AKB48 根も葉もRumor 評判記

AKB48, 楽曲

(C)根も葉もRumorジャケット写真

「根も葉もRumor」

楽曲、歌詞、ミュージックビデオについて、

AKB48の58枚目シングル。センターで踊るのは岡田奈々。
実に1年半ぶりのシングル。歌唱メンバーをAKB48のアイドルのみで構成するのは19枚目シングル『チャンスの順番』以来、約11年ぶり。純AKB48への回帰、また楽曲の選抜発表と同時に、乃木坂46との対峙とその敗北からの逆襲をひとつのストーリーとしてファンに物語るなど、AKB48にとって大きな意味をもったシングルとなっている。だが、グループ全体から発せられた、フィクションを作る、という姿勢には強い期待感と好感を抱いたものの、いざ差し出された楽曲に触れてみると、失望の念を禁じえない。
ダンスナンバーという主題を前にした作詞家・秋元康の、あまりにも過剰な自己模倣、他者ではなく自己の過去との対比という姿勢が歌詞の内にそのまま姿かたちをあらわしており、乃木坂46という他者と対峙するグループのストーリー展開に対し、詩情が空転している。
ダンスナンバーを書く際に「情報」への偏執を見せるのは、同様の主題をもった過去作品と同じテーブルに並べ、テイスティングを望んでいる、ということなのだろうか。そうした要望にこたえるならば、今作品は箸にも棒にもかからない、果実味も、色もない、成熟とは遠く離れた、期待はずれの出来と云うほかない。踊ることで日常の屈託を発散させる、という表現そのものに避けられない「類型」がある。
しかしなぜこうも「情報」の囲繞、またそれに対する反抗にこだわるのか、理解しがたいものがある。『サイレントマジョリティー』の成功が忘れられないのだろうか。親に褒められた子供が、もう一度褒めてもらおうと何度も同じ行動を繰り返すのと似ていて、幼稚に感じる。作詞家・秋元康にずば抜けた才能を見出すとするならば、それは自己の達成に無頓着であるところ、になるはずだが。今作においては、というよりも、『サイレントマジョリティー』発表以降、その特質がスポイルされてしまっているようにみえる。

こうした類型に囚われるのは作詞家だけでなく映像作家もおなじようだ。ダンスナンバーと聞けば判で押したように「学校」に集合しどこかで見たような退屈な青春ドラマを描いてしまう……、まったくアイデアがない。アイドルファンならば当然NGT48の『Awesome』との類似性、模倣を確信し、呆れてしまうだろう。もし何も知らずに似てしまった、となると……。ダンスが苦手、と話すアイドルが、難易度の高いダンスに挑戦しそれを踊り切る、という「成長」の演出も、ただただ白々しく感じる。なによりも、レコード販促のために映像作品にあえて傷をつける、亀裂を作るという姿勢に、ファンとの信頼関係を裏切るもの、真摯さや倫理観の欠如を目撃してしまう。

岡田奈々というすでに結果が出てしまっている、希望を把持しない存在を楽曲の中央に置き可能性を探るというある種の無謀さ、不毛さには、現在のAKB48の境地がよくあらわれている、と云えるかもしれない。アイドルがただ頑張って汗をかき、内輪で盛り上がり、感動した涙したと訴える、それで満足して笑っているだけの、観客の存在を忘失した独りよがりなコンテンツにしか見えないわけである。
いずれにせよこうした小手先のダンス、差別化に頼るのではなく、乃木坂46が”できないこと”あるいは”やらないこと”、をやるのではなく、乃木坂46とおなじ地平に立ち真正面から勝負を仕掛けるべきだろう。でなければアイドルたちは永遠に負けを認めることができないはずだ。物語=フィクションを作る、ということの意味を作り手、アイドル共にもう一度考えるべき。


歌唱メンバー:大西桃香、岡田奈々岡部麟小栗有以柏木由紀久保怜音、倉野尾成美、下尾みう、谷口めぐ、千葉恵里、西川怜、本田仁美、向井地美音、武藤十夢村山彩希、山内瑞葵、横山由依、横山結衣

作詞:秋元康 作曲:浦島健太、H.Shing 編曲:今井大介、大野裕一