恋は倫理の逸脱だ!

座談会

「アイドルの可能性を考える 第七十一回」

メンバー
楠木:文芸批評家。映画脚本家。趣味で「アイドルの値打ち」を執筆中。
OLE:フリーライター。自他ともに認めるアイドル通。
島:音楽雑誌の編集者。
横森:写真家・カメラマン。

トーマス・マンとナチス、ハイデガーとナチスに派生してコラボラトゥールを考える中で、意識と無意識、倫理の逸脱を「アイドルと恋愛」の話題に持ち込む場面があった。

「アイドルを語りたいなら、自分の恋愛を語れ!」

横森:インターネットの黎明期にさ、画面の向こうに人がいると想像しろ、なんて啓蒙されたじゃん。そうはいっても実感って点で考えると、正直、実感なんてまったく湧かないんだよね。
島:実感がないところには、想像力もないとか、よく言いますよね。極端な例を出せば、ノーベル賞を取った人間に一般人が意見表明できちゃうのがインターネットで、これは想像力の問題に直結していると思います。
横森:ただ、コラボラトゥールを想像力の欠如として語るのは、さすがに浅薄な気もする。
楠木:シャルル・モーラスなんかは詩作の過程で社会的な倫理からの逸脱が可能になるという点に依存した結果として政治参加があったり、コラボの先陣だという文脈で考えると、想像力うんぬんは、それほど的外れではないと思う。でも、この場合は意識と無意識と言ったほうが良いかもしれない。
横森:現実を理想で染めるために現実問題を忘れてしまったのがシャルル・モーラスだっていうふうに眺めると、作品群に説得力が出るような気もする。
楠木:たとえばFXトレードにおける格言に、勝ちたければハンドルを左に切る場面で右に切れ、というのがある。これは理屈ではわかっても、実行するとなると、とても難しい。意識と無意識で言えば、ハンドルを進行方向に合わせて切るのは無意識の領域で行われている。無意識というのは要するに習慣だから、言葉でわかっていても、実際には実行は無意識で行われる。だから多くの人間はトレードで勝てない。ルールを決めていたって、なぜかエントリーすべき場所で入れない瞬間がある。エントリーしていれば勝っていたのに、なぜか入らなかった。という瞬間がトレードにおいて頻発する。それはおそらく「無意識」が危険を察知しているんだと思う。しかしインターネットにおいては、この「無意識」が働かない場面が多いんじゃないか。それはなぜかと考えることは、コラボラトゥールにつながるのかもしれない。
想像力の欠如って、自分のしたことの結末が予想できないことを言うと考えていたけれど、もっと別のケースもある。つまり、時代の激流を泳ぐことができない人間にも現れる。
島:無意識の露呈をどう防ぐのかが、真のネットリテラシーなんですよね。

