西森杏弥の魅力

僕が見たかった青空, 座談会

(C)あの日 僕たちは泣いていた ミュージックビデオ

「アイドルの可能性を考える 第四十九回」

メンバー
楠木:文芸批評家。映画脚本家。趣味で「アイドルの値打ち」を執筆中。
OLE:フリーライター。自他ともに認めるアイドル通。
島:音楽雑誌の編集者。
横森:写真家・カメラマン。

「『あの日 僕たちは泣いていた』を聴いた感想」

文学の大きなテーマは、社会的に容認された公式の言葉が表現できないものをいかに表現するかです。公式の言語になじめない、獲得できない時期、つまり青春が小説のテーマになるのは、いつの時代でも同じだと思います。

福田和也/青春の喪失

横森:この音楽と映像の良いところは、恋愛ソングの背景にある「青春」をメインテーマに持ってきてアイドルを語っているところだね。歌詞のシチュエーションに引き合わせただけのミュージックビデオが多いじゃない?そういう安っぽい作品よりもこのドキュメントのほうがよっぽどアイデアがあるよ。
楠木:詩情に教わっているという点が、好感を誘うんだろうね。
OLE:フィクションに現実が先行されているって意味じゃCLANNの『I Hold You』とか、ああいうのに実はイメージが近い。「啓発」なんて言ったら、怒られるかな。
島:CLANNはゲームのBGMのようで、どうしても軽く感じる。ソウルライクとか、あの手の作品にどうしても重なって見える。
OLE:市場規模を考えれば、テレビゲームのBGMと言っても、もはや軽視できないんじゃないの。
楠木:『エルデンリング』とか『ブラッドボーン』なんか、ゲームを起動して、音楽を聴けば、世界観の記憶が呼び戻されますけどね。『レッド・デッド・リデンプション2』や『ウィッチャー3』なんかは、音楽ひとつ取っても、既存のゲームの枠を大きく越えているからね。
横森:ゲームをバカにする気はないけどさ、小坂菜緒とか丹生明里がゲームで貴重な時間を費やしているのを見かけると、ほんとうにそれがやりたかったことなのか、ってつい思ってしまう(笑)。
OLE:心のケアなんでしょう。あれは。昔は犬や猫を飼わせるってのが常套手段だったが、今はゲームなんだよ。
楠木:アイドルの心をケアすることがアイドル運営の才能の見せどころになっていますからね(笑)。
島:オンラインゲームは嫌なことを忘れて没頭できますから、麻薬みたいなものです。
横森:気になるのは、この作品がピークになるんじゃないかって点で、戦略として、こういったドキュメントをデビュー1年2年の段階で出したのは、時期尚早だったんじゃないか。
OLE:そうは言っても、乃木坂も同じような時期に『失いたくないから』を作っているからね。乃木坂をしっかり研究しているのがわかるよ、このグループは。アイドルも同じで、西野七瀬に似ている子がいるじゃない?金澤亜美。このアイドルは特に熱心に西野七瀬を研究している。顔が似ているって評判を見て聞いて、じゃあどうすればより西野七瀬っぽく見えるのか、すごく考えてる(笑)。
楠木:顔が似ていると、行動も似るんですよ、きっと。行動が似ていると、なおさら似ているように感じる。ただ、顔とか、空気感とか、野心ですか、たしかに金澤亜美は西野七瀬に似ているけれど、存在感というのかな、これは八木仁愛のほうが西野七瀬に近いように見える。西野七瀬がすごいのは、これこれこういうアイドルが売れるっていう型をつくった点で、”僕青”の作り手はそれを八木仁愛でやろうとしている。”僕青”が今後ヒットするなら、八木仁愛のようなアイドルを後続のグループは求めるようになる。だから既存のアイドルとじかに顔が似ているメンバーは、なかなか主役には選ばれないんじゃないかな。金澤亜美や柳堀花怜、あとは吉本此那。吉本此那は畠中清羅と佇まいがよく似ている。美貌と内面のギャップのあり様ですね。塩釜菜那は、リーダーってことで、高橋みなみの言葉とか、インターネットを駆使して勉強しているんだなというのが、スピーチを聞いているとよくわかる。上滑りと言えばそれはそうなんだけど。でもそれだけ追いつめられて、考えているということだから。
横森:真面目だな(笑)。
OLE:アイドルグループのリーダーやキャプテンってその一面性だけで語られることが多い。でも塩釜菜那は逆らっているよ。
横森:芸能人の本性だなんだって、やかましいよね、最近はさ。人間の一面しか見れないのかって。
島:騒いでいる人間が誰よりも醜いって、皮肉的ですよね(笑)。
楠木:中野好夫の『デイヴィッド・コパフィールド』評で、登場人物の造形への不満として、人物の性格の固定というのが挙げられていて、悪人は悪人、善人は善人といった枠の打ち付けが小説をつまらなくしていると云っている。教養小説というジャンルに立つにしては、成長するのは主人公だけで、他の登場人物は、ほとんどが一切の成長を見せず、性格が固定されたまま物語が終わる。要するに、主人公を成長させるための道具になっている。こうした一面性が、今、社会によく現れているんじゃないかな。人は一面だけではないが、一面だけで他者に語られてしまう。一面性というのは表と裏ということです。でも人間は、本来は、表と裏だけじゃないからね。
横森:人は場面に応じていろんな仮面をつけて生きて行くからね。善人の顔、悪人の顔、どちらもある、なんてことを言いたいわけじゃなくてさ。一側面だけを見て、割り切るな、ってことだね。
島:自分に見える部分だけを真実にすることは、よくありますよね。
楠木:もちろん。たとえば、この作品(『あの日 僕たちは泣いていた』)で僕が他のなによりも引かれたシーンって西森杏弥の涙で、慟哭している場面と、静かに涙を落としている場面のどちらも描かれていると思うんだけど、そのどちらにも強く引かれてしまう。それはひとりのアイドルのなかにいろんな「顔」を見るからだと思う。
横森:どことなくだけど、「風花」とかさ、ああいう文壇バーのママみたいな雰囲気をもってるよね(笑)。一筋縄ではいかない、みたいなさ。

