指原莉乃の再来、池田瑛紗の可能性

乃木坂46, 特集

池田瑛紗(C)B.L.T.

「ナードの逆襲」

まわりを見れば大勢の
可愛いコたちがいるんだもん
地味な花は気づいてくれない

秋元康/恋するフォーチュンクッキー

池田瑛紗、平成14年生。乃木坂46の5期生としてアイドルの門をひらいた。
他人のそら似という、超常的超越的ノスタルジーを憧憬にして集められたであろう5期には、平手友梨奈の面影をもつ中西アルノ、山下美月の笑顔に愛着した一ノ瀬美空、橋本奈々未のようなアクチュアルな美をそなえもつ菅原咲月など、過去の登場人物に似ていることがむしろ個性の証になるような、希望の逸材が並ぶ。池田瑛紗もまた、渡辺麻友に似ている、とデビュー当時、多くのファンのあいだで話題になった。
けれどそうした声価に反し池田はある種の逆説を示している。たしかに顔貌は渡辺麻友を想起させる。だが池田瑛紗というアイドルの性(さが)を迎え撃つアイドルは、渡辺麻友のライバル・アンチテーゼであった指原莉乃であるように感じる。アイドルとしてのヴィルトゥス、とくに作詞家・秋元康の詩情との絡みあい響きあい、たとえばアイドルの日常のひとこま、ひとつの出来事に注目し、それだけを足がかりにしてアイドルとは無関係の、しかしたしかに青春の普遍性をそなえた物語を編むことでその楽曲を歌い踊り演じるアイドルの性格がテクストに表されるという、詩作における原動力になりえる存在として池田は指原莉乃にかさなる迫力をもっている。たとえば、グループアイドルの序列闘争に際し劣等感をむき出しにする指原莉乃の、そのひとこまを下敷きにして、日常のあらゆる順位闘争のなかで屈託する若者への活力を歌った平成のヒットソング『恋するフォーチュンクッキー』と同等の偶然と必然が、池田瑛紗をセンターに配した5期生楽曲『心にもないこと』の、過去の後悔の内に青春があるのだと歌ったその詩情の内に、わずかだがすでに出現している。
今日、グループアイドルを演じる多くの少女に共通して求められるべき資質とはなにを指すか。それはやはり、センターに立った際に作詞家・秋元康から質の高い楽曲を与えられるかどうか、に尽きるだろう。どうやら池田瑛紗という人はその資質にめぐまれていたようだ。
アイドルに魅力があるから音楽に魅力が宿るのではない。魅力に溢れた音楽が編まれるから、それを演じるアイドルに魅力が宿るのである。『心にもないこと』を歌い踊る池田瑛紗は飛びきりに輝いて見える。

平成のアイドルシーンにおいて最も豊穣な果実、最高峰のシュトゥルムであった指原莉乃。彼女と池田瑛紗に有機的な接点を見出すとすればそれはまず間違いなく「言葉」であり、かつての指原がそうであったように池田もまた言葉のちからをもってファンの好感を誘うことで同業者の関心の的になっている。
指原が秋元康にその「言葉」のおもしろさ、ブログに記した一行に可能性を見出され一躍スター街道を駆け上がったことはあらためて説明するまでもないが、池田もまた言葉の発信に憑かれたアイドルである。
日常的に文章を書く人間は思惟に高い運動力がある。それは対話における運動神経を鍛えるし、機智の針を研ぐのに貢献するだろう。指原が機智に富んだ科白をカメラの前で披露できるのも、常に言葉を考えてきたから、だろうし、池田もまた場面場面に応じて同業者には感心を、ファンには感興を与える言葉を編み続けている。とくに、一定の水準を保ちつつ、自身の思考を日々言葉に変え洪水のごとく発信しつづける池田の並外れた熱量にはたじろぐものがある。半同棲している恋人の家から自宅に帰り、自分のベッドで眠る時、昨日までそこにあった、横にあるはずのものがない空虚感、違和感を前に発見する寂しさと似て、池田の言葉はすでにファンの生活の一部となっており、彼女の言葉に触れられない日があると、ファンはその寂しさを隠さない。
この、ファンがアイドルのブログを心待ちにする、アイドルの文章をたのしむ、アイドルの言葉に触れることでそのアイドルのことを知っていく、好きになっていく、という光景は池田瑛紗が登場するまで、久しく目にしなかった、とおもう。ブログという、もはや時代遅れでしかない、希求がすっかり衰えてしまったコンテンツの価値を押し上げ、復活させた功績は大きい。言葉が「アイドル」を通して発せられることで特別な魅力を孕んで行く。ならばそれは言葉が作品に変わっている、すなわちアイドルが作品にされている、ということなのだろう。ゆえに「言葉」こそ池田瑛紗のアイデンティティになるのではないか。

「言葉」を継穂にすれば、5ちゃんねるを代表とする匿名掲示板、ツイッターなどのSNSのなかに転がるあられもない雑言、称賛と中傷を世の真理、人間の本音、つまり真実だと無意識に捉えてしまう大衆の無垢さ幼児性を逆手に取り、そうした空間において称賛されるべく果敢に行動する虚栄心の肥大も指原莉乃と似通っている。
5ちゃんねる、ツイッター、さらにはそこに転がる言葉を収集し生活の糧にするキュレーションサイト、俗に言う”まとめサイト”と一蓮托生の間柄のアイドルを育んでいる点は蛇蝎に思えてならないが、そうした「大衆」を味方につけアイドルを飛翔させる性(さが)、「アイドル」への深い理解をファン心理の知悉に結合させる野心もまた才能とするしかない。やはり「大衆」に歓呼された指原莉乃同様、時代に愛された、と云うよりも、インターネット以降の世界に愛されたアイドルと呼ぶべきだろう。アイドルが功績を挙げれば、ファンはそれを自分のことのように喜ぶし、自分のことのように他者に向け誇示する。アイドルの、威光である。

いずれにせよ、ブッキッシュにアイドルを作っていく人間が、アポステリオリとは無縁の、生まれながらに天性の美・気品をそなえた少女たちと並ぶ存在感を放つ、希望の糸になるという意味ではまさしくナードの逆襲であり、満たされることがなかった過去の欲求の代償として「アイドル」を役立てるそのデスペレートさにはたしかな独自性を感受する。ようやく指原莉乃を継ぐアイドルが現れたのだな、と感慨に浸らせる。
であれば当然、池田瑛紗というアイドルを前にして見出す可能性とは、大衆を引き連れ表通りを闊歩した指原莉乃の『恋するフォーチュンクッキー』に並ぶ傑作誕生への予感と期待になるだろう。


2023/03/01  楠木かなえ