勝手に坂道AKB

「僕たちは同じ時代を生きているんだ」
スープをすすって生きのびる境遇になっても、人はスプーンを使うのをあきらめはしない。
ヘンリー・ジェイムズ/鳩の翼(訳:青木次生)
「『スープをすすって生きのびる境遇になっても、人はスプーンを使うのをあきらめはしない。』という言葉の異様な説得力はどうだろう。それは誇りなどという言葉には還元できない、もっともっと厄介なものを指している。飢えの果てに、皿に顔を突っ込むようにしてでもスープを啜りたいような状態になっても、人はスープ皿の横にスプーンが置かれていないかと捜してしまう。そこに動物と異なる、必要と必然のなかに収まることのできない、人間の困難と可能性が象徴されている。」この『鳩の翼』における一行は、富にうなりを立てたアメリカ人として若くからヨーロッパを旅し、その文明の「爛熟」に触れてきたヘンリー・ジェイムズの結晶ということになるが、しかしヘンリー・ジェイムズという作家は、単にヨーロッパに学んだアメリカ人ではない。なぜなら、ジェイムズにとって、ヨーロッパとは外から眺める対象であると同時に、内側から生きられる現実でもあったからだ。
ヨーロッパ大陸を歩くことで、またフローベールやツルゲーネフなどの名だたる作家連中と交わることで、故郷であるアメリカがいかに未熟であるか、劣等感に打ちのめされながらも、同時に、ヨーロッパの作家たちが自明のものとして措いている文明の相貌に、アメリカにあってヨーロッパにないものを見つけてしまう。その眼には、憧れもあれば、疑いもある。その両点のあいだに立つことこそが、ジェイムズにとっての現実にほかならない。その現実に立つからこそ、人間の困難と可能性の象徴、つまり希望を彼は書きえたのである。ヘンリー・ジェイムズは、ヨーロッパの内部に入り込みながら、なお外部の視線を失わなかった稀な作家であると云えるだろう。文芸批評家・福田和也をして「『鳩の翼』、『使者たち』、『黄金の盃』は傑作の誉れが高いが、おそらくヨーロッパ文明なるものがこの世から完全に消滅してしまった後にも、この三、四の小説が残存していれば、それがいかなる姿をしていたかを伝えうる作品である」と言わしめたジェイムズの存在は、当時のヨーロッパの作家たちにしてみれば痛烈でしかないが、さて、こうした痛烈さは、なにも文学の世界に限った話ではないと、私は考えている。*1
たとえば記憶に新しいものとして――当然、ここでの記憶とは「アイドル」ということになるが――山下美月の卒業作品にもなった『チャンスは平等』を挙げるべきだろう。AKBに憧れ、前田敦子や大島優子の要素をその身内に多分にふくんだ少女が、乃木坂46として活動し、成長し、トップアイドルへと成り上がっていくなかで乃木坂らしさをみにまとったことが、かねてから憧れていた王道のアイドル観=AKB的なアナクロへの回帰についに手を伸ばした『チャンスは平等』においてその作品内で示される、つまりAKB的な世界の中で乃木坂らしさを明瞭に描き出すことで、乃木坂のみならずAKBをも解体してしまう事態は、ジェイムズの眼にかさなる部分が多い。
こうした出来事は、シーンを探せば、いくらでもある。松井珠理奈のAKBへの兼任にはじまり、生駒里奈・松井玲奈の交換留学なども、語るに値する出来事と云えるが、ここでは「坂道AKB」に注目することにする。
「坂道AKB」を端的に説明すれば、AKB48グループと乃木坂46など坂道シリーズのトップメンバーで構成された期間限定ユニット、ということになる。秋元康のもと、異なる路線の人気グループが共演する特別企画として話題を集めたが、2019年、平成の終わりに発表された『初恋ドア』を最後に、企画は途絶えている。ファンへの刺激が強すぎたのか、あるいは現実的な問題を乗り越えるための体力が作り手の内から抜け落ちただけなのか、わからないが、どちらにしても、時代に合わなくなった、という意識が少なからずそこにはあるはずだ。
