレトロな構図への「喚起」が久保にはある。
サステナブル、と唱え、原点回帰を掲げるならば、このアンダーグラウンド感たっぷりの久保怜音こそキーキャラクターになるはずだ。このひとの踊りを眺めていると、グループがとうの昔に無くしてしまったものを思い出さずにはいられない。AKB48にとって、古くなってしまったもの、ではなく、意識すらされなくなったもの、をステージの上で瑞々しく復活させる、アーカイブとして機能している。

ただ、『願いごとの持ち腐れ』において研究生ながら表題作の歌唱メンバーに選抜されるという飛翔を口火に、近年はソロコンサートを実現するなど、そのアイドルとしてのキャリアはきわめて順風満帆に見えるものの、久保怜音に対し並みなみならぬ熱誠を持ったファンから投げられる、センター候補、エース候補、という熱烈な支持・期待に関しては、未だ壁を抜けきらない。正統的登場人物という印象がつくる一種の古典さを前にして、シーンのトレンドと合致しない登場人物、と作り手に扱われてしまうのだろうか。村山彩希同様、そろそろアンダーグラウンドとして文句なしの気品にあふれる実力者を、グループの主人公として描き、シーンのトレンドから脱却すべきではないか。

 

総合評価 70点

アイドルとして豊穣な物語を提供できる人物

(評価内訳)

ビジュアル 15点 ライブ表現 15点

演劇表現 13点 バラエティ 13点

情動感染 14点

AKB48 活動期間 2015年~2022年

2022/01/12  加筆しました

 

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