横森:ネットリテラシーに照らした教育としては、他人に対して「バカ」と思うこと自体がいけないことだからね。「思っても口に出してはいけません」から「思ってはいけません」に変わった。
楠木:どちらかと言えば、僕は思ったことを口に出してしまうタイプではあるが、おもしろいのは、これを誠実と捉えてくれる人がそれなりにいるという点で、でも実はそうした視点に、僕は追い詰められてもいて、と云うのも、誠実だと思われている人間がなにか問題を起こしたとき、世間の反応は、ひどく冷たいものになるからです。だから日頃から僕は表と裏があるような、スキゾフレニックですか、そういうふうに見せようと努力しているんですが……。こうした告白を誠実ではなく卑怯だと思ってもらいたいというか。
横森:そういうのってキャラクターを作っているようにしか見えないから白けるんじゃないの(笑)。
楠木:まあ、この考え自体、脚本を書きながら頭に浮かんだものではあるんだけど。
島:プライドを捨ててエッセイを書くしかないですね。
横森:エッセイならさ、若い頃のエピソードが豊富じゃん。あなた、アルバイト先で人間関係のトラブルを起こしているでしょ。それでクビになってるよね。俺はそれを聞いたとき笑ったけど、一般的には笑えないのかも。
楠木:あれは誤解でしかないから、ちょっと性質が変わるかな。よく話していた女の子が、仕事であまりにもミスが多いから、世間話はやめにして、仕事の話だけをするようにしたら、無視されてると思って落ち込んでしまった。しかも僕はそれを他の従業員に「会話しないとどういうふうになるか実験中です」みたいな遊びのノリで話してしまって、それを責任者に告げ口されちゃったんだよね。それで呼び出されてクビになってしまった。罪悪感なんて一つもなくて、クビになったとき、ほんとうに驚いた。でもこうやってエピソードにしてみると、なにか大事なものが欠落しているようにも見えますね……。たぶん、優しさがないんだろうな。
島:僕が聞いて面白かったのは、「高菜」ですね。楠木さんが恋人におにぎりの具でなにが好きかを聞かれて「高菜」と答えた。理由を尋ねられて「昔の彼女の名前」って冗談で言ったら、そこで恋が終わってしまった話(笑)。
楠木:笑わせようとしたら、ぜんぜん笑えなかったんだよね。でもこれは自意識と言うよりも若さですよ。でも、今それを聞いて面白いと思ったのは、僕は「そこで恋が終わった」なんて言っていないはずなのに、いつの間にかそういうエピソードに改変されている点です。人の記憶って本当にあてにならない(笑)。
横森:感情も同じだよ。どれだけ好き好き言ったって、一瞬で終わるのが恋だからなあ。
島:あんなに一緒にいて、あんなに距離が近かったのに、別れたらもう他人ですからね。
楠木:恋は倫理の逸脱した場所でおこなわれます。異性に対して、自分でもなぜそうしたのか説明できないような行動を取ってしまう。それが恋ですが、裏を返せば、倫理に戻った瞬間、恋が終わるんだと思う。恋が終わったから、倫理に舞い戻るのか。倫理の判断は本来、理性の領域、つまり社会規範に基づきますが、恋はこの理性を麻痺させます。恋に落ちたら、社会的な立場なんか忘れてしまう。放り投げるんじゃない。忘れてしまうんです。だから常識、ルールを破ってしまう。これを情動とも言いますが、とにかく逸脱です。この逸脱を社会に容認させる、当たり前のものとして受け入れさせるのが芸術の役目でもある。
横森:頭でわかっていても、実際に恋に落ちてしまったら、右も左もわからなくなるからね。失敗を繰り返すしかない。だから初恋は実らないんだ。
楠木:僕の個人的な経験から言うと、これは若い読者、とくに男性に向けてということになりますが、女性はですね、一緒にいることが重要ですよやっぱり。離れていると、取り返しがつかなくなることが多い……気がする。あとは、喧嘩をしても、次の日には、なんでもなかったというふうに接してあげると、すぐに仲直りできる。常に機嫌よくいるのがいちばん大事かも。クリスマスとか誕生日とか、絶対に一緒にいないとだめですよ。そういう日に一緒にいられなかったってだけで別れの決意を固めるのが女の子です。
島:『Tシャツが乾くまで』で、失踪したパートナーを1年待つなんてシチュエーションがありましたが、現実にはそんなことあり得ないですよね(笑)。
横森:そこをエンタメの成立条件にうまくすり替えてるんじゃないの。それが成り立つからドラマになるっていう考えがエンタメを作っているんだよ。
島:全体としては当たり作ですよ。いくつになっても恋愛していたいっていう願望が、いくつになっても成熟した大人になれないっていう表現になってしまっているのは、日本人らしい感性です。「心の不倫」ってワードが出てきましたが、これって不倫ができない社会への抵抗でもありますよね。つまり罪悪感はあるけど、罪ではない。その罪がないことに後ろめたさを感じてもいる。
楠木:成熟した恋なんて聞こえの良いものはあり得ないと思いますよ。恋をする以上は、人はどうしようもなく幼稚になる。無垢になったり、下劣になったり、卑屈になったり、復讐心に取り憑かれたり。
横森:このドラマのテーマは『羅生門』だよ。人間は一面では真実を語れない。