反時代的というのは、体力が求められる。時代の当事者が自明のものとして措いている文明・文化の相貌に立ち向かうということだから、当たり前だ。多くの人間は、時代の当事者になりたがる。それゆえに時代の価値を見落とす。「坂道AKB」はアイドルシーンの、その時々の、その時代を代表し得るアイドルの当事者を集めるという試みだが、その試みそのものが反時代的であるという、おもしろい皮肉の上に立っている。
反時代的と考えるだけで、私はワクワクする。作り手が様々な事情のもとに断念したかに見える理想を、ファンは、私はだれに配慮することもなく、あくまでも机上ではあるが、自由に遊ぶことができるのだ。この記事では、現在の、つまり令和のシーンにあって「坂道AKB」を作るなら、その選抜はどのような顔ぶれになるのか、考える。
小嶋陽菜を中心に構成された『混ざり合うもの』を「坂道AKB」の一応の端緒として見れば、この一連の試みで提示された楽曲は、計4曲となる。以下がその構成となる。
・混ざり合うもの
小嶋陽菜(センター)、生田絵梨花、入山杏奈、大和田南那、加藤玲奈、柏木由紀、指原莉乃、桜井玲香、白石麻衣、島崎遥香、西野七瀬、深川麻衣、松井珠理奈、松村沙友理、宮脇咲良、横山由依
・誰のことを一番 愛してる?
平手友梨奈(センター)、伊藤万理華、今泉佑唯、岡田奈々、小栗有以、小嶋真子、北野日奈子、齋藤飛鳥、菅井友香、寺田蘭世、長濱ねる、星野みなみ、堀未央奈、松井珠理奈、宮脇咲良、向井地美音、渡辺梨加、渡邉理佐
・国境のない時代
長濱ねる(センター)、今泉佑唯、大園桃子、岡田奈々、岡部麟、小栗有以、加藤史帆、久保史緒里、齋藤飛鳥、菅井友香、小林由依、堀未央奈、松井珠理奈、宮脇咲良、向井地美音、山下美月、与田祐希、渡邉理佐
・初恋ドア
山下美月(センター)、梅澤美波、梅山恋和、大園桃子、岡部麟、久保史緒里、加藤史帆、小池美波、小栗有以、小坂菜緒、小林由依、坂口渚沙、佐々木美玲、齊藤京子、下尾みう、菅井友香、鈴本美愉、瀧野由美子、田中美久、土生瑞穂、福岡聖菜、山内瑞葵、与田祐希、矢作萌夏、渡邉美穂
この選抜メンバーの顔ぶれの移り変わりを眺めるだけでもアイドルシーンの緩やかな衰退が見て取れるが――『初恋ドア』に至っては、もうほとんど破れかぶれに感じる――、ここではそうしたアイドル論的な容喙は退け、楽曲の成否だけを見ると、音楽として成功を収めているのはやはり平手友梨奈をセンターに配した『誰のことを一番 愛してる?』になるだろう。ひとりの天才の出現を目の当たりにすることで、自分こそが主役だと固く信じてきた少女たちが現実を隈なく認識させられるという光景を、その異質さを保ったまま音楽のテーマとして演じている。この楽曲は様々なグループで、様々なステージでカバーされているが、オリジナルに比肩する水準でライブに表現できたのは、後にも先にもSTU48だけだろう。とりわけ門脇実優菜、磯貝花音の踊りは平手友梨奈とはまた別の角度から音楽の暗闇を表現することに成功している。こうした感慨をもとに現役アイドルの名前を列挙しようとすると、ひとつの現実にぶつかる。もはや現在のSTU48には、かつてシーンを席巻した踊り子たちの面影がどこにも見られないという現実に。この現実は、なにもSTU48にかぎった話ではない。AKBグループ全体を見渡しても、そこに深刻なタレント不足があらわになる。あるいは「坂道AKB」が途絶してしまったのは、ただ単にAKBグループと坂道シリーズに埋めることのできない溝ができてしまったから、ということにすぎないのかもしれない。
坂道シリーズは、まさに選り取り見取りと言うしかない。人気、知名度、能力を考慮するにしても、とても16人18人では収まらない。そこで今回は冒頭で記したとおり、各グループのイロを伝え得る存在、その価値を示しうる存在、また異なるグループのイロを吸収し得る、成長への高い期待感を持ち得る存在を選び出すことにした。「スプーン」を「アイドル」に見立てるのは野蛮で、ひどく安直だが、しかしアイドル諸君は、ファンにとってのスプーンであるべきだというのは、時代の、反動的な要請であるのではないか。

