SKE48 惣田紗莉渚 評価

SKE48

惣田紗莉渚 (C) SKE48mobile公式サイト

「ぼくたちの失敗」

惣田紗莉渚、平成5年生、SKE48のドラフト第一期生。

死ぬとどうなるのか。
わずかな記憶を抱きしめて、蒼い色のまるい魂となって、宿屋めぐりするのか。
ただ虚空に遭遇するだけなのか。
仮りに、死後の世界があるのだとして、そこで暮らす私は”いま”の私なのだろうか。私の人生における”どの時点”の私なのだろうか。もし、死を迎える瞬間の姿形が”使用”されるとしたら…、想像は尽きない。しかしこれらはあくまでも想像の範疇にすぎない。想像ではなく、実体験として(それも人生において幾度となく経験する)、死後、自分がどうなるのか、導き出せるこたえを私は知っている。それは、死んだ次の瞬間に、もう一度おなじ人生がスタートする、という考え、予測だ。私たちは、死んだあと、もう一度また、まったくおなじ世界に生まれて、まったくおなじ場所で、まったくおなじ人生をくり返す。もちろん、その人生が生み出す結果も変わらない。はじまりも、おわりも、なにひとつ変化のない、ただのくり返しだ。
しかし、結果も、過程も変わらないけれど、まれに、なにかのはずみで私が暮らす世界に(あるいは私自身に)ズレのようなものが生じる。ズレが生じた時、”僕ら”は数秒間だけ、未来をみる。それはおそらく”前の人生”で私が描いた光景だ。つまり、デジャヴュである。デジャヴュの体験こそ、私にとっての世界の終わりを「はじまりとおわりのくり返し」と確信させる出来事なのだ
残念なことに、フロイトに夢の残骸と斬り捨てられた瞬間から、デジャヴュとはただの錯覚的既視感に過ぎない、この概念が一般論的な防衛力を誇り続けている。夢で見た光景、過去の記憶のすり替えとして、すこしだけ不思議な現象として大衆に処理されてしまっている。しかし、それはおおきな間違いだ。たしかに、実際にそういった錯覚におそわれる瞬間もある。過去に一度だけみたことのある光景を記憶の引き出しの奥に置き忘れたまま、ある日その絵に酷似した光景を眼にしたら、この光景を私は以前にもみたことがある、と季節の記憶を確信するはずだ。しかし、それは言葉の真の意味でデジャヴュではない。
本当のデジャヴュでは、一度も足を踏み入れたことのない部屋で、はじめて出会った人間をまえに、次の瞬間に起こる展開をみることができる。その日はじめて出会った人間の未来の行動をみる、ということがはたして過去との錯覚になりえるだろうか。もしかしたら、なりえるかもしれない。けれど、仮りにそのような奇跡(はじめて入った部屋、はじめて出会った人間を過去の光景から構築しなおして、その次の光景を過去の物語と一致できる可能性)を認めた場合、確率的にそのような一致が起こりえるのは、人生において、一回か、二回、それきりではないか。しかし、”僕ら”は、人生において何百、いやもしかしたら何千とデジャヴュに遭遇している。そして、既視感のすべてが未来を教えている。つまり、安易に過去との遭遇と説明するには到底”無理”がある現象と呼べるはずだ。
だから、未来をのぞかせるデジャヴュの説明として、私は、私たちの世界の終わりを「はじまりとおわりのくり返し」と置くのである。
”僕たち”は人生の失敗をおなじ舞台の上でくり返し演じている。何度も、何度でも、くり返している。だから”僕”は「孤独の道」の途中で”君”ともう一度「出会って」、もう一度、「たくさんの愛を知」る。君が”NO.49”としてドラフト会議に登場する場面も、合格して涙を流す場面も、劇場で女学生的な闘争を前に屈託を背負わされた場面も、総選挙で8位にランクインをし、『真似をできるなら、真似をしてみろ』と叫んだシーンも、何回も見ている。そしてその度に”僕”は君に恋をする。君を深く愛してしまう。何度「やり直したって」、きっと「また同じ選択をするだろう」。君の「無謀な夢」が「覚めることがない」ように、”僕”の恋もさめることがない。(*1)

このような深刻な妄執がアイドルを演じる少女たちに真剣に理解される、などという事態が現実に起こり得るのだろうか?
”起こり得た”のだ。
SKE48のドラフト1期生の惣田紗莉渚。”アイドル”という奇跡の扉をひらいたのは「20歳」とやや遅咲きであったが、今日、そこに示されるアイドルとそのファンの物語は途方に暮れるほど膨大であり、うかつに触れることを躊躇する、濃密な批評空間の構築に成功している。ファンがアイドルの輪郭を描く熱量と同等以上に、アイドルもまたファンの輪郭を繊細に描いており、「誰もが王道を行かないといけないのですか?」、この自身の主張を裏切るように、現代のアイドルシーンのなかにあってきわめて王道な物語の書き方を実践している。惣田紗莉渚の科白から立ち現れるファンの姿は複雑で危うい。彼女が語るファンとは、手にすることのできなかった青春におもいがけず邂逅して没入するような妄執を身にまとっている。もちろん、それが惣田紗莉渚の書くアイドルを映す鏡であるのは説明するまでもない。(*2)