島:大園桃子に似ていませんか?
楠木:この人のおもしろさって、卒業時の大園桃子がアイドルとしてデビューしているっていう点にあると思っていて、大園桃子って、自分はもう大人になったから、つまり純潔ではないから、アイドルはもうできない、嘘をつくことはできない、と、そうやって卒業していったわけですが、そうした気分にある人がアイドルとしてデビューしたのが「西森杏弥」なんですね。自分は純潔ではないという確信が胸の内のどこかに秘められていて、しかし、「夢」っていうね、これでもかというほどに清らかなものに染まった少女たちに囲まれることで、自分に純潔さがまだあることを知るというふうな、アイドルを描けている。アイドルを語ろうとするなら、テーマはまず間違いなく「青春」になるはずですが、青春を語るにしたって、その語り手が青春の只中に立っているのか、青春を振り返っているのかで、まったく事情は異なるわけです。西森杏弥の魅力は、青春の只中にある少女たちと同じ場所に立って、青春を振り返るのでもなく、青春を取り戻すのでもなく、自分の青春の知らなかった部分を少女たちをとおして手にしているという点にある。20歳を過ぎると、人は涙もろくなりますから、実は少女の涙のほうが人生の場面としては貴重なんです。恋人が泣いているのを見て、こっちまで涙が出てくる。これが大人になってからの涙です。そういう涙が西森杏弥にはあるんだと思います。「アイドル」を前にして心を揺さぶられている人を目撃する。しかもその人自身もまた同じ「アイドル」で、少女たちと同じように慟哭する点が、おもしろいんですね。あたりまえにあったはずのものが、あたりまえではなくなった。当たり前ではなくなったものが、あたりまえにそこにある。そういう感動が西森杏弥という人にはあるんじゃないか、僕にはそう見えます。


2025/02/03  楠木かなえ