伊藤百花/AKB48
新生AKBのエース。新生と言っても、劇場におけるパフォーマンス、ファンに近い距離で踊ることで鍛えられるスピリットなど、古き良き時代のAKBがしっかりと息づいている。AKBのセンターというのは、アイドルという時代精神の一大砦にならなければならない。とりわけ同業者から絶大な憧れを持たれる存在でなければならない。伊藤百花はそうした憧憬を叶えるだけの可能性を有したアイドルであると感じる。

塩月希依音/NMB48
現代人の特徴を言い当て言い表す手段に、ニル・アドミラリだったりデタッチメントだったりといった言葉があるが、これは要するに内省における人間感情の複雑さを表現している。では自己の内面を見つめる人間の様子とは、どんなものを指すだろうか。一般的には、寡黙だったり、俯いたりしている情況を言うのだろうけれど、内面を見つめることが笑顔に結ばれる、陽気さをあらわすことも、当然ある。塩月希依音を先頭にNMB48で演じられる音楽の抑揚は、まさにこの陽気さにある。ただ笑っているわけではない。それは自己を自己から引き剥がすような、内面の複雑さ、自己のある部分にたいして無関心にならざるをえないという抑揚にのせた笑顔なのだ。アイドルが若者を、つまり現代をリードすべき存在であるなら、塩月希依音の笑顔には学ぶべき点が多いだろう。

遠藤さくら/乃木坂46
演技の上手として、演技力が歌や踊り、そしてアイドルの美しさを決めるのだというその事実をして、乃木坂46にあって他のグループにないものをして、その面目を躍如してほしい。言葉数が少く、たまに発する一言二言の言葉も、どこか的を外している、その調子の狂った様子が、そのまま通念からの離脱であるという文学的な色合いを帯びていく。乃木坂のスクールカラーを、ほかのだれよりも簡明に示している。

賀喜遥香/乃木坂46
「未完成こそ美しい」だなんだという謳い文句が様々な業界で喧伝されるようになって久しいが、そのほとんどすべてがその言葉の意味をまったく理解していないという事態に逆説的に見るアイドルシーンの衰退を、未完成に見える少女、平凡に見える少女、しかし誰よりも魅力的に見えるという、その主人公感をもって覆してほしい。アイドルとは笑顔のことだ、と言うのは簡単だが、アイドルとは賀喜遥香の笑顔のことだ、と言った途端、それが如何に奇跡的な、到達の不可能なイメージであるか、だれもが理解することになるだろう。

井上和/乃木坂46
アイドル勝者としての、その圧倒的な美貌、気取る必要すらない、おごり高ぶった笑顔、美という残酷なまでの才能をもって同業者たちに埋めようのない落差を突きつけることで、無力感とともに、失われた闘争心を煽ってほしい。

小川彩/乃木坂46
比較的年少メンバーに数えられるが、歌、踊り、演技力、ビジュアルの完成度の高さ、アイドルを演じることのすぐれたバランス感覚、しかもそれらがまだ発展途上であるという計り知れなさは、そのまま乃木坂の将来性の高さを知らしめる。この逸材が小坂菜緒や森田ひかるといった一流どころと一個の作品に収まる瞬間を眺めてみたい。

中西アルノ/乃木坂46
かつて乃木坂の頭上で揺れたダモクレスの剣として、平穏なグループに刺激を与え、その空気を一変させたカリスマの使者として、ふたたび、フィクションと現実の境界線を不分明にするその危ういきらめきを期待したい。

増田三莉音/乃木坂46
アイドルとしてはまだ実績に乏しく、とくに音楽作品を通じての輪郭をもたないが、なにか途轍もない可能性、現実的ではないもの、言わばアンフラ・ロマンがこの少女にはある。この少女が正源司陽子や大野愛実とおなじ音楽の下に立つとき、どのような事態が巻き起こるのか、まったく想像が効かないという点で魅力的である。

大野愛実/日向坂46
もうすでに、音楽の世界を自己流に作り上げている。その踊り、その歌声、その姿は鮮烈と言うしかない。見果てぬ幻想にすぎなかったものを、現実に手繰り寄せようとする、音楽作品に導かれたその眼差しは、かつての平手友梨奈を想起させるほどにフィクションへの高い純度を誇っている。であれば、その純粋さ、言わば理想の高さは、シーンの運命にかならず大きな影響を与えることになるだろう。