島:『羅生門』と言うよりは『抱擁家族』じゃないですか?親が子を探す。子が親を探す。パートナーの失踪。家庭の崩壊。これをユーモアに描いてしまう、そうするしかないと言うのが戦後の日本だって、それこそ福田和也が指摘していましたよね。そう考えると、文学でやってきたことをドラマや映画が延々と繰り返しているのは、文学が止まっている証拠でもありますよ。
楠木:文学がどうとか言うなら、『みいちゃんと山田さん』は本来は文学が起こすべき現象なのに、今じゃもう漫画に役割を取られてしまっているんだね。あれこそ倫理の逸脱でしょう。とはいえ、僕はテレビドラマや漫画が風刺を前提に組み立てられていることにウンザリしてしまうな。社会への皮肉を込めることと、それを言いたいがためにあれこれアイデアを出してフィクションを作っていくこととでは、大きく異なるから。日本でこの手のドラマが多いのは、やっぱり純文学が破綻しているからだと思う。僕は、このドラマを見ようと思ったのは齋藤飛鳥が出ていると聞いたからで、その程度のことで良いと思うんですよね、テレビなんて。
横森:若者こそ見るべきドラマかもね。若い子と話しているとさ、なんで結婚をしたんですか、って聞かれる。これは本当に問題だと思うよ。そんな質問が出る時点で、なにかとてつもなく大きな問題が生じてる。
楠木:今はそこからさらに進んで、恋をするかしないか、結婚をするかしないか、選択できると信じ込んでいる。
島:あ、それはもう時代錯誤に踏み込んでますね。
横森:そうかな、むしろ、これからどんどん議論されていく話題じゃないの?
楠木:好きな女ができて、恋人になって、その女の裸を見るという瞬間よりも強い興奮があったら教えてほしい。
横森:自分が裸になりさえすれば男が勝手に興奮すると信じてる女もどうかと思うけどね(笑)。
楠木:それは体位の問題でもあるかな。ふだん見ない角度から顔を眺めるから、幻滅してしまうということが男には往々にしてある。大事なのは、そういうことを教えてやる大人がいないってことだよ。
島:若者にとってセックスは汚いことですからね。ぜんぶ村上春樹のせいです。セックスを汚いものとして描いて、ギリシャ神話を引用して精神の世界で交わろうとしたでしょう?
横森:恋愛をしない自分を高尚だと思ってるんじゃない?現代人は。

楠木:性行為に関しては古代ローマ時代に確立されて、もうそこからなにも進化していないんだよね、人間って。でも裏を返せば、それだけその部分に関しては、もう避けられないくらいに普遍的な出来事だということですよ。アイドル批評の不成立がどうだとか、真面目ぶった退屈なことを僕はずっと言っているんだけど、でも考えてみれば、アイドルソングの多くは恋愛ソングですから、恋愛を考えさせるというだけで、批評の役目は出ているんだ。アイドルを批評するのに、自分の恋を語れないようじゃ、批評にならないんじゃないかな。アイドルは青春。青春のメインは恋愛です。自分の青春や恋愛を言葉にして表そうという試みほど、作家としての力を鍛えるものはない。自分の恋愛をあとから振り返ると、自分がどこでどう道を外してしまったか、よくわかると思うんだよね。そういう瞬間を捉えることが、表現の道では役に立つんじゃないか。シャルル・モーラスだってルバテだって、最終的には、政治を振り捨てて、音楽や恋愛に傾倒したわけだし……。
島:理想はそうですが、現実としてはそういう言葉に接して「じゃあ恋愛しよう」なんてならないですよ。言い訳してしまいやすい事柄ではある。でも、どうにもならない事柄でもある。
楠木:批評うんぬんは置いておいても、「恋愛」を歌うっていうなら、アイドルはそれをどうにかしてしまえなきゃだめなんだと思います。

横森:今更ながら気づいたんだけどさ、アイドルの恋愛スキャンダルって、アイドルからの最後のファンサービスだと思うんだよね。私も精一杯の恋をしているから、ファンのみんなも頑張ってね、って。アイドルがファンの人生にこれより強く影響を与える瞬間なんてある?アイドルは卒業するとき、恋愛スキャンダルを出すべきだよ。
楠木:恋愛はどんどんすべきだと思うけど、スキャンダルってかたちになると、その恋愛が曇ってしまうんじゃないかな。それが気の毒だよね。せっかく出会ったのに。たとえばアイドルと楽曲の関係性はワークフローとLoRAに似ている。でもきっと「恋愛」という要素はLoRAではないんだと思う。

2026/09/09 楠木かなえ