「大好きな握手会をがんばってたくさんの方が来てくれるようになり、選抜に入ることができました。その時、ある人に言われました。『お前の上り詰め方は邪道だ』と。その時私は思いました。誰もが王道を行かないといけないのですか?と。泥臭くちゃダメですか? かっこ悪くちゃダメですか? みんなから引かれたっていいじゃないですか? 私のやり方に文句がある方にはこう言いたいです。同じことをやってみてください。もし真似をできるのなら、真似をしてみてください」

惣田紗莉渚 / 第9回AKB48選抜総選挙 (*3)

”もし真似をできるのなら、真似をしてみてください”、これは裏を返せば、「私には私自身になる以外に道はないのだ」という自白である。興味深いのは、あくまでも彼女はこのスピーチをきわめて短い距離感での出来事、アイドルシーンの枠組みにおけるひとつの出来事として語っているが、そこに込められた反動の呼吸によって、結果的に、アイドルシーンの外側に立つ、アイドルシーンを揶揄する人間に向けた皮肉へとスピーチのすべてが転化している点だ。(*4)
グループアイドルのパフォーマンスを真似する、なおかつ、模倣対象としたアイドルよりもうまく踊れる、うまく歌える人間はけしてすくなくはない。しかしアイドルを演じる少女たちと同じだけの数のファンのこころをつかみ、揺さぶることを可能とする人間は、彼女たちの真似を”できる”人間のなかにはひとりも存在しないだろう。
たとえば、乃木坂46の生田絵梨花よりもピアノを巧く弾ける人間は、それこそ文芸の世界には過去から現在まで、星の数ほど存在するはずだ。だが一方で、生田絵梨花は何万人もの観客の前でピアノを演奏し、自身の情動を感染させ、歓声を浴びている。それは彼女よりも巧くピアノを弾ける人間のほとんどが到底たどり着けない境地であり、覆しようがない事実だ。それはなぜ、可能なのか。なぜ、そのような状況が生まれたのか。なぜ彼女はほかのだれよりも鮮明に輝いてみえるのだろうか。つまり、このような視点のもとにアイドルの物語を読む行為こそ、現代でアイドルを演じる運命を背負った少女たちと出会い、触れようとする人間に求められるただしい姿勢と云えるのかもしれない。そこへ踏み込み、フィクションを作る試みこそ、批評家として、真剣な姿勢と呼べるのかもしれない、という「思考経験」に惣田紗莉渚への鑑賞行為が、彼女の作り上げるアイドルの姿形が直面させる。
真似はできる、けれどおなじ結果をだす、おなじ物語をつくることはできない。だれも自分以外のなにものにもなれない。そこに漂う不気味で明徴な希求力こそグループアイドルの魅力であり、彼女たちと、そのファンがもたれ掛かる寄す処である。つまり「アイドル・惣田紗莉渚」には、アイドルを演じる少女だけでなく、我々日常生活者が遭遇するアイデンティティへの問い、自我の獲得と喪失に対する勇気づけ、励ましといった再現不可能な活力の提示がある、ということだ。それを証す存在が、彼女を何度も愛するファン、帝国劇場に立って踊る彼女の姿をデジャヴュのなかでみるファンと云えるだろうか。

しかしもう一度私が私の人生をやりなおせるとしても、私はやはり同じような人生を辿るだろうという気がした。何故ならそれが(その失いつづける人生が)私自身だからだ。私には私自身になる以外に道はないのだ。どれだけ人々が私を見捨て、どれだけ私が人々を見捨て、様々な美しい感情やすぐれた資質や夢が消滅し制限されていったとしても、私は私自身以外の何ものかになることはできないのだ。かつて、もっと若い頃、私は私自身以外の何ものかになれるかもしれないと考えていた。…私自身の自我にふさわしい有益な人生を手に入れることができるかもしれないと考えたことだってあった。そしてそのために私は自己を変革するための訓練さえしたのだ。『緑色革命』だって読んだし、『イージー・ライダー』なんて三回も観た。しかしそれでも私は舵の曲がったボートみたいに必ず同じ場所に戻ってきてしまうのだ。それは私自身だ。私自身はどこにも行かない。私自身はそこにいて、いつも私が戻ってくるのを待っているのだ。人はそれを絶望と呼ばねばならないのだろうか?…しかし誰がどんな名前で呼ぼうと、それは私自身なのだ。

村上春樹 / 世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド

 

総合評価 68点

アイドルとして活力を与える人物

(評価内訳)

ビジュアル 12点 ライブ表現 14点

演劇表現 13点 バラエティ 13点

情動感染 16点

引用:(*1)無謀な夢は覚めることがない / 秋元康
(*2) (*3)SKE・惣田紗莉渚、総選挙で8位!「お前は邪道」言った″ある人″へ反論スピーチ / マイナビニュース
(*4)世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド / 村上春樹

 

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