小坂菜緒/日向坂46
弱さを克服して成長する姿を見せる、のではなく、弱さを表現しつづける、転じて、アイドルであり続ける、という、ある種の境地に至ったその笑顔は現代アイドルシーンのハイライトと言うべきだろう。ビジュアル、ダンス、ヴォーカル…、ライブステージにおけるあらゆる表現力において最高到達点に立ったアイドルである。

正源司陽子/日向坂46
音楽を語ることがアイドルを語ることに結ばれるという憧憬を叶えた、数少ない存在。季節に向ける濃やかな感慨、豊かな感性、みやびやかな横顔をとおして、淡いノスタルジーの世界を提示することに成功している。その魅力を考えることは、小説を読むという行為に近い。紙に刷られた文字の連なりを追っていると自分なりの場景が自然と頭に浮かんでくる、あの瞬間と似たようなことが、このアイドルへの鑑賞で起きる。言葉・表現への強いこだわりをもった少女で、時にそのこだわりは、自分自身の感情に不意打ちを喰らわせるほどである。その優れて陽気な、人間感情の幅広さ、瑞々しさに、トップアイドルたる所以を見ることだろう。

藤嶌果歩/日向坂46
AKB的と言うには古すぎる、シーンの忘れ形見になった、由緒あるアイドルの風格を備えている。新しさという話題に囚われない、どの時代から眺めてもアイドル足り得るその笑顔をして、昔日の輝きを忘れつつあるアイドルシーンにいっかな王道を吹き込む存在として非常に期待が持てる。

渡辺莉奈/日向坂46
野心と虚栄心、熱意と無関心、矜持と恥、内向性と積極性の極端な結合に描き出されるそのユーモアは、若者の内奥を覗き見た心地にさせる。なにものにでもなれるであろうその将来性の高さは、小川彩と双璧をなしている。

森田ひかる/櫻坂46
櫻坂46として、新世代の先陣を切り、すでに爛熟しきったシーンのなかに身を投じ、単なる後続ではなく、更新者としてあらたな音楽の作風を編み出してきた。アイドルソングの一方の主流を決定づけてきたその主人公が、平手友梨奈の正統な後継者と言うだけでは収まりきらないその存在が、大野愛実にふれる瞬間を目撃したい。

山下瞳月/櫻坂46
社会と青春の対峙を歌う音楽の騒擾のなかにあって不敵に笑う自分のことをどこか傍観者的に眺めているという、その意識のありようは、こけおどしのたぐいにまみれない、エロクエンティアに満ちた踊りを完成している。

山田桃実/櫻坂46
衝動とは、一瞬のうちに燃え上がる強烈なエネルギーである。しかしそのままでは、激しく燃え尽きてしまうだけの儚い火に過ぎない。アイドルの衝動に価値を求めるならば、その一時的な高まりを、平穏のなかに静かに根づかせ、持続する力へと変えていく過程にあるだろう。衝動を単なる瞬間の爆発として終わらせるのではなく、日常の中で繰り返し息づく熱へと転化できるかどうか。現在の山田桃実には、その気配がうかがえる。

金澤亜美/僕が見たかった青空
西野七瀬というレトロスペクティブと新世代の乃木坂46の邂逅をひとめ見てみたい。野心の隠し方、庇護欲の掻き立て方など、西野的な教養の持ち主で、顔が似ているという一点を支えにして、他者を徹底的に真似ることでアイドルとして本質的な相貌を得ていくその姿は、真似しようにも真似のできない営為だ。

八木仁愛/僕が見たかった青空
ダンスを音楽表現の支えにしたアイドルということで、技巧を凝らしたその踊りをもって格の違いを見せつけると同時に、坂道シリーズにおけるトップアイドルたちの別格の存在感、別格の主人公感をその身に味わってほしい。
よって、私が考える現在の「坂道AKB」は以下のようになった。センターには大野愛実を選んだ。

3列目:藤嶌果歩、伊藤百花、渡辺莉奈、小川彩、山田桃実、増田三莉音、金澤亜美
2列目:井上和、塩月希依音、八木仁愛、中西アルノ、山下瞳月、遠藤さくら
1列目:小坂菜緒、賀喜遥香、大野愛実、森田ひかる、正源司陽子
2026/04/12 楠木かなえ
*1福田和也/ヘンリー・ジェイムズ

